フジテレビのドラマ “結婚しない” [ 論文:男と女の不思議 <コーヒーブレイク>] | 永築當果のブログ

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ブログを8本も立て、“物書き”が本業にならないかと夢見ている還暦過ぎの青年。本業は薬屋稼業で、そのブログが2本、片手間に百姓をやり、そのブログが2本、論文で1本、その他アメブロなど3本。お読みいただければ幸いです。

 昨日12月20日に最終話を迎えたフジテレビのドラマ“結婚しない”の結末がどうなるか、興味深く見させていただきました。

 我が娘が独身のアラフォー世代なものですから、毎回のように見入っていたのですが、チャンネルの主導権が女房にあり、新聞のテレビ欄を全く見ない小生ですから、ドラマの題名を知ったのは、この記事を書く段になってからです。

 題名が“結婚しない”ですから、やはり結末も結婚しないことになったわけでしょうね。小生は、それを知らなかっただけに、より楽しませていただけました。


 その結末は2つ。1つは、大学教授(小市漫太郎)のプロポーズを受け入れた春子さん(天海祐布)ですが、教授が持ってきた婚姻届を「私たちには関係ないわね」と無視し、同棲生活でよしとすることにしてしまいます。もう1つは、千春(菅野美穂)と純平(玉木宏)は相思相愛の恋が実ったものの、千春は「結婚しない」と明言し、春子さんからもらった婚姻届を純平と2人で紙飛行機を作り飛ばしてしまう。

 主題歌がコブロクの「紙飛行機」であるところが、また面白い。うまく最後の場面を設定したものだと感心しました。


 通常であれば(今までであれば)、この2組のカップルは目出度し目出度しで婚姻届を出し、結婚するということになるのですが、ともに、「同棲」する(ただし、千春と純平は当分の間遠距離恋愛)が、「結婚」はしないという道を選ぶことになりました。教授は別でしょうが、他の3人は、自分の仕事に磨きをかけて自分の進むべき道を行こうという意欲があるから、そうしたいということになったようです。


 ここに、現在の結婚観が現れているように思うのですが、女が自立できる仕事を持てば、女の側からは現行法制度の「結婚」(そして、それに伴う夫婦の役割の社会道徳)というものに抵抗を感ずるのは理解できます。

 また、子ができた場合における、子のハンディーというものも、昨今シングルマザーが増えてきたことにより、結婚という法手続きをしなくても、さほど問題にはならないでしょう。

 こうしたことから、結婚というものの姿が今後大きく変わっていくのを感じさせる、よいドラマであったと思えます。

 そして、家族というものも、変わって来そうです。春子さんのマンションに血縁関係のない千春が間借りしての共同生活というものは、新たな家族の形態とも言えるでしょう。


 さて、男と女が結ばれている間は、法的に結婚していなくても格別に問題ないでしょうが、別れるとなった場合においてはどうでしょうか。

 男と女が永遠にペアの形で結ばれ続けるというのは、動物生態学的に見てみると、霊長類であるヒトという種にはかなり難しいようです。ヒトには、せいぜい期間限定の配偶婚が相応しいようで、実際に、何年か前ドイツの国会議員が結婚は7年間の限定にすべきとの法案を出そうとしたくらいです。

 ヨーロッパにおいては離婚率は高く、日本も同様な傾向にあり、別れるということは今後増えていくでしょうから、法的に結婚していない場合における関係解消時の問題が出ないようにしておかねばなりませんね。

 これは、共有財産の分割と子の扶養の2点が大きな問題となるでしょう。これについて、法的制度がどの程度整っているか、不勉強で分かりませんが、何か女に不利になるような感がします。ちゃんとした救済制度ができるのが望まれます。


 ところで、法的に結婚していない2人が別れる大きな要因として、浮気がありましょう。法的に結婚している場合においては、浮気した方に非ありで、慰謝料を支払わされるのが一般的ですが、法的に結婚していない場合にあっては、その請求は難しいでしょうね。

 でも、それでよいではありませんか。動物生態学的に見てみると、霊長類であるヒトという種は、チンパンジーと同様に、そもそも複雄複雌群を形成し、言葉を変えて表現すると“多夫多妻”の形態を取っていたのですからね。また、近縁のゴリラにあっては一雄複雌群を形成し、つまり“一夫多妻”ですが、メスは魅力的なオスが近付けば群渡り、つまり浮気することがよくありますから、特定の異性だけと関係を持つものではありません。

 こうしたことから、法的に結婚していない2人のうちのどちらかが浮気したとしても、これに腹を立てることなく、許す心を持って接すれば、直ちに関係解消ということにはならず、そのままで、あるいはどれだけか形を変えて関係が続くことにもなりましょう。

 それを可能にするには、男・女ともに浮気をすることでしょう。

 こうしたことが一般的すれば、それは“多夫多妻”であって、ヒト本来の社会形態である複雄複雌群の形成ということになり、男・女ともに余計なストレスを抱えなくて済むようになりましょう。

 そして、辞書の中から“浮気”、“嫉妬”という言葉がなくなることでしょう。

 そうなることによって、男女の関係は、ヒト本来の平和で安寧なオス・メスの関係になるのです。

 それが待ち望まれるのですが、実は、つい最近まで、そうした所があったのです。

 それは、男たちが夜這いに出かけ、女が家督を相続(形式的に男とする場合もあり)して、生まれた子は誰が種を付けたか分からないという社会(一般的に大家族)でして、これは、明治時代まで日本全国各地の農村にちゃんとあって、東北地方のある地域にあっては戦後暫くの間までこれが続いていたのです。

 こうした社会への復帰、これが遠からずやってくるのが待たれます。


 少々飛躍しすぎましたが、そうしたことを連想させるドラマ“結婚しない”でした。

 できれば続編で、結婚しない2人が互いに浮気しつつも、“別れない”というドラマを創っていただけると有り難いものです。


 小生の論文「男と女の不思議」シリーズを綴る中で、コーヒーブレイクとして、このページを書かせていただきました。