【初読】 辻村深月『琥珀の夏』 文藝春秋
辻村さんの作品は多く読んでいますが、こちらは初めてです。
単行本ならではの気合の入った装丁に一目惚れしました。夜の藍色に金文字が映える、美麗な表紙デザインとなっています。
以下、読んだ感想について書いていきたいと思います。内容についての記載がありますので未読の方はご注意ください。
白骨遺体の発見から物語がはじまり、さらに主人公らしき女性は弁護士というところから謎解きがメインの推理小説を予想していたのですが、どちらかというと複雑な人間関係や心理描写に重きを置いた作品でした。メインの人物は二人で、中心となるのは主に弁護士の法子のほうです。もう一人のミカに関しては、最終章でようやく彼女という人物の輪郭を掴むことができたように感じます。
以前から思っていましたが、辻村さんは本当に人物の内面描写が丁寧ですね。表現の幅が広い、というのでしょうか、その人の激しい感情、苦悩や後悔などを分析的な言葉で表すのがとてもお上手です。読みながら、「うんうん、わかります、こういう時ってこういう気持ちになりますよね」と共感できる部分が多々あるので、より主人公の法子に感情移入しつつストーリーを追っていくことができました。
物語としては、教育・家族・社会といったテーマの間に人間の欲や利己的な部分、理屈ではない感情など様々な要素が入り混じった複雑な構成となっています。
私は特に〈ミライの学校〉の設定が印象的でした。物語の中心舞台となる〈場〉としての側面ではなく、〈ミライの学校〉という団体そのものがとても興味深いのです。
大切なのは綺麗な水と自由な「問答」。作中人物の言葉を借りれば「古い時代の上から押しつける形の学校教育」ではない、豊かな自然と「遊び」を通して学んでいく自由な学風。実態は正式な学校法人でもなければ児童養護施設でもない異質な団体で、たくさんの子供たちが共に生活しているもののそこに家庭の温かさはありません。販売していた飲料水の不純物混入が問題になったことで、世間からはカルト集団や自己啓発系グループだと認識されてしまいます。
決して怪しい宗教団体などではなく、清く正しい教育理念のもと、多くの人が協力し合って運営している組織なのですが、その組織が人間の集まりである以上、個人の利己が絡んでくるとなると、やはり当初の崇高な理念だけで活動するのは難しいのでしょう。腐敗、とまではいかなくても少しずつズレてくる部分があるのだと思います。語り手の立場によって評価が分かれるのがこの学校の面白いところです。
また、結婚後もそんな〈ミライの学校〉と共に生き続けるミカも印象的でした。幼い頃に親元を離れて〈ミライの学校〉で生活し、さんざん寂しい思いをしたはずなのに、大人になったら自分の両親と同じように子供たちを〈ミライの学校〉に入れようとする。最終章までミカの内心がほとんど明かされないので、読んでいる間は「あの、夜の泉で両親に会いたいと泣き叫んでいたミカはどこにいったのか」と疑問でした。最終章〈美夏〉を読み終えてようやく彼女の心情が、大人になった田中美夏がなぜあれほど周囲に対して攻撃的だったのか、彼女が何に怒っているのかが朧気ながら理解できたように思います。そこしかしらないミカにとって〈ミライの学校〉はある意味では「家」であり、悪く言えば彼女は〈ミライの学校〉に囚われ続けているのかもしれません。けれど、だからこそ、彼女が自分の子供たちにつけた名前が判明した時は胸が熱くなりました。「遥」と「彼方」。二つの名前に込められた願いの重さ、祈りの切実さ、〈ミライ〉よりもさらに遠くを願うようなその二つの名前を通して、やっと本当のミカの心に触れられたように感じました。
やはり、辻村さんの描く物語はとても優しいです。どうしようもない現実を容赦なく突きつけながらも、必ずどこかに希望がある。本当に、とても、優しい。
エピローグで家族や法子と一緒にいるミカの姿に、どうか幸せになってほしいと思いながら本を閉じました。最終的に、〈ミライの学校〉を脱退したわけではないけれど、少しずつ家族と向き合おうとしているミカ。「親」をほとんど知らない彼女が、自分が親になることに不安を覚えるのは当然のことですが、それでも、家族を愛する優しい人なのだから、きっとうまくやっていけると思います。それに、周りには、理解者である夫や〈友達〉の法子もいます。未来は、そう暗いものではないはずです。
★ ★ ★
感想をふんわりと書くつもりが、思ったよりも長くなってしまいました。
そして主人公の法子や白骨遺体についてほとんど触れないまま書き終わってしまいました。
最も感情移入できたキャラクターはもちろん法子なのですが、彼女の視点でストーリーを追うのに精一杯だったため、一度目の読了では「法子にとって印象的だったもの=私にとって印象的だったもの」という風になりました。少し時間を置いてからもう一度、今度は法子の心情変化に注意しつつ読み返してみたいと思います。
過去の回想と現代、法子の視点とミカの視点とが入り混じる複雑な構成に引き込まれ、一度も本を閉じないまま一気に読み終えました。単行本はやはり重いですね。最近は文庫本ばかり読んでいるので本を持っている手が少し疲れました。
物語の結末も納得のいくもので、良い作品だったと思います。辻村さん、ありがとうございました。
それでは今日はこのへんで。