南海トラフ地震が起きるのは今から30年後以降 | 永築當果のブログ

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ブログを8本も立て、“物書き”が本業にならないかと夢見ている還暦過ぎの青年。本業は薬屋稼業で、そのブログが2本、片手間に百姓をやり、そのブログが2本、論文で1本、その他アメブロなど3本。お読みいただければ幸いです。

 先日、南海トラフ地震の被害想定が出されました。

 その発生確率は?、多分新聞に出ていると思いますが、嘘っぱちですから目を通していません。小生が知る情報では、2年前の次のものです。


 文部科学省の地震なんとか本部の公式見解によりますと、巨大地震の発生確率は、駿河湾を震源とする東海地震が今後30年間で87%、終戦直後の東南海地震の再来は今後30年間で60~70%とのこと。なお、これと連動して起きる南海道地震の再来は?(小生の手元資料になく申し訳ありません)。


 この公式見解は全て嘘です。このブログの過去記事(2011.05.07)で、それを説明しました。詳しくは、下記をクリックしてご覧ください。

 http://ameblo.jp/nagatukitouka/entry-10884224182.html


 その過去記事を要約し、図などを補足して再度説明することにします。

 小生は、今から約30~35年前(“東海地震が明日にも起きる”と言われ出した頃)に6年間にわたって地震防災行政に携わり、幾つかの大学の地震学者からご教示賜りました。

 その中で提示されたのが、下記の図です。地震学者によって、震源の認定に多少の差がありますが、概ね一致しています。


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 この図の説明を当時の地震学者の方々は次のようにおっしゃっておられました。


 静岡から高知にかけての太平洋側では、巨大地震が100年から200年ごとに1回起きているのは古文書から明らかなことで、どの辺りを震源とし、どの程度の規模の地震であったのかがほぼ分かっています。ただし、古い地震ほど古文書の逸失で想像しにくく、おぼろげになりますが。

 いずれにしても、その記録からでは、駿河湾だけを震源とする地震は過去に一度も起きていないし、他が動いても駿河湾は動かなかったことも多いです。

 終戦前後の東南海地震と南海道地震からまだ何年も経っておらず、その再来…そのときに東海地震も?…は、随分先になると考えるしかないです。

 じゃあ、その再来はいつになるかと言うと、2040年代は終戦から100年になり、その頃に起きるかもしれない。でも、それ以降の100年間、何も起きないかもしれない。

 本当のことを言うと、こうなんですよ。ですから“東海地震明日にも論”は間違っています。


 いかがでしょうか。

 約30~35年前の地震学者(東大地震研を除く)の見解が正しいのか、今の地震学者(大半)の見解が正しいのか、皆さん個々にご判断ください。

 なお、小生は、「終戦直後の東南海地震の再来は今後30年間有り得ない」という考えを持っているのですが、公式見解では「60~70%」と高くなっている理由として、これは、約30~35年前に東大地震研の学者が言っていたことでもあるのですが、次のものがあります。

 “終戦前後の東南海地震と南海道地震の規模は、その前の安政地震に比べて小さく、エネルギーが完全には放出されていない。よって、その再来は近い。”


 よくもこんなことが言えたものだ、とあきれます。

 このことに関しては、学問上、全く分っていないことなんですからね。単に危機感を煽っているだけで、これが学者の発言すべきことかと、情けなくなります。

 地震の長期予知技術は、その昔と何ら変わることなく、不可能な状態にあるのですから、上に掲げた図から判断するしかないのです。そして、古文書の再発掘を行い、その精度を高めることが、巨大地震への備えを行なう上で一番重要なことになりましょう。


 蛇足になりますが、東海地震が単独で起きない原因としては次のことが挙げられます。

 東南海地震と南海道地震を起こす南海トラフでは、海洋プレートが直角に潜り込んでいるからエネルギー蓄積が大きく、それの吐き出しが頻繁になるのに対して、駿河トラフには斜め45度の力しか加わらず、エネルギー蓄積が半分になる。よって、駿河トラフは、平均して2回に1回の頻度で、南海トラフにつられて動くことになる。
 上図から、そのように判断されると思うのですが、いかがなものでしょうか。


(2018.6.21追記)

 このページで過去の南海トラフ地震を図示しましたが、これは古文書の記録から総合的に推定されたもので、併せて、その規模(マグニチュード)も比較的新しいものは推計されています。でも、時代を遡れば遡るほど古文書の記録は少なく、おぼろげになっていきます。

 そこで、近年は、南海トラフ地震に津波が付き物ですから、津波の痕跡の調査研究が進んでいます。

 その1例が、今日のネットニュース(毎日新聞配信)が出ていましたので、それを下に貼り付けておきます。

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180621-10000001-mbsnews-l27&p=1


 でも、いずれアクセス不能となるでしょうから、以下にコピーしておきます。


南海トラフ地震の「スーパーサイクル」とは? 次は超巨大津波の可能性も

6月18日に起きた大阪府北部を震源とする大きな地震は、次の南海トラフ地震の「予兆」ともいわれています。その南海トラフ地震をめぐって今「スーパーサイクル」という言葉が注目されています。大地震は数百年に一度、周期的に起きているとされていますが、実はその何度かに一度は東日本大震災のような巨大地震を起こす周期があり、そのことを「スーパーサイクル」と呼ぶのです。近畿に大津波が襲うことになるかもしれない南海トラフ地震にも、この「スーパーサイクル」があることが最新の研究でわかってきました。

「スーパーサイクル」とは?

7年前、東北沿岸部を中心に大津波が襲った東日本大震災。M9の超巨大地震。誰も想像すらできなかった時期に発生を予測していた研究者がいました。過去の地震と津波を研究している産業技術総合研究所の宍倉正展さんです。

「地層から想像していたものが現実になってしまった」(産業技術総合研究所・海溝型地震履歴研究グループ長 宍倉正展さん・2011年)
東日本大震災が起きる7年前から、西暦869年に宮城県沿岸を襲った「貞観地震」に注目していました。宍倉さんが古文書に残る史実と過去の津波の跡などを調べた結果、貞観地震と東日本大震災の津波の被害が驚くほど似ていることに気付きました。そして導き出したのが地震の「スーパーサイクル」だったのです。
「仙台の平野の地下に眠る過去の津波の痕跡を調べていた。西暦869年に貞観地震という歴史記録にも残っているが、その津波の痕跡が内陸3~4キロまできているということがわかり、それが500年~1000年の間隔で繰り返し重なっている」(産業技術総合研究所・海溝型地震履歴研究グループ長 宍倉正展さん・2018年)

南海トラフ地震にもスーパーサイクルが

そんな宍倉さんがいま注目しているのが南海トラフ地震です。
Q.南海トラフにもスーパーサイクルはある?
「そういうことをいってもいいのかなと思っている」(宍倉正展さん)
宍倉さんが目をつけたのが、紀伊半島の南端にある和歌山県串本町の国の名勝「橋杭岩」。

「周辺には大きさ1メートル以上の岩が散らばっていて、過去の大津波で流されきたと考えられています」(太田尚志記者リポート)
橋杭岩の周辺には岩石が1000個以上散らばっていて、宍倉さんは岩石に残された貝殻など年代測定をすることで、いつ岩石が津波に流されたのか、つまり大津波がいつ発生したのかを調査しました。

南海トラフ地震は、静岡県の駿河湾から九州東方沖まで続く海底を震源に繰り返し起きている巨大地震です。その周期は100年から150年とされていて、前回は戦前の1944年と1946年にM7.9とM8.0の地震が起きています。その90年前の江戸時代、安政期にはM8.4の地震が2つ続けて発生。さらに、約150年前の江戸時代・宝永期には3つの震源域が同時に動き、過去最大級のM8.6の地震を起こしたことがわかっています。南海トラフ地震はその大きさや発生時期にばらつきがあるのです。
宍倉さんが橋杭岩の貝殻の年代測定をした結果、宝永地震を起点として遡ると約400年から600年周期で大規模な地震による大津波が複数回起きていることを突き止めたのです。

「前回のスーパーサイクルの巨大地震は宝永地震かもしれない。次の南海トラフ地震は(宝永・1707年から)300数十年(経ったとすると)、(400~600年周期に)短いかもしれないが、(スーパーサイクルに)なってもおかしくない」(宍倉正展さん)

池の堆積物は“津波の履歴”

「いまだいぶ、池の中に草が生えてきて、向こうハスが生えてきているが、あのハス生えてくると、もう南海地震が近いです」(高知大学 岡村眞名誉教授)

もう一人、池の堆積物などの調査によって、南海トラフ地震にスーパーサイクルがあると考えている研究者がいます。高知大学名誉教授の岡村眞さんです。
「この5メートルの堤防の地形を10メートルを超えるような大津波が来るというのは、300年とか350年に1回」(岡村眞さん)
岡村さんらの研究グループは、西日本にある約30か所の湖や沼に残された津波堆積物を調べました。過去3500年にも及ぶ南海トラフ地震の津波の履歴です。
「蟹ヶ池の柱状資料のコアです」(岡村眞さん)
岡村さんは池の底からとれた植物の化石などの堆積物から、過去に起きた津波の年代などがわかるといいます。

「木の葉がたくさん入っている、木の葉が全部化石ですね。これが年代を測る基本となる。これがだいたい3000年の池の歴史です。ここが池の底になっていて、これから下に古い方にいきます。ここに見えているのが、“宝永(津波)”の砂です」(岡村眞さん)

2000年前の超巨大津波の痕跡

これらの津波堆積物から、岡村さんは宝永地震クラスの津波よりもさらに規模の大きい津波が起きるもう一つのスーパーサイクルがあることを導き出しました。

「宝永クラスというか、15メートルクラスの津波がきているが、そういうものはだいたい300年~350年に1度くらい来る。でもそのクラス以上のものが700年に1度きている」(岡村眞さん)
また、岡村さんの調査でわかったことは、これだけにとどまりませんでした。その事実を見つけたとき岡村さんは驚愕したといいます。
「ここに…厚いですよね。もうほんとうに70センチ以上ありますよね。これが2000年前の超巨大津波の痕跡になります」(岡村眞さん)
15メートルの津波を起こしたとされる宝永地震の堆積物の厚さは30センチほどでしたが、岡村さんらが見つけた2000年前の堆積物はなんと倍以上の70センチもあったのです。

「宝永をはるかに超えるものが歴史的につかまった。われわれは初めて見つけたんだ、ちょっと興奮しました」(岡村眞さん)
今年5月の学会でも、岡村さんらの成果が発表されました。
「プランクトンとか化石をみると、砂が厚い。サイクルがあるんです」(岡村眞さん)
当日、産業技術総合研究所の宍倉さんも姿を見せました。
「100年200年の歴史地震とは何かが違う。もうひとつの大きなサイクルがあるのではないかというのは間違いない」(産業技術総合研究所・海溝型地震履歴研究グループ長 宍倉正展さん)
「数百年だけの歴史をたよって最大だろうとか、宝永が最大だろうとかいうのはやめた方がいい。それは必ずしも最大のものではないと考えなければいけない。自然からの警告だと思う」(高知大学 岡村眞名誉教授)