アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』 | 本の虫凪子の徘徊記録

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【再読】  アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』清水俊二訳 ハヤカワ文庫

 

ドイルの『緋色の研究』と迷った末、本日はこちらの作品を。

ミステリの女王と評されるクリスティーの作品の中でも、とくに有名なものの一つです。何度も映像化や舞台化がされています。

小さな島で、集められた招待客たちが一人、また一人と殺されていく、クローズド・サークルのお手本のような作品です。

 

章ごとに、簡単な流れと感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

第一章では登場人物たちの様子が一人ずつ描かれ、彼らがインディアン島に向かっている理由が説明されます。

何人かは、過去に何らかの、あまり正直でない出来事を経験していると見え、この時点でもう不穏な空気を感じます。

中でも、ブロアに関しては最も含みを持たせるような描かれ方をしています。島に集まる人間の名前を書き留めていたり、自身について、「少佐ということにするかな」と呟いている様子から、ただ者ではない雰囲気が窺えます。怪しさ満点の挙動で、この場面だけ見たら黒幕だと勘違いしてしまいそうです。実際は探偵でしたが。

 

第二章、物語の舞台であるインディアン島に到着します。

登場人物が出揃うことで、緊張感と不穏な空気が一層高まっていくように感じました。

招待客たちもお互いに相手を観察し、どのような人物か探り合っているようです。医師と判事だけはお互いに面識があります。

それぞれの視点を通して他の招待客たちを眺めてみると、どの人物も意地が悪く、心の冷たい人間のように感じられます。全員が後ろ暗い過去を持っているのですから当然と言えば当然なのですが、善良そうな人物が一人も登場しません。遊び好きの美青年・マーストンくんだけがこの中で唯一爽やかさを放っていますが、彼は最初の犠牲者になって早々に退場してしまうんですよね。彼は感覚で生きているスピード狂で、子供を二人轢いたことに関しても特に何とも思っていない異常者ですが、良いキャラクターでしたし、もう少し活躍して欲しかったところです。

また、この章でヴェラが「十人のインディアンの少年」の童謡を発見します。

 

第三章、食事を終え、うちとけた様子の客たち。と、突然、穏やかな空気をぶち壊すようにレコードが彼らの「罪状」を述べ始めます。動揺し、騒然となる一同。さあ楽しくなってきました。

「UN KNOWN」(どこのものともわからぬもの)という訳にセンスを感じます。不気味さを感じさせる、素敵な言い回しです。

 

第四章では先の告発に対してのそれぞれの弁明が行われますが、真実を知っている身からすると非常に白々しく感じられます。特に泣き崩れるヴェラ。シリルの母親の前でもこんな風に泣いてみせたのでしょうか。例え一時の気の迷いだったにせよ、明確な殺意を持ってシリルを死に追いやった彼女は立派な人殺しです。

そして、一切の申し開きをしないミス・ブレント。彼女の罪状は、当人の語るところによれば身持ちの悪い使用人の娘を自殺に追い込んだことのようですが、そのことに対して何ら良心の呵責を覚えることのない、鋼のような厳格さを持った人物です。私は登場人物の中ではこの人が一番好きかもしれません。仲良くなれる気はしませんが。

 

第五章はマーストンの死から始まります。彼のグラスの中には青酸カリが。この手の小説や映画では、調子に乗った若い奴から死んでいくのがおきまりです。私が作者の立場だったとして、物語を進めるうえでまず誰から殺すか、と考えたら、まあ彼を一番最初に退場させると思います。もう少し活躍が見たかった、というのも本心ですけれど。

突然目の前で人が死に、動揺している人々の中、「寝ましょう。もう遅いのですから」と冷静に提案するミス・ブレント。肝が据わっています。

また、マカーサー将軍が、告発された自身の部下の死に対して、確かに殺意があったことが判明します。

 

第六章、ロジャース夫妻の妻の方が、睡眠中に死亡します。

定時を過ぎても来ないボート、二つ減った卓上の人形。ロジャースの怯える気持ちが手に取るように分かります。

 

第七章、告発の内容について話す女性二人と、事件の解明のために意見を交わし合う医師とロンバードの対比が印象的でした。男性陣の方が行動的で頼りになりそうです。オーエン氏の存在を除けば、犯人の筋書きをほぼ完全に読み取っています。

 

そして第八章。オーエン氏を捜索する医師、ロンバード、ブロアの三名でしたが、結局、島には彼ら八人しかいないことが判明しました。積極的に行動する彼らとは異なり、将軍やヴェラは自身の罪の記憶に浸っています。

 

第九章。このあたりから、登場人物たちはお互いに対して疑念を抱き始めます。

集まって昼食をとる場面ですが、メニューがチーズ、ビスケット、缶詰などの保存食ばかりで、何だか味気ないですね。コールド・ハムやコールド・タンにしてもあまり美味しそうには思えません。イギリスの食文化に対する偏見でしょうか。

そして、海岸で撲殺されていたマカーサー将軍。七つになった人形。

「犯人はわれわれの中の一人なのだ!」と発言し、その場の全員に殺人の嫌疑をかけることで相互不信を煽るウォーグレイヴ判事。最後の、頭のおかしい犯人に十分警戒するように、との発言ですが、真実を知っている身からすると、どの面下げて言っているのかと思ってしまいます。

 

第十章、お互いに誰が犯人なのかと予想し合っています。ロンバード、大当たり。彼は鋭く、頭の回転の速い男として描かれています。

 

第十一章、ロジャースが斧で殴り殺されているのが発見されます。

あまりにも冷静なため、犯人なのではとブロアから疑われるミス・ブレント。それに関しては見当違いなわけですが、信仰に凝り固まった異常者だという見方のほうは正しいですね。自分は正しい、だから死なない、決して死なない、彼女は心の底からそう思い込んでいます。が、自殺したビアトリスの夢を見たりするあたり、やはり彼女にも怯える気持ちはあるのかもしれません。

 

そんなミス・ブレントは第十二章で退場します。

童謡では「蜂が一人を刺して、五人になった」ですが、蜂ではなく、それに見立てた青酸カリの皮下注射による殺害です。

残った五人のお互いへの不信感は高まり、身体検査と部屋の捜索が行われましたが、誰からも犯人であるという決定的な証拠は見つかりませんでした。

ロンバードのピストルの行方が分からないのが、不穏です。

 

第十三章、恐怖と疑念でほとんど正気を失っている五人。応接間に集まってじっとお互いを監視し合い、昼には台所で缶詰を立ったまま食べ、また応接間に戻って監視し合う。館の外の悪天候と相まって、重苦しい閉塞感を感じさせる場面です。張りつめた空気の中、描写のない、時計の秒針の音まで聞こえてくるような気がしました。

一人きりになったところで犯人からの嫌がらせを受け、恐慌状態に陥るヴェラ。ブランディの出番です。飲む前に毒を警戒するあたり、やはり彼女は相当に賢く、疑り深い女性であることが分かりますね。

そしてそのどさくさに紛れて、ウォーグレイヴ判事が殺害されます。ピストルによる射殺。ミス・ブレントの毛糸で作ったかつらと浴室の真紅のカーテンを身に纏っている姿で発見されました。初めて読んだときから思っているのですが、この人だけちょっと演出過剰すぎやしませんかね。

 

第十四章、もはやお互いを信用できず、自室に閉じこもる各人。部屋でそれぞれ考えに耽っています。ここで、ヴェラが過去に犯した殺人についての全容が語られます。

アームストロング医師が姿を消し、人形が三つになっているのが分かったところで、次の章へ。

 

第十五章。嵐がおさまり、ヴェラ、ロンバード、ブロアの気持ちも少し落ち着きます。もう残っているのはこの三人だけです。

が、ブロアは一人になった途端、大理石の時計で頭を潰されて死亡。

さらに、海岸では行方不明だった医師の溺死体が発見されます。

とうとうヴェラとロンバードの二人きりです。

 

第十六章。二人とも、相手が犯人だと確信しています。

隙をついてロンバードのピストルを奪うヴェラ、さすがですね。絶対に敵には回したくないタイプの女性です。

全てが終わったと悟り、一人で邸宅に戻るヴェラ。最後の人形を握りしめ、ゆっくりと自分の部屋に向かって行きます。もう完全に正気を失っているようです。そしてラスト、「彼が首をくくり、後には誰もいなくなった……」。彼女はヒューゴーの姿をした自分の良心に殺されたのです。犯した罪にふさわしい報いでした。

 

エピローグではインディアン島で起きた事件のその後の様子が描かれています。島の売買に関わったモリスを含めて十一名もの死者が出ているこの不可解な事件には、ロンドン警視庁もお手上げの様子。副警視総監と警部が、判明している事実を整理しながら、何なんだこの事件は、と頭を抱えています。

最後の一人であるヴェラは首を吊ったはずなのですが、彼女が蹴ったであろう椅子はなぜか元の位置に戻されている。つまり、島にはもう一人、彼女の死を見届けた人間が存在したということです。この部分は、初めて読んだときはぞっとしました。

その謎については、最後のウォーグレイヴ判事による告白書で解明されます。彼が全ての黒幕でした。

殺人をしたい、という強い欲望と、それ以上に強い正義感から、彼はこの計画を企てたのです。古い童謡になぞらえた見立て型殺人でそれぞれの死を演出していったあたり、彼の異常性が窺えます。彼自身、余命が短かったためか、最後に何か人々を驚かすような、前例のない大規模な殺人を実行したいという思いがあったようです。

 

殺害方法の種明かし部分は何度読んでも面白いです。芸術的なまでに鮮やかな手際です。

自身の死を偽装する時のみ、アームストロング医師の手を借りています。そしてその後、彼を殺害しました。

最後の自殺のトリックは難しそうですが、ロンドン警視庁の反応を見るに上手くいったようです。告白書が発見され、警視庁に送られたことも含めて、最初から最後まで判事の計画通りに物事が進んでいます。この結果には彼もさぞかし満足していることでしょう。

 

 

タネが分かっていても、面白いものは面白いものです。

同じクリスティ作品である『オリエント急行殺人事件』や『アクロイド殺害事件』にしてもそうですが、初めて読んだ時の驚きをもう一度感じることはできなくとも、読み返すたびに、細かい部分で新たな発見があります。

こちらも同じように、何度読んでも飽きない、クリスティの著作の中でも特に好きな作品です。

そのうち、ポワロの出てくる作品も読み返したいと思います。

それでは、今日はこの辺で。