昨日は谷垣禎一・前幹事長と岐阜4区の選出の衆議院議員金子一義元国土交通大臣が、次期衆議院議員選挙への不出馬という大きなニュースがありました。

谷垣禎一先生は野党時代の2009年9月から政権復帰直前まで第24代自由民主党総裁として昨今で自民党が一番大変だった時をリーダーとして支えられ、政権復帰後は法相や、幹事長として自民党を支えてこられました。
また、青年局の会議でも我々地方から来たメンバーと真摯に向き合われた姿は今でも忘れられません。
僕が谷垣禎一先生の話で忘れられないのは総裁として最後に話された演説の中の
「百里の道も九十九里を半ばとす この一歩こそ私たちが一致団結して乗り越えなくてはならない一歩でございます。安倍総裁がこの最後の一歩を乗り切れる、その先頭に立っていただいて私はこれから一兵卒としてこの一歩を乗り越えてく為ご一緒に努力を致したいと思っております。」です。
長い政治経験で我々が知り得ない様々な事があったかと思いますが、僕は我が党に必要な総裁だったと今でも思います。



また、本県の金子一義先生は国土交通大臣時代に東海環状道の三輪スマートインターや長良川の堤防の補強予算などで大変お世話になったり、青年局長として4区の会合でお世話になった時も「長屋さん達若い世代がどんどん意見を言って良い自民党を作って言って欲しい」や「民泊新法の時も地元の観光関連業者の事を最後まで考え、県の事は高殿県議や長屋さんに任せるよ」と本県の事をたえず気にかけられる素晴らしい先生でした。

金子先生が報道にコメントした言葉で
「やっぱり年齢かなと思います。がむしゃらにやってきているという時が、自分の理想だった。それがだんだん出来なくなりつつある」
なかなか言える話じゃないと思いますし、思っていても決断できるものじゃないと思いました。

自分の選挙や自己保身ばかり考える政治家が増え、まだまだ日本に必要な2人の政治家がいなくなるかもしれないのは、なんとももったいない気がします。