今朝の報道番組で、前原代表が、「外交安保政策の党内意見集約に失敗したら代表選に出馬しないこともありうる」と発言したそうな。私は直接観ていなかったが、複数の記者から取材を受けて知った。

もちろん本人に確認したわけではないから、発言の真意はわからない。しかし、これは、あくまで不退転の決意で党内の意見集約に臨むことを宣言したものだと思う。彼は、9月以降のことは考えていない、と何度も語っている。残る任期に全力を挙げるという意味だ。党内の反対勢力がこれで勢いづいて、意見集約を撹乱しようなどと考えたら、それこそ国民からそっぽを向かれるだけだ。そんな愚かな輩はわが党にはいないと信じている。

さて、そんな中で、党籍を離れた横路衆議院副議長が、前原代表の集団的自衛権容認論を激しく批判しているようだ。余りに的外れな批判なので、この際きちっと反論させていただく。代表の「容認論」は、いわば集団的自衛権の「限定的」行使を容認しようとするものだ。範囲は、ミサイル防衛と周辺事態における対米協力。この考え方は、概念の明確化が必要ではあるものの、現行の政府解釈にも矛盾するものではないし、わが国の平和と安全を真剣に考えればどうしても必要な措置だ。以下、簡単に概念整理しておきたい。

憲法9条の解釈により、抑制的な自衛権行使の概念を導き出す政府見解によれば、憲法9条は以下のように解釈されている。「わが国が国際法上、国連憲章第51条による個別的自衛権および集団的自衛権を有していることは疑いないが、我が憲法の下で認められる自衛権の行使は、わが国に対する急迫不正な侵害に対しこれを排除するためと認められる必要最小限の範囲のものであるから、個別的自衛権の行使に限定される。すなわち、集団的自衛権の行使は憲法上許されないと解している。」

これは、急迫不正の侵害排除に必要最小限の範囲内であれば、集団的自衛権の行使も「限定的に」容認しうるものと読める。したがって、ミサイル防衛および周辺事態における対米協力は、憲法で制約される「一般的な」集団的自衛権概念(政府が採用してきた定義=「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘らず、実力を持って阻止する権利」)には該当しないと解することができる。

BMD協力には、つぎのようなフェーズが考えられる。①早期警戒情報の共有、②米国との指揮・管制・通信・コンピュータの共通化、③ミサイル防衛の実行。この中で、①②ともにミサイル防衛措置の決定はわが国独自に判断に委ねられており、情報の共有やC4(command, control, communications, and computers)機能などの相互運用性を最大限確保したとしても、政府見解により憲法が禁じているとされる「武力行使の一体化」には当たらない。

問題は③に関連してであるが、ミサイル防衛についての以下の特性から、憲法の要請する「急迫性」「必要最小限度」は担保されていると考える。すなわち、①北朝鮮や中国からのミサイル攻撃は、発射から10分程度の間で行われる、②有効な阻止は、できる限り発射直後に迎撃する必要がある、③日本への攻撃か、その他への攻撃かの判定は、発射直後には不可能(以上、急迫性)、④わが国開発・導入する迎撃システムは、中国やロシアのICBMには対応できない(必要最小限度)。

つぎに、周辺事態について、周辺事態安全確保法第一条は、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と規定している。このことから、同法に基づく周辺事態における対米協力(後方地域支援活動)にともない起こりうる、わが国近海等において共同行動中の米軍に対する急迫不正の攻撃事態に対し、これを(座視あるいは無視するのではなく)共同で排除することは、必要最小限の措置と解される。

このように、前原代表が容認しようとしている集団的自衛権の限定的な行使の範囲というのは、わが国の平和と安全(つまり、国民の生命と財産)を守るために必要最小限であることが理解いただけたと思う。何も、地球の裏側まで行ってアメリカにお付き合いしようなどと煽動しているわけではないのだ。これがご理解いただけないのであれば、わが国の国益に責任を持つ政治家とは言えないのではあるまいか。