高校野球、ちょっといい話。

第100回全国高等学校野球選手権記念大会、いわゆる「夏の甲子園」は56代表全て決まりました。
明日8月2日に組み合わせ抽選、5日に開幕を迎えます。

愛知県からは“東愛知大会”からは「愛産大三河」が22年ぶり2回目、“西愛知大会”から「愛工大名電」が5年ぶり12回目の甲子園出場となりました。

まずは地元愛知県のチームを応援したいし、がんばってほしいと思います。
同時に地元の選手やご縁のある選手やチーム、またがんばっている、感動エピソードなどがある選手やチームを応援したくなるのも高校野球の魅力のひとつかと思います。

昨年、野球部マネージャーだった娘はチームメイトのお陰で夢であった甲子園に行くことが、甲子園のグランドに立つことができました。

一回戦の対戦相手は広島県代表「広陵高校」
試合は先制するものの中盤に逆転され、でも終盤には猛烈な追い上げを見せ、最後まで熱く感動的な試合でしたが、残念ながら惜しくも敗れてしまいました。

勝利した広陵高校はその後、快進撃を続け、決勝まで進み、決勝では敗れたものの準優勝を果たしました。
広島カープにプロ入りした中村奨成選手の1大会6ホームランの甲子園新記録と共に記憶に残っている人も多いかと思います。

昨年もお伝えしましたが、娘は広陵戦に敗れた後、純粋に自分のチームに勝った広陵には自分たちの分までがんばってほしい、そんな純粋想い、仲間の想いも含め、広陵の応援に甲子園に行きました。

高校野球の地方大会をはじめ様々なスポーツなどでよく見られる、負けた後でも相手チームを讃え、がんばってほしい、応援したいと多くの人が持つ想いや気持ちを娘なりに自然にそうさせたのかと思います。

スタンドの広陵野球部の3年生とのご縁もあり、応援団の輪に入って一緒に応援してほしいと言われ、応援の中心で一緒に一生懸命応援しました。


2回戦も勝利した広陵。
2回戦の応援の後に「決勝戦」に応援に行きますと互いに約束をした娘。

広陵は勢いそのままに決勝まで進みました。
約束を果たしてくれた広陵に、娘も約束を守るため、ある意味それ以上の強い気持ちで当然のように決勝戦にも応援に行き、応援団の輪に入って応援しました。
広陵は決勝では敗れはしましたが、ただ、娘はもうひとつの甲子園を経験、広陵高校野球部との小さな絆が芽生えました。

まずは何よりチームメイトのお陰で甲子園のグランドに立てたことを一番として、こうしたグランド外での温かいできごとも含めて、昨年夏の娘はまちがいなく「自分史上、最高の夏」なりました。

実はこの話にはまだお伝えしたことのないたくさんの“続き”があります。

甲子園の決勝戦が終わりちょうど1週間頃に娘宛にひとつの段ボールが送られてきました。

差出人はなんと「広陵高校」
段ボールを開けてみると、な、な、なんと、
広陵高校野球部の「中井哲之」監督から。
「中井監督てベンチ入りメンバー全員の直筆サイン(名前)が書かれた記念ボール」と
「広陵野球部のタオル」
そして「中井監督からの一筆箋に書かれたお手紙」が入っていました。

手紙の宛名には娘の氏名が書かれており、
「お疲れ様でした。あなたの本気度に心が打たれました。原点に帰って野球ができそうです。“ありがとう”中井哲之」
とありました。



単に驚いたとか思いもしないことでは薄っぺら言葉になってしまうくらい、適切な表現、言葉がでてきませんが、とにかく、全く予想も想像もしないような出来事でした。

中井哲之監督と言えば、甲子園にも何度も出場、プロ野球選手も多数輩出している、全国的にも有名な「名将」と称えられる監督です。

そんな名将の中井監督が、練習試合、地方大会、甲子園も含めて何校とも何十試合もしている中で、甲子園でも決勝まで6試合もしている中で、(誤解を恐れず敢えてこういう言い方をしますが)単にひとつの対戦相手にすぎない、しかも選手ならともかく、いちマネージャーに対して、わざわざ、手間や時間をかけてまでここまでのことをするなんて⋯
なかなか誰でもできることでは、いや、普通はしません。できるものではありません。
普通はしません。普通はこんなことはありません。

それに名将監督がいち対戦相手のいちマネージャーに対して「原点に帰って野球ができそう」とか「ありがとう」などなかなか言えるものではありません。

普通ではありえない、考えられないことです。


しかも、甲子園の決勝が終わり1週間、挨拶や新チーム作りなど一番忙しい時に、わざわざメンバーに名前を書かせて、自らも手書きで手紙を書いて、わざわざ送るなんて⋯。

驚きとか喜びとか感動とかでは表現できないような感情、気持ち。

野球の技術以上に人間教育、人間形成、人づくりに重きを置いていると聞く中井監督だからこそのこと。
その中井監督の監督として、教育者として、人としての大きさ、温かさ、素晴らしさ、まさに真の「名将」を直で感じることができました。

もちろんこの「お手紙」「ボール」「タオル」は宝物として大切に飾ってあります。

更に続きがあります。

もちろん娘はこの中井監督のして下さったことに対してすぐ様、御礼の手紙を書きました。
普段手紙など書いたことない娘は何時間もかけて娘なりに便箋10枚程に想いを感謝や想いを綴り、それを失礼や誤りがないように国語の先生に添削してもらい最終的に便箋5枚程度にまとめた御礼の手紙を送りました。

その手紙は広陵野球部の寮の掲示板にしばらく貼られていたそうです。

そんなこともあってか、娘はすっかり全広陵野球部員は知られ、そのこともあってか、卒業が近づいた頃に今度は、ベンチ入りできなかった3年生部員全員の名前が入った「ありがとう」と書いてある色紙が娘のもとに届きました。



これも中井監督の下で育った選手たちだからこそできることだと思います。

更にまだ話は続きます。

高校を卒業したこの春。
娘はひとりで広島の広陵高校に行き、中井監督とお会いすることができ、約2時間、監督室でお話する、懇談することができました。

ここでも春の公式戦が間近に迫る忙しく貴重な時間にも関わらず、娘を温かく迎え、2時間も懇談して下さる中井監督の温かさ、大きさを感じることができました。
帰り際に中井監督から携帯番号を教えてくれたそうで、広島来たらいつでも寄ってこい、いつでも電話してこいと番号交換をしたそうです。

そんな娘と中井監督、そして広陵野球部とのご縁、ある意味芽生え「絆」
そんな感度秘話、ドラマ。

それがあの甲子園が終わった後も続いていました。

そして、この夏、広陵高校は昨年に続き「甲子園」出場を果たしました。

広陵が地方大会優勝、甲子園出場を決めた翌日の昼間、娘はおめでとうごさまいますとお祝いの気持ちを伝えたく、中井監督に教えてもらった電話番号に電話をかけました。

すぐに中井監督は電話に出られ、開口一番娘に「勉強がんばっているか!」と言われたそうで、それは裏返せば、きちんと電話が娘からであること、そして娘が浪人生であることなどきちんと娘のことを覚えていてくれたということです。
わざわざ電話に出て頂いたこと、そしてきちんと覚えていて下さったこと、本当にありがたいことです。

お祝いと共に甲子園に応援に行きますと伝えると「勉強の息抜きにな」と、浪人の身を気遣ってくれたみたいです。

娘はよほどのことがない限り、きっと今年も広陵の応援に甲子園に行くかと思います。
この夏もきっと娘はまた昨年とは違った形で甲子園で思い出を作ることができると思います。

甲子園が作ってくれた娘との中井監督、そして広陵高校との物語はまだまだ続くのかと思います。

ただ、忘れてはいけないのは、そんなきっかけを作ってくれたのが娘のチームメイトだということ。
そんな娘に育ててくれた監督さんとチームメイトのお陰であるということです。

甲子園に連れて行ってくれたこと、そして娘が広陵に応援にいくことも背中を押してくれました。

広陵の応援に行った際にも監督さんからすぐに「俺たちの分まで応援ありがとな!」と娘のもとにわざわざ電話をして下さりました。

そして主将をはじめチームメイトから「俺たちの分までありがとう」「おつかれ」などのメッセージをくれました。

決勝戦前にも監督さんからは「広陵の応援に行くんだろ!俺の分もしっかり応援してくれな!」と温かい声を掛けて頂き、主将、副主将を始めチームメイトからも「どうせ行くんだろ⁉︎」「俺たちの分まで、応援頼むな!」「お土産頼むな!」「中京Tシャツで応援してこいよ!」などたくさんの仲間が背中を押してくれました。

そんな熱く温かく理解のある監督、仲間がいるチームだったからこそ娘の人間が形成され、だからこそ、こうしたすべての感動秘話、物語が誕生したのだと思います。

まずは何より良き指導者、良き仲間に恵まれたことを感謝したいと思います。

すべてに恵まれ、本当に娘は幸せ者だと思います。

グランドでもまたグランドの外でもこうした感動的なドラマ、物語があるのが、甲子園であり、高校野球。

第100回目を迎える今年の夏の甲子園。
今年も全選手それぞれの、たくさんの感動的な物語、ドラマが生まれると思います。

明日の組み合わせ抽選から新たななドラマが始まります。

熱い夏、楽しみにしています。