マイリズムで踊れ!! -2ページ目

マイリズムで踊れ!!

自己中心、自己満足。 自己本位に、自己解決。

この前の週末に法事があった。

その時に焼香をする機会があったのだが、

そこで思わぬハプニングが。

 

自分の番になって焼香を前にする。

焼香を指でつまむ。

 

 

ん?

 

 

え?

 

 

 

 

 

熱っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

なんと間違えて、燃えている方をがっつりつまんでしまった。

人目はばからず思わず叫んだ。熱っ!熱っ!!

指が焼けるように痛い。

というか焼けてるし。

 

その後のことは熱すぎてほとんど覚えていないが

何とか根性で焼香をやり直し、

すぐさま端に行って持ってた麦茶を手にぶっかけた。

熱いよう・・・ジンジンしてるよう。

見ると早くも水ぶくれのようになっている。

 

なんやねんあの焼香!

めっちゃ分かりにくいやん。

お寺の焼香だったのでやたら大きくてややこしい。

なんというか、燃えてない焼香(つまむやつ)を入れてある器と

燃えている方の器の大きさ・形がほぼ同じだ。

あれじゃあ、僕みたいにボーっとしがちな人間にとっては凶器だ。

 

お寺を後にして昼ごはんを食べに行ったが

そこではとにかく冷やしたいってんで

お冷をもらってそのコップにずっと手を突っ込んでた。

なんせ冷たいものにさらしてないと痛くてしょうがない。

お冷からサッと手を出してすぐさまお箸を持ち、

痛くなってくる前にご飯をかきこむ。

もぐもぐ。じーん。あ、痛!(水に突っ込む)・・・ふう。

こんな有り様。不便極まりない。

 

 

もしかしたら、故人が「調子に乗るでないよ!」

と戒めてくれたのかも・・・

なんて一応ポジティブに考えてはいるけど、

特に調子のったり悪さした覚えもないし、

今後も焼香を見るたびにイヤな気持ちになることは間違いないだろう。

 

 

皆さんも気を付けてくださいね!

 

 

会社が倒産してからもHさんとの交流は続いた。

梅田、心斎橋、なんば、江坂

色々なところに飲みに連れて行ってもらった。

自分はその頃は一人暮らしで転職を繰り返してたりしてお金が無かったが、

HさんもHさんで大変な時期だったのでお金はなかったはずだったが、

いつも必ず飲み代は全額出してくれた。

「出世払いで大丈夫ですよ!」

レジ前で赤い顔をして支払いをしながら、いつもHさんはそう言って笑っていた。

 

月日は流れ、僕が結婚したくらいから、

Hさんも気を使ってかあまり連絡してこなくなった。

もしかしたら仕事が軌道に乗り始めて忙しくしているのかもしれなかった。

お互いの近況も分からなくなってきていた2015年のGW、

久々にHさんから着信があった。

その時ぼくは連休で外出中だったこともあり、

また長電話になりそうな予感もしていたので出ずにいた。

Hさんのことだからまた後日改めて連絡くれる。

そんな年下の甘えで、その後こちらからあえてかけ直すこともしなかった。

 

それが良くなかった。

Hさんからの最後の連絡になるなんて

その時は思いもしなかった。

いや、思えるはずがないではないか。

 

その数か月後、

ほんとたまーーーにしか見ないフェイスブックにログインしたとき、

「○月○日はHさんの誕生日でした」との表示が目についた。

 

あー、そういえばHさんから連絡ないなあ。

元気にしてんのかな?

なんて軽い感じで彼のページを見た。

そこには、友人の方たちからHさんの誕生日を祝う

書き込みがいくつかあった。

あの人何歳になったんやろ?

そんな感じでいろいろ読んでるとふと気になるコメントが。

 

Hさん、誕生日おめでとう!

と言いたいところだけど・・・

そちらの世界はどうですか?

 

ん?

そちらの世界?

どういうことだろう。

すごく気になる。

ちょっと嫌な予感がして

コメントを書いたその見ず知らずの人に

メッセージを送って聞いてみた。

Hさん、何かあったのでしょうか?って。

 

数時間後、その人は親切に返信をくれた。

Hさんが7月に亡くなったこと。

葬式等は身内だけで済ませたこと。

友人だけで何かできないか考えていること。

 

僕はそれを何度も繰り返し読んだ。

でも何度読んでも信じられなかった。

あのエネルギーの塊のようなHさんが死ぬわけない。

あの人のことやからしばらく身を隠してるとか、

そういうドッキリ的なことやろと心から思っていた。

 

倒産した同じ会社だった人たちに連絡をとってHさんのことを伝え、
今後どうするかなどを話し合ったりした。

その後、いろいろ情報を集めるうちに

それが現実だということを受け入れざるをえなくなってきた。

 

 

去年の11月、Hさんの学生時代の友人たちが集まり、

ご両親の協力を受けてHさんの遺作展示会が開かれた。

僕は元同僚の数人と一緒に参加させてもらった。

そこにはHさんの死を惜しむ30~40人の友人知人が集まり、

彼が残した数々の作品を前に静かに語りあっていた。

そんな様子を見ていると誰もが彼のことを慕っていたということがひしひしと伝わってきた。

 

 

好きな言葉は「自由」だったHさん。

何からも自由になった今、そちらの世界はどうですか?

一度も飲み代ぼくにおごらせずに逝くなんてあんまりです。

Hさんが教えてくれたこのアメブロ、今でも細々と書いてますよ。

Hさんのブログもたまに見させてもらいますね。

 

本当にお疲れさまでした。

ありがとうございました。