【再読】 アーサー・コナン・ドイル『四人の署名』深町眞理子訳 創元推理文庫
本日もホームズシリーズの作品を再読しました。
長編第二作目である『四人の署名』になります。
早速ですが、内容について書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
一言で表すと、財宝を奪われた男が復讐に来る話です。また復讐か、という感じですが、今度の復讐者はアメリカではなくインドからやって来ます。
十九世紀のロンドンはただでさえ暗い雰囲気の犯罪都市なのですが、そこにインド文化を組み合わせるとさらに陰鬱さと不潔さが増すように感じられます。別にインド文化が不潔だと言っているわけではありません。相乗効果の話です。
ホームズのところに持ち込まれた何気ない相談事が実はインドの財宝に関わる重大な案件で、それに関わったことでホームズとワトスンが殺人事件に巻き込まれていく、というのが大まかな流れになります。
そしてワトスンと妻のメアリーの出会いの物語でもあります。
いきなり、コカイン中毒のホームズから始まります。
今作の中心人物である依頼人のミス・メアリー・モースタンは特に美人というわけではないのですが、知的で洗練された雰囲気を持つ、表情豊かな優しい女性です。質素で地味な格好をしていても魅力的に見えるあたり、相当内面の優れた女性なのでしょう。そんな彼女に、ワトスンはほとんど一目惚れで恋をします。
奥手で誠実なワトスンが恋のために気もそぞろになっている様子は、見ていて和みます。自分の立場や資産状況を考え、財宝の相続人として莫大な遺産を引き継ぐであろうメアリーとの身分差を思って落ち込んだり、それでも彼女のために財宝を取り戻そうと決意したり、今作のワトスンは本当に可愛らしくて健気です。
それから、恐ろしい事件に巻き込まれて心が弱っている時につけ込むようにして愛を囁くのは卑怯だ、という思いから彼女に対してそっけない態度を取ってしまったりと、不器用な面も目立ちます。彼は本当に良い人です。
終盤で財宝がないと分かったときの第一声「神よ、感謝します!」はワトスンのセリフの中でも特に好きなものの一つです。
事件が解決し、身分差という壁が消えたことで、ワトスンはようやくメアリーへの愛を告白します。それに対するメアリーの返答も素敵でした。今作で一番得をしたのはやはりワトスンでしょう。
ちなみに、女嫌いのホームズが今までで最も魅力的に感じた女性は、「保険金ほしさに三人の幼い子を毒殺し、それで絞首刑になった女」だそうです。彼に恋愛相談はできませんね。
時系列があやふやなのですが、この事件と『ボヘミアの醜聞』はどちらが先なのでしょう。この発言をしたのはアイリーンに合う前なのか、後なのか、少し気になるところです。
内容としては、前作『緋色の研究』よりもエンタメ性の高い作品となっています。
まず犯人が「義足の罪人」と「小柄で獰猛な野蛮人」のコンビで、猛毒を塗った吹き矢を持っている、というのがなかなかにインパクトがあります。
ホームズの動きにしても、老犬のトービーを使って犯人の足跡を追わせたり、情報収集のために自ら老人に変装したり、前作にも登場した〈ベイカー街少年隊〉を働かせたりと、『緋色の研究』よりもずっと行動的です。今作は推理というより調査がメインでした。私は貸し船屋のおかみさんからそれとなく情報を聞き出す場面が好きですね。彼の話術の巧みさがうまく描かれています。
そして極めつけは河での激しい追跡劇。犯人たちの乗った汽艇を警察艇で追いかける、カーチェイスならぬシップチェイスの場面です。2艘の船が真っ直ぐな河筋を猛スピードで下っていく場面は何度読んでもハラハラします。追いつけるか、というよりもそんなに速度出して事故らないのか、という方向でのハラハラですが。
全体的に『緋色の研究』よりも展開が早いので、より読みやすいかもしれません。
作中ではフォレスター夫人がこの事件を中世の騎士物語のようだと言って興奮する場面がありました。
【受難のたおやめとか、五十万ポンドもの財宝とか、黒い人食い人種とか、それにその“木の義足をつけた悪漢”とか。どれもむかしながらの龍だの、邪悪な伯爵だのといった道具立てに代わるものでしょう?】
という彼女のセリフから、作者のドイル自身も、今作はエンタメ性を重視して書いたものと思われます。
ワトスン好きということもあって、私はホームズシリーズの長編作品の中ではこの『四人の署名』が一番好きです。シリーズ中、最も多く読み返していると思います。
それから、この版では「The Sign of the Four」を「四の符牒」と訳しているのも好きな点です。個人的にはこの訳が一番しっくりきます。ちなみに『四人の署名』の原題は「The Sign of Four」です。この辺りの訳については注釈で触れられています。和訳に関しての注釈は興味深いものが多く、結構楽しく読んでいます。
注釈といえばもう一つ。ワトスンは『緋色の研究』では肩を撃たれて負傷していたはずが、今作では「古傷のある脚」、「アキレス腱を痛めている脚」という描写になっているため、そこにも注釈がついています。おそらく作者の記憶違いから生まれた矛盾なのでしょうが、結局のところワトスンが撃たれたのはどこなのか、はっきりして欲しいところです。
感想は以上です。
章として一番好きなのは最後のスモールの証言なのですが、その前の捜査・推理部分もやはり面白いです。良いテンポで物語が進んでいくので、ダレることなく最後まで一気に読み進めることができます。
あくまで個人的な感想ですが、ホームズシリーズの中でも一番わくわくする、冒険心を擽られるような作品だと思います。
それでは、今日はこの辺で。