教育:日韓中台の違い | 永築當果のブログ

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ブログを8本も立て、“物書き”が本業にならないかと夢見ている還暦過ぎの青年。本業は薬屋稼業で、そのブログが2本、片手間に百姓をやり、そのブログが2本、論文で1本、その他アメブロなど3本。お読みいただければ幸いです。

 黄文雄(台湾)、呉善花(韓国)、石平(中国)の御3方(皆、日本に帰化)による対談「日本人は中国人・韓国人と根本的に違う」から、食事編と道徳編を先に紹介しました。

 今回は教育(主に学校教育、一部社会教育を含む)について紹介することにします。

 これに関しては、おおよそのことは小生も承知していましたが、韓中台ともに、日本に対する歴史認識について、ここまでえげつなくウソを教えているとは恐れ入りました。

 ただし、台湾については興味深いです。子供が学校でウソの教育を受けても、家に帰れば両親や祖父母から教育内容をちゃんと修正してくれるのですからね。しかし、台湾と同じように日本が統治した朝鮮においては、これが丸っきり修正されないばかりか、よりねじ曲げられてしまうのはどうしたことでしょう。これについては、この本を読んで理解できたところです。

 以下、本書の引用です。抜粋文につき、理解しやいように()かっこ内は小生が付け加えました。

 なお、予備知識として台湾の民族などについて概説しておきます。

 歴代の中国王朝の支配はほとんどなく、清朝になってから緩い支配を受けた。原住民は生粋の民族は少なく、多くは漢民族との同化がかなり進んだようで原住民は人口のわずか2%ほど。明朝末期から清朝初期に大陸から台湾に移り住んだ本省人が大多数を占め、全人口の85%で、うち福佬人(福建省南部出身)が全人口の73%[台湾語]、他に客家人(広東省北部出身)が全人口の12%を占める。国共内戦で敗れた国民党軍とともに台湾に移住した外省人は全人口の13%しか占めないが、公用語は外省人の北京語としている。


黄(台湾:1938年生まれ) 私は1945年に小学校1年生になって…その年の8月15日に終戦となりました。…それまで日本語教育を受けていましたが、終戦後も1年生の間は日本語の教育でした。以後、2年生からは漢語、3年生から北京語と代わっていきました。

…47年に台湾住民による反中国国民党暴動が起きます。…3万人近くの台湾人が殺されました。…49年に国民党軍が大陸で負けて、約60万人の敗残兵が台湾に流れ込んできました。(同年)国民党中央政府が台湾に移転してきます。

…音楽の教科では徹底的な反共の唱歌を…練習させられました。こうして、中学と高校で徹底的な反共教育を受けるようになるんです。

呉(韓国:1956年生まれ) 1950年から53年にかけて朝鮮戦争があり、…至る所が焦土と化した戦争でしたが、幸い私の生まれた済州島は戦場とはなりませんでした。…社会的混乱は済州島にもおよんでいましたから、私が物心ついた頃でも…貧困と病気が満ち溢れていました。

李承晩のことはよく覚えていないのですが、私が7歳のときに朴正煕が大統領になります。…16年にわたって大統領を務めましたが、私は…少女期から青年期を過ごしたわけです。

幼いながら覚えているのは、朴大統領が盛んに倹約、節約といっていたことです。…

北朝鮮の生活は飢え死にしそうな極貧、政治はとてつもない恐怖政治、一般の人々は奴隷も同然、政治を握っている金日成集団は共産ソ連・共産中国の傀儡、そんな具合で反共教育をされたわけです。…

反共教育と同時に反日教育を受けました。これもまたすごいもので、日本帝国主義は我が民族に対していかに酷いことをしたかということを、徹底的に叩きこまれました。ただ…日本の客観的な情報はいろいろと入ってくる…ですから怖さはそれほどなくて、けっして彼らを許してはならないという気持ちが強かったですね。まあ受けた教育そのままに、彼らは文化程度の低い野蛮な人たちなんだと、そういうイメージをもっていました。

石(中国:1962年生まれ) …我々が受けたのはまさに正反対の教育で、共産党を愛しなさい、資本主義がいかに恐ろしいかを知りなさいというものなんですね。…物心がついた頃は…世界で一番幸せなのは中国だと教わりました。…

当時の毛沢東は我々にとっては神様でした。…

文化大革命がはじまったのが4歳のとき、毛沢東が死んだのが14歳のときです。ですから…私の少年時代は…毛沢東バッジを付けて、毛主席は…毎日自分たち国民のことを心配してくれていて、神様や仏様以上に慈悲の心を持っていると、本気で信じていました。

…1949年の共産党政権成立を開放と呼び、それ以前の歴史を解放前と呼びます。それで我々は、解放前の歴史は…すべては地獄だった、中国で人民が幸せな生活ができるようになったのは毛沢東が解放してくれたからだと教わったんです。


黄(台湾) 台湾、韓国、中国の近代教育システムは、いずれも明治日本の教育システムをルーツとしています。この教育システムを取り入れた最初は中国の清朝末期です。韓国でも李朝末期に取り入れていって日本統治時代に本格的なものになります。台湾の教育制度も同じ流れにあります…。
(日本統治の)台湾の教育制度には2つの特徴があります。一つは実業教育の採用です。商業、工業、農業などについての教育ですね。中国の儒教的な教育の伝統には、そういう実業教育はまったくありませんでした。もう1つが国民教育です。つまり、我々は共通の国土・自然・文化・言語という環境のなかで暮らしてきた歴史をもつ国民である。このことを各分野にわたって総合的に学んでいくのが国民教育ですね。

…日本が台湾に入ってきた時点での台湾の教育普及率は0.06%くらいです。…20世紀に入った頃には、それが2%ほどになります。…以後、教育普及率は急上昇していって、終戦当時は70%を超えていました。

石(中国) …中国は日本の近代教育システムを取り入れたわけですが、毛沢東が実際にやったのは…反近代教育でした。…毛沢東には、近代的な知識に対する不信感が強くあります。それで、できるだけ国民に近代的な知識をもたせないようにするわけです。…ようするに、彼が目指したのは愚民教育なんですよ。…世界のどこでも教育では知識を学ぶわけですが、毛沢東の教育では知識は学ぶ対象じゃあないんです。無知から学べというのですから、本末転倒の世界です。


石(中国) 中国共産党の場合は、共産党政権がはじまった49年の翌年に…知識人…70万人以上殺害したんです。また何百万人かの知識人を強制的に刑務所に収容しました。…まずエリートを一網打尽にしたわけです。…こうして伝統社会の知を空白状態にし、外からの情報を一切遮断し、あらゆる情報・宣伝手段を動員して、一つの思想を植え付けていったわけです。…

…そこで絶大な役割を果たしたのが密告制度です。この制度のため、本当のことを誰もいえなくなりました。…息子に密告されて殺された人はたくさんいますしね。
黄(台湾) 中国の密告制度は秦(紀元前)の時代からありましたが、人類史上最大の特務国家を完成したのが明王朝で、…台湾でも蒋介石が入ってきてから作り出されました。ですから、密告制度は共産党に限ったものではなく、中国の文化伝統の一つなんですね。

呉(韓国) 韓国にも密告制度があります。対象は北朝鮮のスパイです。…密告制度は李氏朝鮮王朝時代からありました。中国の清王朝時代にもあったということですね。北朝鮮にももちろんあるわけですから、専制主義国家に特有の制度といっていいんじゃないでしょうか。


黄(台湾) 戦後の教育で最も大きな特徴が、台湾語の禁止です。…北京語だけを使う教育になったんです。ですから、言語紛争が多かったですね。

呉(韓国) 韓国では戦後すぐに公用文はハングル専用という政策がとられます。学校教育では…70年春からは、教科書から漢字が完全になくなります。

…近代以前の朝鮮の文献は9割がた漢文で書かれたものです。…日本統治時代の学校教育を通して、「漢字ハングル混じり文」が本格的に国民に普及していったんです。…

私自身のことでいえば、小学…4年生からから漢字の教科があり、「漢字ハングル混じり文」を教わるようになりました。ところが、6年生になったときに…ハングル専用の教育がはじまりました。…当然ながら国語教育は大きく変化しました。…徹底的に口語文で書くように指導されるようになりました。…文体は簡潔、単純、直接的という傾向が強くなっていきます。

石(中国) 中国では作文はことのほか重要視されます。…我々の時代では、作文の教材、模範文とされたのは毛沢東の文章だけでした。ようするにこれは批判文なんですね。…文革時代の批判文章の特徴は、高圧的な態度で相手を罵倒するところにあります。きちんと事実をあげて批判するんじゃないんです。威勢のいい言葉でもって、相手の頭のてっぺんから足の爪先までを、完全に圧殺するんです。中国の論議というのは、敵が最初からすべて悪いという前提に立ってやるものなんですね。…当時の伝統は今でも生きています。…

文革時代に子供だった私から見ると、そういった批判文というか罵倒文が以後もずっと続いていって、いったいどういう人間を生み出したかというと、品格も教養もどうでもいい野蛮な人間です。


黄(台湾) …台湾歴史教育の最大の特徴は、中国5000年の歴史は光輝に満ちた燦爛たる歴史だったと教える一方で、台湾の歴史をまったく教えないということです。…明らかな漢民族中心史観・大陸中心史観だったんですね。これが変わりはじめるのが、1997年のいわゆる「認識台湾」をめぐる論争からです。…まだまだ論争が続いています。

呉(韓国) 韓国の歴史教育は、強固な民族主義を背景とする教育だといえますが、…国連人種差別撤廃委員会…は2007年に、韓国は単一民族や血統を強調する教育をしているが、これは「人種差別につながるので、政府は適切な措置を取るべきだ」と勧告しています。…パク・チョルヒ京仁教育大学教授は…「小学校の教科書には、民族文化の優秀性を強調するために他民族をけなす記述が多い。とくに、日本人は文化的に我々よりも劣等だと一貫して記述されている」…まったくその通りなんですね。

中国との関係でいえば、朝鮮半島諸国が中国を宗主国とする臣下の位置にあったことを教えません。モンゴル帝国の侵略に屈伏して支配下におかれたとも教えません。日本との関係でいえば、古代では、三国時代(百済・新羅・高句麗、4世紀~7世紀)に高度な文化が栄えていたのに対し、日本は文化のない野蛮国だった、その日本に高度な文化を伝えてやったという記述に終始しています。中世では、日本はその恩を忘れて豊臣秀吉が侵略して国土を荒廃させた、近世には帝国主義的な支配を狙って侵略を開始し、近代は植民地支配をしいて、武断的・暴力的・収奪的な統治を行ったとされます。

…自民族の優秀性に対する日本民族の劣等性、韓国=善、日本=悪という構図に、極端に偏向した形で行われるわけです。

日本というのは歴史的に野蛮で侵略的な国だった、植民地化はその結果引き起こされたものだ、我が民族は日本の歴史的な暴圧に抗していかに勇敢に戦ってきたか。およそそうした流れを小学校のときから教えられていくわけです。そのなかで、最もでたらめなのが日本統治時代の歴史です。…史実の巧妙な捏造・改ざんによって、日本は自分たちの利益ばかりを追求し、韓国を暴力的に支配・収奪する悪政の限りを尽くした、それが歴史の事実だと教えるわけです。…

総じていいますと、我々は平和主義を貫いたが、それだけに数々の受難に遭ってきた、しかし我々はその受難によく耐えてきた、我々の歴史は半万年にわたって受難に耐え続けてきた恨(ハン:[感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観を差すもので、朝鮮の文化、思想において全ての根幹となっている])の歴史だった、というものです。我々は一度も他人に迷惑をかけることをしなかった、他国を攻めることをしなかった、我々はいかに平和を愛する善の民族だったか、それに比べて日本は正反対の、という歴史観が最大の特徴ですね。

石(中国) 今の中国の歴史教育は大きく3つの段階があります。第1段階は、古代の我々中華民族はいかに素晴らしかったかということです。…第2段階は、近代になると一転して受難の歴史となることです。我々はいかに帝国主義に侵略されたかというものですが、…もちろん日本ですね。第3段階が民族の復興です。…現在強調されているのは、共産党がいかに巨悪の日本帝国主義と戦い、いかに民族を解放してくれたかなんですね。

…もう一つ大きな問題は、こういう歴史が漢民族中心に語られているというか、中国の歴史を漢民族の歴史として語るということです。ですから、共産党のチベット人に対する弾圧を、大半の漢民族は当然のことだと思っています。…ですから、中国としては鎮圧するのが正しいことなんです。

黄(台湾) …台湾にも同じ現象があります。チベット問題について…台湾の漢民族の反応はどうかというと、逆に漢民族が殺されたという側面を強調するんです。大漢民族主義というか、ちょっと我々(日本人)には考えられないような歴史に対する無知が台湾にもあるんです。…

呉(韓国) 韓国で今年(2008年)、「韓国近現代史」の新しい教科書が出ました。まだ学校での採択はありませんが、一般の書店で売っています。かなり話題になっていますが、これまでの韓国からすれば画期的な本だといえます。

…これまでのような反日民族主義的な傾向もないんです。…日清戦争から日露戦争へ、日韓併合へという流れも、韓国=善、日本=悪といった倫理的な対立構造ではなく、きわめて冷静に、客観的に叙述されています。これまでのような、感情的な描き方は見られません。日本統治時代についても、たとえば総督府がやった土地改革をこれまでは土地収奪という角度で書いていたのを、…土地調査事業を展開したと書いています。そのほか、農業改革、経済改革についても、これまではまったく触れもしなかったんですが、近代化という観点でちゃんと触れています。

…きちんとした実証研究をする学者グループがあって、…大統領が代わったタイミングで公刊したんですね。前の大統領の下では、とても出せる教科書ではありませんでした。

石(中国) …同じことが中国についてもある程度いえますね。胡錦濤が訪日して、日中共同声明が出されましたが、そこではじめて、戦後の日本は平和国家であることを認めました。当然のことですが、これまではそんなことをいったこともなかったんですね。中国もこの1、2年で、日本に対する軍国主義批判一色の宣伝から、多少は変わったといえます。…

中国と韓国が滅茶苦茶な歴史観で日本を叩く、ああいう時代がちょっと変わってきたんですね。ですから、日本は堂々というべきことを中国、韓国にいっていかなくてはならないんです。これをしなければ、また元に戻ってしまいますよ。


石(中国) …毛沢東時代の抗日戦争の映画では、日本人の悪さとか残虐さとかをそれほど強調することはありませんでした。それよりも、中国の共産党軍がいかに勇敢でいかに賢いかという、中国共産党軍を褒め讃えるための、まあ引き立て役みたいな位置づけで、日本国・日本軍はいかに馬鹿で愚かなのかとやっていたんです。ですからあの時点では、中国人にはほとんど反日感情はなかったですね。滑稽化、ピエロ化して馬鹿にする対象ではあっても、憎しみの対象ではありませんでした。

そうして毛沢東時代に作り上げられた日本人像は、図々しくて、下心いっぱいで、したたかだというものです。一般の日本人の性格とは正反対なのにね。ある意味では、漢民族のマイナスの自画像を投影させて作り上げた日本人像だともいえると思います。

黄(台湾) …台湾の反日教育はあまり効果を生みませんでしたね。なぜかというと、学校で反日教育を受けても、家に帰ってから修正されるメカニズムがあるからです。親の世代が、我々の過去の経験からすれば、学校で教えていることとは違うと修正していくんです。…

…台湾が親日的な理由の一つとして、戦前の日本の教師をみな尊敬していたということがあるからです。

呉(韓国) …韓国でも日本は悪い、怖いというだけではなく、レベルが低い、下品だという、いわゆる侮日意識がとても強くあります。歴史的にいえば、…韓国では反日よりも先に侮日があったんです。


黄(台湾) …日本の戦後教育には、苦言を呈したいことがいっぱいあります。一つは…愛国教育とまではいかなくとも、せめて亡国教育はやめるべきだと忠告します。

もう一つは、国家否定の教育です。…世界市民というのは、たしかに理想かもしれません。しかし、現実にはあり得ない存在です。誰もが、現にある国家の中で生きているのに、国家を無視、否定するような教育はやるべきではないといいたいですね。

石(中国) …問題としたいのは、戦前に日本はいかに悪いことをしたかという観点での教育です。おそらく、自分たちはいかに悪いことをしたかを内容とする教科書がある国は日本だけでしょう。

まだあります。それは、世の中や世界の厳しさというものを、ほとんど教えていないということです。…若い人と話をしていて…世界に対してなんて甘い幻想をもっているんだろうと感じることがたびたびです。


黄(台湾) 我々儒教国家の若者の夢の育て方は、日本とは大きく違うんですね。儒教国家の伝統の一つは、もつ夢がやたらにでかいことです。…呉さんが韓国でもそうだと書かれ…中国や台湾に限らず、韓国もやはりそうなんだ…。

日本ではどうかというと、…なぜもっと大きい夢を育てないかと思うほど、…逆方向なんですよ。

呉(韓国) 育てるというよりも、生れ落ちて自分に気づいたときには、もう夢に限らず、大きなことを語るのが当たり前になっているんです。大人が喜ぶ顔を子供は見ていますからね。…

韓国人の場合、いくら大風呂敷を広げた夢を語っていても、実際には夢はどんどん萎んでしまっていて、ほとんど現実性がないと自覚はしているんです。それでもなお大きな夢を語ろうとする。なぜかというと、自分はそれほどスケールの大きい…とアピールしたいからなんです。…日本人からすれば誇大妄想みたいに見えてくるでしょうね。

石(中国) それが儒教文化だということに尽きますね。大きな夢の背景にあるのは多分、儒教書の「大学」で説いている「修身、斉家、治国、平天下」という考えなんですね。まず自分の身を修める。次に家を整える。しかしそれだけでは満足しない。だから国を治める。…天下を平らげる。

…社会主義の紅衛兵の夢と、私たち民主化の世代が語る夢と、本質は一緒です。…ようするに、天下国家の問題を力でやろう、行動に現していこうということでは同じなんです。

しかし、紅衛兵は毛沢東に騙されて、私たちは鄧小平に騙された。…今の若者にとって天下国家はどうでもよくなり、逆にアメリカ型の資本主義的な発展が夢になったんです。


 いかがでしたでしょうか。

 小生思うに、教科書をはじめとする歴史認識問題で、日本は叩かれまくっていますが、日本がしている歴史認識は、黄(台湾)氏がおっしゃるように“おそらく、自分たちはいかに悪いことをしたかを内容とする教科書がある国は日本だけでしょう。”であって、たいていの国は、呉(韓国)女史がおっしゃるように“史実の巧妙な捏造・改ざんによって、日本は…韓国を暴力的に支配・収奪する悪政の限りを尽くした…”という他国批判に終始しているのです。
 日本人はなんとお人好しか、なんて甘い幻想を持っている民族か、ということになるのですが、黄(台湾)氏がおっしゃるように“
せめて亡国教育はやめるべき”であって、急激にグローバルな社会になってきたのですから、それに埋没した世界市民などという意識を持つのではなく、逆に、しっかりとした国意識を高めないことには、日本は滅亡への道を歩むことになってしまうのではないでしょうか。
 石(中国)氏がこうもおっしゃっています。
 “現実認識なしにそんなことを教えていると、無力な国民、国際社会の困難の実際的な対応ができない民族になってしまいますよ。他の国が攻めてきたらどうするんですか。この調子だと両手を上げて降伏する以外にないわけです。…この国の…民族はいつの日か沈んでしまうしかないですよ。”

 小生は随分前に知ったことですが、”侵略は正しい”としか考えない漢民族ですから、石(中国)氏がおっしゃることは間違いないでしょう。
 ここは180度立ち位置を変えて、“日清戦争は正しかった、日露戦争は正しかった、支那事変は正しかった、それに続く大東亜戦争も正しかった。”という歴史認識を、自信を持って日本は表明すべきでしょう。

 トンデモナイことを言うとお叱りになる方もいらっしゃいましょうが、これらの戦争は、白人欧米列強による全世界植民地支配に対して、唯一有色人種の日本が果敢に挑んだ主権確立行動であり、日本は先の大戦で敗北したものの、日本の行動がアジア・アフリカ諸国を目覚めさせて世界の全植民地を独立に向かわせたのであって、その功績は多大なものがありましょう。
 加えて、日本が併合した台湾や朝鮮その他ミクロネシアの島々におけるその支配形態は、白人列強の支配形態とは真逆のやり方であり、つまり、知識人階級を抹殺するのではなくそのまま重用し、産業基盤を破壊するのではなく近代的に整備し、教育を受けさせないのではなく学校教育を大きく普及させるなど、大筋において感謝されこそすれ、決して恨まれる筋合いのものではないでしょう。

 現に、台湾の各地、ミクロネシアの島々においては、今でも戦前に日本が行った行為について感謝し、それを子孫に語り継いでいる所が非常に多いのですから、少なくとも日本の今日の歴史教育において、これらを正しく伝えていかねばなりません。そして、韓国に対しても、先に呉(韓国)女史が紹介された新しい教科書「韓国近現代史」を少なくとも全面採用させ、日本は戦前において韓国の近代化に大きく貢献したことを認めさせる必要がありましょう。

 日本が外国と戦争した歴史をさらに遡れば、16世紀末の秀吉の朝鮮出兵「文禄・慶長の役」なり、4~6世紀の朝鮮進出「任那日本府」ということになりましょうが、そのとき中国大陸は、明なり、晋や南北朝の時代であり、そことの関わりもあるようで、その評価(戦争、侵略)はその時代時代における国際感覚でものを言わねばならないでしょう。

 その中で見落としてはならないのが「任那日本府」の歴史的役割でしょう。この時代に、その理由はよく分からないのですが、「渡来人」が朝鮮そして中国から日本に数多く入ってきて、東洋最先端の多くの科学技術、思想(仏教)、貨幣経済制度といったものを日本にもたらしてくれたのは事実です。

 先に引用した呉(韓国)女史が示された「古代では、三国時代(百済・新羅・高句麗、4世紀~7世紀)に高度な文化が栄えていたのに対し、日本は文化のない野蛮国だった、その日本に高度な文化を伝えてやったという記述」は当っています。もっとも日本はその当時、決して野蛮国ではなかったですけどね。なお、「任那日本府」はその存在からして明確ではなく、どう機能していたのか分からないことが多いようですが、小生思うに、渡来促進に「任那日本府」が大きく関わっていた、と言っていいのではないでしょうか。
 いずれにしても「渡来人」によって日本の文明基盤が全部整い、その後の日本は自力でもって大発展し続け、すぐに中国・朝鮮と肩を並べ、いや、それ以上の文明国にとうの昔になれたのですから、隣国の中国・朝鮮に敬意を表し、その恩を忘れてはならないのです。

 小生は技術屋出身であるがために、技術に関する歴史文化を興味深く調べていくと、今日の科学技術大国・日本の始まりは「渡来人」から伝承された各種の職能技術であるとしか思えず、このことをしっかり認識しておかねばならないと思うのです。


 最後になりますが、黄文雄(台湾)、呉善花(韓国)、石平(中国)の御3方による対談「日本人は中国人・韓国人と根本的に違う」の教育編を読んだところ、反日教育がいかにも度が過ぎていましたから、本を読んだ直後は怒り心頭といったところでしたが、“我々日本人の歴史認識は、こうだ。その時点時点での正しいことをした。そして、大昔に「渡来人」を送り出してくれた朝鮮・中国に今でも感謝している。”と、自分なりに隣国との長い長い付き合いの歴史を再総括し、心の平静さを取り戻したところです。
 グローバル社会の到来により、隣国とはこれからますます接触機会が多くなることでしょうから、歴史認識を語るにあたっては、友好関係を樹立する上においても、まずもって過去においてどんな恩を受けたのか、これを互いに忘れないようにしたいものです。


 ここまで長々と本を引用したり、また、小生の思いを綴ってまいりましたが、読者の皆様には最後までお付き合いいただき、有り難うございました。どれだけかの参考になれば幸いです。
 なお、本書には他に1、2編ありますが紹介は割愛させていただきます。1冊購入され、お読みになるのをおすすめします。日韓中台の文化の違いを総論的に把握するのに便利です。
(注) 本書は2008年に発刊された「帰化日本人」を2013年に改題・訂正した新版。徳間書店:1000円(税別)