『改国救世』サイトより -5ページ目

日本「共和党」の創設・・・その1

   「日本・共和党」の創設 (1)

     

   政党の党派性と政党間の分立基軸を明確にせよ!


  ★安全保障政策が政党分立の其軸である!
  ★憲法9条の「白紙撤回」と「安全保障条項銘記」を
  ★自民も民主も初めから出なおす事だ
  ★政界再編で「共和党」コンサバティブ保守と
民主党の

    リベラル民主主義の二大政党体制の構築を!
  ★有徳国家論・共和党と福祉国家論・民主党



■「日本に於ける二大政党制実現に関しての理想的な解決策は、自由民主党・民主党の両党から考えを共にする勢力が分派、再合流する事ではないか」。 (英国紙・フィナンシャルタイムズ08年1月6日アジア版)


■「今、自民党と民主党の本質的な違いを説明できる方がいるだろうか。 自民党で一昨年まで20年近く参議院を務めていた私にも明確な説明ができない。 民主党の中はバラバラで「非自民」以外に自民党とは別個の統一した理念、哲学を見つけることは難しい。 今の民主党と自民党の政策を見比べてほしい。 表現の仕方や緩急濃淡の違いはあるけれども、理念、哲学に大きな差など全くないのだ。‥小選挙区は枠が一つしかない。 現職がいるところに新人が乗り込んでゆくことなど不可能だ。 当然選挙区に出たい人は《空席のある党》から出馬することになる。小選挙区制になって以降、『政党とは』どちらが立候補しやすいかの道具立てに過ぎない側面が強まった。‥今回の選挙でも三割の自民党層が民主党に流れたとのこと。合計六割の影響があったことになる。 両党とも元は同根でいくらマニフェスト選挙と言っても両党とも中身にそう大差が無いらしいことに有権者は気づいているのだ。‥選挙区が小さくなり、選挙区のことは解かっても、自分の府県のこと、畢竟、小選挙区では、一国の外交・防衛政策や大局からの経済政策などのビジョンを示せる政治家はなかなか育ちにくい。‥ 小泉チルドレン、小沢ガールズの出現にまで至った。‥真の意味での『政界再編』が近づいた可能性が高いことは確かである。


■(特別企画/現代を考える/『文芸春秋』09年11月号「歴史のIF」
★「中選挙区制のままならば」 / 前参議院議員 片山虎之助)


本論主項目

1、「自由民主党」は立党の使命に復帰せよ!

★保守傍流・吉田「自由党」と「自由民主党」
★自主憲法の制定・日米同盟堅持は保守自民党の中核使命である!
★保守正流・『日本共和党』創設の意義<その・1>

1)自由民主党立党の誓いとは
2)立党の誓いを忘却した自由民主党
3)リベラル化、左派・民主党化した「自由民主党」
4)平成のダブル保守合同で政界再編を完結せよ!


2、あいまいな日本とその政党
★安全保障・外交政策の大局一致の必要性
★憲法9条改正が急務である。
★保守正流『日本・共和党』立党の意義<その・2>

1)和を持って尊となす
2)あいまいな憲法9条に問題あり
3)みんなみんな「民主党」
4)あいまいさの極致・党派性なき政党
5)自由民主党命名の経緯


3、共和主義を考える
★個人主義・リベラリズムを超えるもの
★「天民家族主義」「共生共栄共義主義」「共和主義」
★保守正流・「日本・共和党」創設の意義<その3>

1)近代主義、個人主義
2)保守主義、共和主義について
3)東洋的「天民主義」「天民家族主義」の時代


4、保守二大政党制確立への分立基軸
★天民主義と人民民本主義
★コンサバティブ保守とリベラル保守
★父性格・共和党と母性格・民主党
★保守正流・「日本・共和党」立党の意義<その・4>

1)キリスト教が分立基軸の欧米
2)父性格政党『共和党』と母性格政党『民主党』
3)有徳国家論と福祉国家論
4)平成のダブル保守合同で政界再編を!


■米国では、共和党(保守系・右派)と民主党(リベラル・左派系)英国では、保守党(保守系・右派)と労働党(リベラル・左派系)ドイツでは、キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(保守系・右派)と社会民主党(リベラル・左派系)フランスでは、共和国連合(保守系・右派)と民主連合(リベラル・左派系)に、二大政党、二大政党グループに分立して政権を競い、選挙を通じての政権交代が民意により正常、自然な形で行われている。


■日本ではこのたび2009年総選挙で反自民の『民主党』を中核にした「反自民連合政権」が現実のものとなり歴史的な政権交代が行われたが、必ずしも欧米諸国のように政権交代可能な二大政党体制が定着しているとは言えない。政界と政党の現実は一層の混迷の中にあるようにみえる。政党間の境界線が全くみえなくなっているのである。
特に長きにわたって政権を担ってきた「自由民主党」は今後どうすればよいのか? 決断すべくコーナーに追いつめられて、明確な方向性を打ち出さなければ分解、消滅、解散になりかねない状況下に置かれている。


1、「自由民主党」は立党の使命に復帰せよ!


★保守傍流・吉田「自由党」と「自由民主党」の運命
★自主憲法の制定・日米同盟堅持・道義国家日本建国、が保守自民党の中核使命である!
★保守正流・『日本共和党』創設の意義<その・1>


1)自由民党立党誓いとは
■自由民主党立党時の使命とは、1)国内外の共産主義勢力との戦いに勝利して自由主義と議会制民主主義を守護すること。2)戦後占領政策の弊害を正して、道義国家日本再建を期す。3)占領憲法を改正し、民族の文化と歴史を継承した「自主憲法の制定」を実現する。4)経済の発展を期して豊かな福祉国家を建国する。などであった。まさしくコンサバティブ保守政党の気合と使命感に燃える立党の決意であった。


■岸・自由民主党政権は、嵐の中を戦後最大の国内闘争であった「日米安保条約反対」、「打倒・岸信介内閣」の反米、反岸政権の、左翼政党、左翼容共マスコミ、左翼労働組合、左翼的進歩的文化人などの「日本の左翼四人組」の総攻撃に攻勢に打ち勝ち、この内戦に勝利を収めて、日米安保条約をより対等なものへと改訂し、日米同盟関係を強化し日本の安全保障体制を強化したのである。


■岸信介回想録「日米安保改定のいきさつ」によれば、国内の安保反対運動の背後にはソ連、中国などの国際共産主義勢力が存在していることは明白であった」と記している。日本の左翼は、日米安保条約を破棄して、ソ連、中国の人民解放軍、共産軍との統一戦線を組んでいて、外部共産軍の侵攻で日本を左翼的に解放して、日本の社会主義化、共産主義革命をたくらんでいたのである。

■岸信介氏は「憲法改正なくして戦後は終わらない」との決意で在任中はもとより、退任後も改憲運動の先頭に生涯をかけたが、いまだに「憲法改正」、「自主憲法制定」の悲願は果たされていないのである。来年で結党以来55年目になるが自由民主党に与えられた時間は半世紀以上になり、ついに自民党は落日時を迎えてしまったように見える。


★岸・自由民主党政権は、アジア諸国との戦後処理問題にも貢献した。

★「靖国・国立霊園の問題」にも取り組んだが、残念ながらこの重い課題に関しては今も未解決のままである。


■自民党がこの立党時の課題実現に挑戦しないならば、いまや自民党の存在意義をも失うことになる。その時は自民党を解党、解散し、憲法改正を主核にした「本来の保守政党を再度結党」し再起を図るべきであろう! 正しくペレストロイカが必要であろう。


2)立党の誓いを忘却した・「自由民主党」
★吉田政治は保守本流と言われてきたが、これこそが大間違いのもとである。占領下で安全保障は「米国民主党占領軍」にお任せし、「生活が第一」「生活が全て」の政治になったのである。敗戦直後の政治であり占領下でのことなのでこれ自体を非難できはしないが、占領が終わり独立日本を回復した後までも「生活が第一主義」「経済が全て」の富国オンリー「石よりもパンを」の政策では、国家の衰退をもたらしてしまうことになる。いわんや日本国の歴史と文化と伝統を激しく否定したGHQ民政局の敷いた戦後民主主義の諸政策を整理、解消しなければ、民族の魂をもむしばむ内容がある。吉田・自由党は、保守主義とは大極にあったと言えよう。保守本流では断じてあり得ない!


■何よりも安全保障政策を軽視し、憲法9条の陰に隠れたような、吉田政治は、保守政党の党名を掲げてはいたが「自由党」の党名に反して保守本流などと呼べるものではなかったのだ。むしろ「保守傍流そのもの」でありこれが自由民党に継承されて、米国ルーズベルト時代米国・民主党のような「リベラル左派」の民主党化した自由民党になってしまったのである。


■吉田茂・著『回想十年』によれば「初期の占領政策が共産主義に寛大であったこと、あるいはGHQが共産主義者を利用しようとしたこと、それから総司令部の中に、共産主義者とまでは言いきれなくても、少なくとも容共分子が幅を利かせて、過激な活動を助長するような施策を進めたことは誤りなきことであった」。「また総司令部内にも共産主義者まがいの部員がおって争議などを後押しした。それは特に経済関係の部局に多かったのである。彼らは共産主義革命を武装革命によらずに平和的にこの日本で達成できると主張していたし、信じていたのかも知れない」(第二巻260p)


★ルーズベルト米国「民主党」政権が派遣したニューディーラーであったが、当時の米国民主党が如何に容共的になり共産主義化されていたことの証明でもあった。 近年では『ヴェノナ文書』、『メトロヒン文書』などのKGB暗号文書の解読により、米国ルーズベルト民主党政権への、ソ連共産主義からの米国内部へのスパイの浸透が激しく、戦後、政府の中枢だけでも100人を超えるKGBエージェントが摘発されたのである。日本でもゾルゲや尾崎穂積などの逮捕摘発は国民的ショックな事件であった。


■戦後民主主義の基盤は米国民主党及びGHQニューディーラー達により築かれた部分が少なくない。このような日本の文化も歴史も伝統も知らない、左翼的ニューディーラー達が日本の戦後民主主義の基礎を築き、教育の内容にまで深々と干渉してきたのである。彼らの目的こそ日本の歴史、文化、伝統の否定であった。まさしく、GHQによる大なる革命であったのだ。


★吉田政権の多くの期間は殆どが占領下であり、1949年には中国に毛沢東の共産政権ができたり、50年には朝鮮戦争が勃発したりと緊迫の日々であったが、安全保障は米国及び占領軍にゆだねて『食べてゆくこと』『生活が第一』にすべてを優先のした時代になったのである。
朝鮮戦争の特需で日本の経済は復活を迎へ、ベトナム特需で経済の基盤を強くして、経済大国への夢を抱くようにまでなったのである。


■『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎・著、中央公論1974)によればマッカーサーは「日本はキリスト教化されなければ共産化されてしまう」と考えていて、多くの対日宣教師を米国から日本へと送り込み、国際キリスト教大学の創立にも多大な貢献をしたのである。クリスチャンリーダーとして米国でも高名であった「賀川豊彦首相」を考えていたとのこと。


★戦後最初の選挙で「自由党」が大勝したので、鳩山一郎総裁が、戦後初の日本国の首相に確定したのであるが、マッカーサーは公職追放の名目で、鳩山一郎に代えてクリスチャンであった吉田茂が総理大臣に成ることを歓迎し認可したのである。韓国では李承晩、中国では蒋介石などみなクリスチャンを立てるのが米国スタイルでもあった。ベトナム、フィリッピンなども同様であった。


3)リベラル化、左派・民主党化した「自由民主党」
★吉田子飼いの池田政権は日本の政治を思い切って経済大国実現へと目標を定め「所得倍増政策」を掲げ日本経済を軌道に乗せたのである。池田政権は「経済の池田」をキャッチフレーズに高度経済成長への道を切り開いいた。経済成長こそが日本の全て自民党の全てになった感がある。エコノミックアニマルとまで言われたのである。


■保守主義の魂が失われてゆく中で、三島由紀夫は、生活が第一、生命が第一に堕落している日本の風潮に対して、「日本人は、生命や、生活以上の価値の為生きなくてはならない」と叫び、「日本人が日本の歴史、文化、伝統を守護し、国を愛する為に生きるべきこと」等を、生命をかけて訴えたのである。
まさしく「人はパンのみにて生きるのではない」とのキリストの叫びと軌をいつにするものであった。占領時代の中で育った吉田政治の流れが、池田派になり自由民主党の本流(保守本流ではない)になり、吉田・自由党政治のDNAは今日まで継承されている。リベラル保守党化し、民主党化してしまった「自由民主党」は岸・自由民主党により創設された立党の宣言,立党の誓いと使命を忘れてしまっている。
憲法9条の存在で安全保障政策に消極的であり続けるような縛りもあって、その上に自民党は政権交代がなかったことで、社会党の政策の多くのよき部分を取り入れて社会党になり代って社会主義的な政策を執行してきたのである。このことも自民党が超リベラル、左派的な政党にまでになった背景にある。


■英国で「保守・労働党」米国で「共和・民主党」を名乗れば馬鹿にされるのである。落語のネタなら出てくるかもしれないものであるが。日本の「自由・民主党」これは問題の政党名である。政党用語につき常識の範囲には入っていない言葉なのである。冷戦が終了した90年代は「保守・二大政党体制の確立」が政党分立の課題である時代なのでそのためにも、政党名の持つ「あいまいさ」が許されない時代に入ったのである。「自由民主党」と言う政党名の存在ほど保守二大政党体制の確立のためには弊害の大きな政党名はない。これを理解できない人は「二大政党体制の確立」を語る資格がないと思う。


★小泉純一朗・総裁の登場と、小泉「自民党ぶっ壊せ」政権は、自民党最後の叫びであり、自民党が保守政党とリベラル政党への二大分立へ決起すべき叫びであったようである。90年代から今日の09年までの20年間は、小泉政権を除けば、政権の任期は1年~2年以下の超短命政権の連続であり、総理以外の各大臣の平均寿命は7~8ヶ月である。日本人は慣れっこになっているが、外国から見たら考えられないことで、国家的な信用の喪失は計りしれないのである。官僚主導の政治になるにきまっているではないか。


4)平成のダブル保守合同で政界再編を完結せよ!
■★自由民主党は「自由党」と「民主党」コンサバティブ保守とリベラル保守の二大政党に分立すべだ。現在はゴチャマゼの寄り合いであり、立党の保守政治の決意、コンサバティブな保守政党の精神を喪失している。おまけに二世、三世議員ばかり増えて温室育ちの為か、日本の国家的な使命を背負って、燃えるような大志を抱き、国民を鼓舞、啓蒙できる人物が欠如してきている。


★合わせて自民党に輪をかけた以上の諸勢力の寄り合い所帯である「民主党」もコンサバティブ民主主義を信奉する党員とリベラル民主主義を信奉する党員に分派・分立すべきであろう。
政界再編は,コンサバティブ保守政党・自由党(共和党)とリベラル保守政党・民主党への再結集・ダブル保守合同によって可能になるのである。


2、あいまいな日本とその政党

★安全保障・外交政策の大局一致の必要性
★憲法9条改正が急務である。
★保守正流『日本・共和党』立党の意義<その・2>


1)和をもって尊となす
■かつて大江健三郎氏はノーベル文学賞の受賞記念講演で「あいまいな日本の私」とのテーマで講演を行った。川端康成の受賞記念講演「美しい日本の私」からヒントを得たものであったが、講演は日本人および日本民族のキャラクターを「あいまいさ」に置いたものであり、川端の講演と違い我々にはうれしい事ではないが、的を得ていたように思う。特に「あいまいさ」そのものズバリの日本の戦後政治、大江氏の愛する戦後民主主義、政党政治などを注視すれば皮肉にも核心を突いたキーワードである事は間違いの無いところである。


■聖徳太子は「和を持って尊となす」との言葉を残されたが、まさしく日本人の体質にぴったりの言葉であり、日本人が最も愛してやまないキーワードとなり、大和民族の魂のような言葉となっているのである。宮沢喜一元総理が政界を引退された時に「和の政治を振りかえる」とのテーマか内容で文芸春秋に投稿されていたが、「『和』という事をキーワードにして政治に全生涯取り組んできたが、今振り返ればこれで良かったのかなとの思いも強くある。少なくともこれからは戦う政治が必要であろう」との主張であったように記憶している。鈴木善幸内閣、小渕恵三内閣も『和の政治』と言われたのである。

■「和を持って尊となす」には二重の意味がある。和を重んじる事は基本的には最も重要なことには誰も異論はないのである。夫婦相和して家庭に福が来るのであり、和の壊れた状態は悲しみや不幸が訪れるのである。ただし無原則な妥協が続けば、あいまいな主体を生み出し、あいまいな文化をも生み出しかねないのである。特に政治の世界に於いてはその性格上数は力である等などと妥協を重ねて、あいまい化しやすい分野なのである。無原則、あいまいさがつのれば混沌となり矛盾状態下の組織は自己決定の能力をも失い、国家のリーダーとしての存在位置をも喪失してしまうのである。


■和を重んじる事は、併せて「和を乱すものと戦う事でもある」との格言を日本民族は忘れやすいのである。全く同様に平和を愛するものは、単純な非武装中立などで無く、平和を守る為、国民の生命、財産、基本的人権を守る為に自衛的戦力の強化に努める事が必要である事もよく理解すべなのである。この観点の欠如が日本民族の欠点にもなっていると言えよう。


2)あいまいな憲法9条に問題あり
★日本の憲法の下敷きになっている米国憲法は「安全保障、国防の為に」憲法を制定し「連邦国家」を作るとの前文から始まっている。安全保障への取組こそが憲法と国家の基本中の基本であり、政党の最も重要な核心的な部分でなければならいのである。


★日本国憲法9条は「戦争放棄条項」であり、戦力の放棄と、交戦権の放棄項目からなっている、反・安全保障条項、非・安全保障条項とも言えるものである。無条件降伏によるポツダム宣言を受諾した日本に、この日本国憲法9条の条文を中核とした憲法制定による新・日本国家の創建こそが「占領政策」の核心であった。この「戦争放棄」、「武力の放棄」、「交戦権の放棄」の無条件降条項の条文の挿入こそ日本が二度と復讐の為にも軍事的な反撃力をゼロにしてしまう占領軍の重要な中核的な使命であった。

★GHQ民政局次長で憲法草案作成の責任者であったケーディス大佐によれば、憲法9条の指令文・「マッカーサーメモ」には「今後日本は、侵略戦争は勿論のこと、自衛のためにも戦力は持てず、交戦権は与えられていない」との条文であった。これでは、マッカーサーメモどおりであれば、憲法自体の目的を露骨に否定することとなり、憲法の原理に照らして、憲法9条そのものが憲法違反になってしまうと考えたケーディス大佐は「自衛のためにも」の項目、文面だけを消し去ったのである。
★(『占領秘史・下』江藤淳編著、講談社学術文庫1995)、(『日本国憲法を考える』西修著・文芸春秋社99)


■東京都立川市砂川町の「在日米軍基地」をめぐる「砂川基地裁判」を始め、茨城県の「百里基地裁判」、北海道、長沼町の「ナイキ基地裁判」等で「自衛隊及び日米安全保障条約の違憲裁判」が行われたのであるが、いずれも最高裁まで控訴され審議され「自衛隊の違憲判決」は出なかったが、「合憲の判断も行われなかった」のである。一応自衛隊も安保条約もその存在に有罪判決下されず許された存在に成ったのである。 最高裁判所は『憲法9条こそが憲法違反である』との「違憲判決」を下すべきであったが残念な結果であった。この事は最高裁の戦後最大の汚点になっている。


★このような憲法9条である為に「あいまいで意味不明な条項条文になってしまい」地方裁判所、高等裁判所などで「自衛隊違憲判決」が成され大変な騒動であった。日本の政党政治、日本の政党があいまい、混迷の歴史を半世紀も続けてきたのは、憲法9条のあいまいさに由るところが多い。正常な憲法・安全保障条項が存在している憲法が定まらなくては欧米諸国のように健全な二大政党体制が成り立たないのであろう。憲法の改正、安全保障条項明文化が急がれている。安全保障政策こそが政党分立其軸なのである。


3)みんなみんな「民主党」
■★日本の政党を見れば、みんなみんな「民主党」ばかりである。コンサバティブ保守政党がないのである。一般的に共和党、保守党、自由党、国民党などがコンサバティブ保守政党の政党名である。例外としてドイツのキリスト教民主党が存在するが、キリスト教という西洋世界では最も強く保守を示す言葉が立党の党派性を強調しているのである。欧米世界ではキリスト教的な価値観の保守こそが保守政治の核心だからである。


①★谷垣・「自由民主党」自由「民主党」、日本語で言えばこれは「民主党」である。「リベラル・デモクラット」と英語での看板を掲げていて保守よりもリベラル政党を暗示している。欧米政治世界の常識ではリベラル民主主義には左翼的なイメージが強くある。冷戦終焉とバブル崩壊とリーマンショックで自民党は終わったかに見える。自由民主党は内的にも、結果的にもコンサバティブ保守政党としては完全堕落であり裏切り政党であった。結党以来来年で55年に成るが憲法改正への与えられた時間は過ぎ去っているようである。


②★「民主党」の創設者である鳩山由紀夫氏は初期の民主党を結成し当時「保守本流を目指したい」と言っていた。保守本流は英語では、「コンサバティブ・パーティー」であろう。リベラル民主主義を目指す「リベラル・パーティー」の民主党が目指すべきものではないはずである。この様な思想的あいまいさが政党の立脚点をぼけた者にしてしまう。だいいち民主党を結成する時には、以前社会党にいた人達が大勢参加しているのである。なんで保守本流なのであろう。兄と共に民主党を立ち上げた、弟の鳩山邦夫衆議院議員は兄・由紀夫氏と大喧嘩をした後で民主党を最初に飛び出したのである。弟の邦夫氏は、保守的なコンサバティブ民主主義を愛する人であったのであるが、兄の由紀夫氏が保守本流を目指すとか言いながらソーシャリストなどとも合流し、訳の解らない政党、しいて言えば「反自民・リベラル・左派政党」を作ってしまったのである。邦夫氏が大喧嘩の末に真っ先に民主党を飛び出したのである。


③★福島・社会「民主党」、第三の民主党も存在する。福島・社会「民主党」であり、以前は社会党であった。社会党はその昔、右派社会党勢力が1959年に当時の社会党から飛び出して、「民主・社会党」を作ったのである。彼らが党名から「社会党」を消し去り党名を「民主党」に変えることができたのは、現在の民主党に生き残りが合流して「民主社会党」はようやく政党名に関しても、社会党の呪縛から解放されたのである。この間に民主・社会党でなく、せめても社会・民主党であったらば救いがあるのになどとの声も有ったのである。同じようであるが日本語では、前者は歴記とした社会党であり、後者は民主党であるからである。政治思想的には大きな違いがあるのである。そんな事もあり、土井たか子・社会党は本来「民主・社会党」にしたかったであろうが、苦肉にも「社会・民主党」を名乗らざるを得なかったのである。ソーシャル民主主義の信奉者であるのにもかかわらずに。かつての「民主・社会党」と今日の「社会・民主党」はおかしなこと、両者まっ逆さまになってしまったのであった。これらは変な落語を聴くよりも面白おかしいことである。


④★公明党・創価「民主党」仏法「民主党」、第四番目の民主党はないが、公明党が事実上はこれに当たると言えよう。創価・民主党とも言うべき存在である。仏法社会主義を掲げて政界に1964年参議院選からデビューしたのである。日中友好、安保条約の段階的破棄、「社公民」路線は定着的でもあったのである。最近は社会主義の間違い、不人気に気が付いたのか社会主義を引っ込めたように見える。明確な意思表示はないが、仏法社民主主義を目指す政党に何時しか変えたようにも思われるのでる。「仏法・民主党」なのであり、リベラルの民主党、左派民主党、中道左派政党であると言う事が出来るであろう。日中友好、日中友好と叫びつつ、安保条約段階的破棄、共産党、社会党などと組んでかつては反自民の「革新連合」に参加してきた。憲法改悪反対、9条を死守せよ。等など。しかし挙句の果てには、気が付いてみれば、自民党政権に参加していたのである。公明党の歴史ほどめちゃくちゃなものはなく、思想的貞操観念を持っていたならば続けられるものではないが、創価学会の支持により滅亡せずにここまで来たのである。


⑤★人民「民主主義」を掲げる共産党、共産党も人民民主主義を掲げているので何時の日か「左翼的民主党」、民主社会党を名乗る日が来てもおかしくはない。レーニンも社会民主党を名乗っていた。そうしたら第五の民主党が誕生という事にもなりかねないのである。事実イタリア共産党は「左派民主党」に政党名を変えて、政権参加までも経験しているのである。日本の共産党が生き残る為には、第五の「左派民主党」を狙う事になるかもしれない。あまり民主党だらけなので、「日本労働党」を名乗るかもしれないが。


4)あいまいさの極致・党派性なき政党
■近年でも日本で現れた政党には、日本新党、魁・さきがけ、新党・平和、太陽党、新生党、新党日本 等など公明党も含めて政党の名前に値するものではないのである。党派性が無く思想性もなく、あいまいさの極致であり、政党民主主義の根本の理解が無いのではないかと案ずるものであります。あるのはただ「新・あたらしさ」だけである。政治世界、特に保守を基盤にした政治世界では新しき者には基本的に価値が少ないのである。『旧・旧きもの』に価値を置く西洋世界との価値観の違いもあるようだ。進歩史観で常に『新らしきもの』がよきものだとの錯覚があるのかも知れない。


5)自由民主党命名の経緯
■自由民主党広報委員会編集『秘録・戦後政治の実像』には保守合同に於ける政党名の決定のいきさつが記されている。石井・自由党幹事長「実は僕は自由党の名前にこだわった。鳩山さんが自分でこしらえた政党名だからネ」。すると岸・民主党幹事長「当面は自由党でいいよ」。と言ったので、僕(石井)はびっくりした。「数では岸君ところが180幾つで、僕の方は110幾つだから、<民主自由党>でいいよ」と言ったら、岸君が「自由を先にした方が、語呂がいいから、<自由民主党>でいこう」と言うんです。石井「僕の方は数が少ないんだから民主が上でいいよ」と遠慮したんだけれど。岸「自由という言葉は実にいい言葉だね」。実際にはどっちを上につけるかで大分議論はあったのだけれど最後は「自由民主党」で落ち着いた。唐島「そうすると単純に両党の名前をくっ付けて『自由民主党』にしたと言う事ですね」。岸「深い意味はありません」。


■★なんともおおらかであるが、銀行同士の合併のような命名と、思想、理想、理念により組織化され、これにより政策を、外交を組んでゆかねばならない政党の合同による「新党の命名」が同じで良い筈はないのであるが、ここに日本のあいまいさの弱点が見て取れるのである。元の政党名である「日本・自由党」にしておけばどんなにか、問題があっても「コンサバティブ・保守党」を象徴する政党名であり保守正流への道が開かれていたのである。(以下次回に続く)













トリウム原子炉の研究

       トリウム原子炉の研究

      日本に溜まるプルトニウムを消化してくれる
 

       軽水炉と太陽光の弱点補うトリウム原子炉

        2011年09月26日(Mon) 亀井敬史・論文転載

       ★ 『WEDGE Infinity』より


電気自動車、の材料になるレアアースの副産物として産出されるトリウムが、再び脚光を浴びている。 安全性が高く発電出力を調整できるトリウム原子炉(溶融塩炉)を 実用化することができれば、軽水炉や自然エネルギー発電の補完にもなる。


■原子力は発電時に二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーだが、放射性廃棄物が発生する。一般に意識されることはほとんどないが、国内の(a)使用済み核燃料の保管場所は、もうすぐ満杯となる。使用済み核燃料は、まず発電所の冷却プールに置かれるが、その容量は日本全体で約2万トン。現在、日本の使用済み核燃料の量は約1万4000トンだ。今後、毎年約1000トン発生する。抱え切れない分は六ヶ所再処理工場にある冷却プールに保管される。これは容量が3000トン。昨年、東京電力が中心となって青森県むつ市に「中間貯蔵施設」の建設を始めた。これも容量は3000トン。早晩、溢れることは目に見えている。


■安定的に電力を供給し、かつ温暖化対策も実施することを踏まえれば原子力は続けてかまわない。むろん安全を確保した上で、だ。その場合でも、このような使用済み核燃料の問題を考えていなければ、いずれにせよ数年以内に原子力政策は行き詰まる。この使用済み核燃料の問題は、特にそこに含まれる(b)プルトニウムをどうするかが最重要課題である。周辺国から核兵器への転用を警戒されるからだ。

■本来─今後もそうだが─、プルトニウムは貴重な人工の核分裂性物質であり、エネルギーに転換することが目的だ。自然界に大量に存在するが、そのままでは燃えないウラン238が中性子を吸収してプルトニウムが生まれ、エネルギー資源を増大させることができる。これが50年前に見た(c)高速増殖炉の夢だ。かつての夢はよいとして、われわれが考えなければならないのは、今、そしてこれからのことだ。


■プルトニウムを利用するには高速増殖炉が性能面でもっとも優れるとして開発を進めてきたが、40年以上の歳月と1兆円以上の資金を投じてきたにもかかわらず、事実上、進んでいない。この7月15日に高木義明文科相が「もんじゅ、開発中止も含めて検討」と発言したという。もんじゅについてはそれでよいかもしれないが、そこで使うために蓄積されてきたプルトニウムが消えてくれるわけではない。原子炉級とはいえ、プルトニウムである。わが国が保有する約200トンは、国際原子力機関の定める有意量の2万5000倍だ。日本が核武装を行いうるとは思わないが、諸外国が好意的に見てくれるわけではない。もんじゅの開発中止─すなわちプルトニウム消費先の喪失─は、直ちに周辺諸国の警戒感を引き起こすことにもなる。プルトニウムを化学反応で消すことはできない。それができるのは核反応だけだ。


プルトニウムを消すトリウム
■プルトニウムは行き先がない。トリウムも同様で、レアアースを採掘する際に放射性のゴミとして生まれる。世界中ですでに15万トンほど溜まっている。今後も毎年1万トン以上、好むと好まざるとにかかわらず発生する。昨年の補正予算1000億円の計上直後、住友商事が米モリコープと、双日が豪州ライナスと提携したが、ともにトリウム含有率の大きなレアアース鉱山だ。むろん副産物トリウムの行き先は決まっていない。ライナスはレアアースの精錬工場をマレーシアに建設しようとしているが、マレーシアでは大規模な反対運動が起こっている。トリウムをプルトニウムとともに燃やす道を与えれば、地上のレアアース採掘時の環境汚染対策を合理的に施すことができるようになる。


■プルトニウムは、ウランとともに高速増殖炉で燃やす以外にも軽水炉で燃やすプルサーマルがあり、さらにトリウムとともに軽水炉で燃やすこともできる。今、世界で注目をされているのはトリウムとともに“溶融塩炉”で燃やす方法だ。


■その理由は、同じ原子力であっても、発生する放射性廃棄物の低減や経済性の向上が期待できるためだ。高速増殖炉では、高速中性子を用いるため、超ウラン元素の生成量は多くないが、プルサーマルでは超ウラン元素の生成量が多い。高速増殖炉の実用化までのつなぎとしてプルサーマルを用いるよりも、燃料調達や運用が確立しているのだから、軽水炉はウラン燃料に特化すればよい。プルトニウムをトリウムの着火材として消費するオプションを提示することで、高速増殖炉の実用化のめどが立たないなか、核兵器転用に対する諸外国の懸念も払拭できる。
 ウランの需給は、福島原発事故が起こってもなお、逼迫している。天然ウランに含まれるウラン235が、唯一の天然の火種だからだ。トリウムの利用は─今後もウラン軽水炉を使うのであれば─、ウランの安定確保にも貢献する。さらに溶融塩炉であれば、安全性を飛躍的に向上できる。 


■溶融塩炉は、高温で溶かした塩にトリウムやプルトニウムを混ぜた液体燃料を用いる。溶融塩炉の安全性が高いのには、いくつかの理由がある。たとえば圧力容器が必要ない。(a)軽水炉が沸点100度の水の熱効率を高めるために160気圧(加圧水型)もの圧力をかけているのに比べて、溶融塩炉ではわずか5気圧に過ぎない。それでも、熱効率は44%に及ぶ。装置の圧力が低いことは、製造面でも、運用面でも安全性の向上に貢献する。燃料棒を使わない─実はこれが、需要の変化に応じて出力を変化させる負荷追従運転を可能にする。軽水炉でも出力を変化させることはできるが、熱疲労で被覆管が破損する恐れがある。そのため、日本では一定出力で運転している。損傷する被覆管がない溶融塩炉ならではの特徴だ。被覆管がなければ、水素発生の原因となるジルコニウムもない。燃料棒を使わないため、その製造も毎年の交換も不要である。燃料にまつわるコストは大幅に削減される。燃料交換に伴う廃棄物の量も減少する。


■ちなみにトリウム溶融塩炉で外部電源が喪失した場合にどうなるか。炉心の真下には、高温で溶けるフリーズバルブが設けられている。ポンプが停止して冷却機能が失われた場合、炉心は高温になるが、同時にフリーズバルブが自動的に開く。液体の燃料は、重力で自動的に下部の排出タンクに落ちる。ここには減速材の黒鉛がないので、核分裂も止まる。崩壊熱は、周辺の空気循環によって除去される。 


■これらの点は、原子炉の小型化を図る上で重要である。小型にしても経済性を高くできるためだ。このことは、同じ小規模分散型であるが、しかし出力が不安定な再生可能エネルギーの“補助”としてきわめて大きな可能性を有している。再生可能エネルギー中心のエネルギー供給ビジョンを描く際には、需給ギャップは必ず時間変動値として生じるが、負荷追従できる溶融塩炉であれば、これを補うことができる。それが必要な国は、広い世界において、高度に産業が発展し、1億人以上の人口を抱え、世界随一の地震国である日本を除いてほかにはない。


■トリウム溶融塩炉は、第4世代原子炉の一つに加えられているが、ゼロからのスタートではない。すでに1960年代に米国で実験炉が成功している。ただ、当時はすでに軽水炉が実用化していたこと、冷戦下では核兵器に向かないトリウム利用に関心がもたれなかったこと、そしてそもそもトリウムを燃やすためのプルトニウムがまったく足りなかったことなどから、その後は本格的な実験炉が造られることはなかった。今は違う。これらの要因のすべてが転換した。軽水炉導入から50年以上を経て次世代炉を目指す時代に入り、冷戦はすでに終結し、なによりもプルトニウムは困るほど余っている。


■国を挙げて推進を決めた中国を筆頭に、米国やカナダでの民間企業による開発、欧州ユーラトムによる研究などさまざまな取り組みが進められている。基盤技術が確立しているゆえだ。溶融塩炉は高温で運転され、溶融塩による腐食もある。あまり知られていないが、耐食材料は70年代に開発されている。ただ、数十年のブランクを踏まえれば、実験炉の運転も含めて実用化には10年程度は見ておくべきだろう。また、トリウムを利用すれば高エネルギーの(b)ガンマ線が発生する。その遮蔽も含めて検証が必要だ。


■溶融塩炉の実用化までには、軽水炉にトリウムを導入することもありうる。そのような動きは国内外にある。筆者らの取り組みは、(c)可搬型超小型トリウム溶融塩炉の実用化に焦点を絞っている。概念設計はすんでおり、基本設計に1年、メーカーと共同で進める詳細設計に1年、製造・運転・解析にそれぞれ1年ずつを見込んでいる。この5年間でプロトタイプが完成できる。これに並行して溶融塩による配管の腐食試験や高温・高放射線環境下での計測機器の開発を実施しつつある。単に1000キロワットのプロトタイプを一基造るだけであれば10億円もあれば足りる。これに5年間の運転・試験費用を加味しても、50億円もあれば十分だ。チューンアップするのであれば、さらに5年をかけて取り組めばよい。


トリウム+レアアース=電気自動車の”材料と燃料”

■ほとんど意識されることはないが、太陽光パネルにも風力発電にも(d)レアアースが使われる。電気自動車はいうまでもない。再生可能エネルギーが拡大すればするほど、副産物のトリウムは発生する。日本で導入すれば導入するほど、世界のどこかでトリウムを発生させる。責任感のある人や国は、このトリウムを放置せずに、活用することで環境汚染を回避しようとしている。中東ではどうか。マスダール計画はよく知られている。中心となるのは再生可能エネルギーだ。そこでも“併せて”検討されているのが原子力である。湾岸協力機構の原子力コンサルタントを務めるのは、トリウム軽水炉を開発する米ライトブリッジ社だ。フクシマ後の6月、カナダで2030年のエネルギービジョンを議論するグローバル・サイエンス・イニシアティブなる国際会議がひらかれた。その柱は再生可能エネルギーだが、そこにもトリウムが登場している。
★スマートグリッドを完成させるトリウム溶融塩炉(図面省略)


■トリウム溶融塩炉は、それ単体で世界の環境・エネルギー問題を解決するものではない。しかし、既存のウラン軽水炉の円滑な運用の支援にも、核なき世界の実現にも、レアアースの健全な確保にも、途上国の支援にも欠かすことはできない。中国は今年1月にその開発を表明した。米エネルギー省はバックアップを約束している。インドは50年前からトリウム原子力を開発しているが、溶融塩炉も選択肢から排除していない。昨年の9月、筆者はトリウムが豊富なケララ州トリバンドラムで開催された持続可能な社会構築に関するシンポジウムに招かれた。IPCCのパチャウリ議長の主催だ。インドは、再生可能エネルギーとトリウム原子力を両輪で導入している。筆者は、トリウム原子力に関する講演を依頼された。再生可能エネルギーの議論の場でトリウムが出てこないのは、筆者の知る限り、日本だけだ。


■原子力をどうするかについて、現政権は場当たり的な対応に終始している。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギーについても、場当たり的な対応にしかなっていない。場当たり的な対応となる理由は、ひとえに今まで何も考えていなかったからだ。本来であれば、原子力をどうするかも、再生可能エネルギーをどうするかも、福島原発事故とは無関係に、腰をすえて長期的な視野で捉えて取り組んでいてしかるべきものだった。


■現政権は、福島原発事故の直前までは、世界中に原子力発電所を輸出し、これを成長戦略の柱にしようとしていた。足元の現実を見れば、その実現には多くの課題があることに気がついたであろうが、そのような気配はまったく見られない。

素直に言えば、今後も引き続き日本が世界の軽水炉ビジネスに参入できるかは分からない。軽水炉の圧力容器は、世界シェアの8割を日本製鋼所が握っている。10年3月、日本製鋼所は800億円を投資して12年までに製造キャパシティを3倍に拡充すると発表した。この決断が日本製鋼所自身によるものかは分からない。軽水炉の受注が止まれば、投資の回収はおぼつかないからだ。3月11日まで同社の株価は900円近くで推移していたが、原発事故直後に500円近くに下落、その後やや持ち直したが6月には再び500円近くに至った。そして、7月4日には米ファンド会社が筆頭株主になった。ちなみに09年にロシアのアルミ王デリパスカ氏が同社の買収を試みた時は産官総出で阻止したが、今、そのような動きは微塵も見られない。何が日本の強みであるかを認識し、これを守らなければ単なる幻想に終わる。


■もちろん、軽水炉は、製造技術、運用プロセス─事故対応は不明だが─が確立した発電手法だ。今回、福島では大きな事故となったが、これは軽水炉であればすべて一律に同じ結果をたどることを意味しない。女川原子力発電所に見るように、津波の到来を想定して高台に建設すれば、「止める、冷やす、閉じ込める」は達成できる。むろん、だからといって軽水炉は安全だと安易にいうべきではないが、ただ、少なくとも現場の一人ひとりは決して安易には考えていない。


■日本のエネルギー政策にとって今、もっとも避けなければならないことは“場当たり的に”トリウム溶融塩炉に取り組むことだ。再生可能エネルギーを過信して、良い面をつぶしてしまいかねないのと同様に、トリウム溶融塩炉も適切に理解して取り組まなければ失敗する。人口増加や温暖化対策に資する規模で導入するのであれば、着火材のプルトニウムを供給するためのウラン軽水炉も必要となる。今は落ち着いて未来のビジョンを描く余力は乏しいかもしれない。しかし、時間も世界も、それを待ってくれるわけではない。現状を認識し、世界の動向を注視し、自らの進むべき道を冷静に検討すべきだ。


町長選の争点になった「超小型トリウム溶融塩炉」

■8月最後の週末、北海道の中川町に行ってきた。多くの方が「どこ?」と思われるだろう。中川町は北海道第二の都市・旭川から車で3時間、もっとも近い空港のある稚内からでも車で1時間半かかる。人口約1800人の小さな町だ。なぜ、ここを訪ねたのかといえば、他でもなく「トリウム溶融塩炉について講演して下さい」との依頼があったからだ。


■私を呼んでくれた高見善雄氏(64歳)は、中川町出身の元航空自衛官だ。この3月の町長選で「タブーのない地域振興」を訴え、その柱として「トリウム溶融塩炉の誘致」を掲げて立候補した。結果は落選だが、3月29日の北海道新聞旭川・道北版の小さな記事は、異例の激戦と伝えている。 はた目には、物珍しい「トリウム溶融塩炉」をキーワードに泡沫候補として出馬し、あわよくば当選もありうるかも知れないとほのかに期待をした無責任な候補者と、映るかもしれない。しかし、実情は違う。

■福島原発事故を経た今でこそ、さまざまなメディアを通してトリウム溶融塩炉が何であるかが語られ、知られている。だが、この統一地方選挙の時点では、トリウム溶融塩炉は必ずしも広く、また適切に知られていたわけではない。新しく、かつ現状と異なる技術であるがゆえに、既存の原子力を推進する立場からは受け入れられてもいなかった。核分裂エネルギーを用いる以上、原子力に反対する立場からも否定的に見られていた。それにもかかわらず“地域”の視点からトリウム溶融塩炉に深い関心を抱いていたことは、注目に値する。


畑作の北限を克服するために、トリウム原子力の熱を利用する

■原子炉は、膨大な熱を生み出している。この熱エネルギーをタービンで電気エネルギーに変換するのだが、その際、7割近くのエネルギーロスが発生し、膨大な温排水の形で熱を海に捨ててしまっている。そんなロスを出してまで電気に変えるのは、遠い需要地までエネルギーを運びやすいからだ。電気なら、東京―福島間に相当する約200キロを5%程度の損失で送ることができるが、熱をたとえば温水の形で送ると、運んでいる途中で水になってしまう。
 もし原子炉が安全で経済的で、その地域が必要とする規模の出力で、その廃棄物も地元で処分しうるものであれば、その原子炉を需要地に設置することが可能となる。完全な「地産地消」である。中川町は東西10キロ、南北60キロ。熱利用が現実的になる距離感だ。


■中川町は真冬には氷点下20度を下回ることは日常茶飯事だ。暖房の確保は死活問題だ。それは日常生活の側面からだけではない。生活の基盤となる産業―主として農業―にとって、より重要である。中川町に車で入ると町の中ほどで植生が変わることに気がつく。町のほぼ中央付近から北に向かうと牧草のみが植えられている。というよりも、これ以外は育たない。中川町は畑作の北限地なのだ。


■このような地で農業を営もうとするときに取り得る方法はハウス栽培だ。ビニールハウスを建て、これに重油を用いて加熱し、作物を栽培する。しかし冬季にはその大量の雪のため、朝にはハウスが押しつぶされていることもしばしばある。いうまでもないがこの重油の調達にかかる年間費用は膨大なものだ。作物にもよるが年間1000万円を下らない。これで育てた作物が同等以上の価値を生み出すわけではない。完全に赤字経営となる。これに補助金が出ることで農業経営が見かけ上、成立しているのが現状だ。このようなやり方が未来永劫続けられるものでないことは、近隣の自治体の例を見るまでもなく、中川町自身が自覚している。


■「自然のままでは畑作北限地であり、現実的にはきわめて困難な状況におかれている中で、しかしこの地を自らの故郷として愛着と誇りを持ち、この地がこれからも―派手さはなくとも―生き続けられていけるようにするにはどうすればよいのだろうか、それは、安価で、安全な“熱源”を得ることだ、その方法として着目したのが上記の小型トリウム溶融塩炉であった」と高見氏は語る。(図面省略)


■近年、農林水産省や経済産業省で「植物工場」による農作物の生産の取り組みが進められつつある。本来的な意味は、コントロールされた環境下で品質の安定した生産物を、季節要因に左右されることなく安定的に供給しうる生産体制の構築が目的である。そのため、台風や豪雪に耐える構造物を備え、その内部に空調設備を整えた形で生産の場が用意される。このような強固な「構造物」が、中川町のような寒冷かつ豪雪を伴う畑作北限地での農業生産の近代化に求められている。


■そして、その内部に何よりも必要となるのは熱源である。これに電力供給がむしろ付随する。そのようなエネルギー源は、重油など化石燃料の導入はコスト的に不可能で、太陽光や風力等の再生可能エネルギーでは事実上、熱源となりえない。電気を起こすことしかできないためだ。 電熱併給が可能な小型トリウム溶融塩炉への期待は、他の地域とは全く異なる視点から生まれたものである。原子力のリスクも自ら引き受ける


■ともすれば、「トリウム溶融塩炉とはいえ、原子力である以上、安全であるはずがない。ましてや少量とはいえ、放射性廃棄物が発生する。それを誘致しようなど、また、補助金に目をくらまされているだけではないのか」との声が聞こえてくるだろう。
いうまでもないが、トリウム溶融塩炉は日本のエネルギー政策として認められてはいない。公的資金からの補助金があろうはずもない。そのような状況下にあってなお、トリウム溶融塩炉に活路を見出そうとするのは、この高見氏が進めた深い考察に基づいた結論ゆえだ。


■装置の開発と、その応用は別物だ。開発者が想像もしないビジョンが生み出されることもある。高見氏は「タブーのない地域振興」というビジョンを掲げている。第一のタブーへの挑戦は放射性廃棄物だ。トリウムを燃料とする場合、ウランを燃料とする場合に比べれば、半減期の長い超ウラン元素の生成量が少ないため、比較的短期間で放射能は減衰する。ただそれでも自然界の放射能レベルにいたるまでには300年かかる。


■高見氏は、これを他の自治体に押し付けるのではなく、利益享受者である自らの土地に処分することも含めて検討している。北海道も日本列島にある以上、地震・活断層から逃れることはできない。03年9月の十勝沖地震や93年7月の北海道南西沖地震は記憶に新しい。しかし中川町には、北端のごく一部を除いて活断層はない。域内に活断層がほとんどないことを、自ら調査を済ませているのも、その証だ。なお中川町の前町長の亀井義昭氏は地質学の専門家だ。他人に言われたことを鵜呑みにしているわけではない。
 

■そして、「自ら立つ」地域振興の枠組みを構築しようと試みている点もタブーへの挑戦と言える。例えば、原発建設を国策で進める場合、「製造はA重工がB市で行い、立地はC町にする。電力は主としてD県に送られ、その後、放射性廃棄物はE村に埋設するか」となりがちだ。現状、日本国内でE村に相当するところはない。そうすると補助金と抱き合わせで、財政に苦しむ地方自治体に無言の誘惑―圧力―が加わることも想像に難くない。


■A重工による製造がB市で、となるのは、たとえば大型軽水炉のように圧力容器の製造が事実上、北海道室蘭にある日本製鋼所(世界シェア8割)でしか行えないためだ。本来は、利用者(D県)が自らの域内(D県)に発電所を立地すべきであるが、これも“万が一”の事故時の影響を考えて、他地域(C町)に建設する。ここに電源立地地域対策交付金などの交付金が送られ、リスクの緩和が図られる。
 このC町や、国内で将来現れるかも知れないE村が感じるのは、自尊心の陵辱だ。小さな町だから自尊心が小さいのではない。自尊心は大きさではかるのではなく、あるかないか、だ。自分は何者で、何をしようとし、何を助けとしているのか。これを自ら判断し、自ら決断できるかが、自尊心の有無を決める。高見氏は、自ら決断をした。この行為こそが自尊心というものを表している。
世界でも取り組みが進む小型のトリウム溶融塩炉


■そのトリウム溶融塩炉は現時点では世界のどこにも現物はない。最も新しく溶融塩炉の実物が作られたのは、40年以上も前の1960年代後半に米国オークリッジ国立研究所で。 ただ、小型原子炉は、福島原発事故後に大きく取り上げられることが増えている。例えば、9月7日のNHK「Bizスポ」でも米国の動向が紹介されている。小型の原子炉を作ることは決して困難ではない。重要なことは、これを経済的に製造・運用できるかどうかである。軽水炉が大型化したひとつの背景には、多数の燃料棒の製造と交換にかかるコストは、小型で多数の軽水炉を用いる場合には現実的な数値にならないほど大きくなったことがある。液体燃料のトリウム溶融塩炉ではこの問題が克服されうる。


■今年(2011年)の9月下旬に米国ワシントンで小型モジュール原子炉に関する国際会議「SMR2011」が開かれる。ここでもトリウム溶融塩炉のセッションが設けられている。会議全体では70件程度の研究発表があるが、トリウム溶融塩炉については3件である。そのうちの一件は筆者によるもので、福島原発事故後の日本のエネルギー・原子力・環境・産業政策における小型トリウム溶融塩炉の位置づけについて述べる。


■もう一件はインドネシアからのもので、筆者の知る限り、同国がトリウム溶融塩炉について研究発表をするのは初めてのことだ。いうまでもないが、同国もアルプス・ヒマラヤ造山帯と環太平洋造山帯に位置する地震国で、かつ世界最多の島嶼国だ。また2億3000万の人口は世界第4位である。この国が、安全性が高く小型化が経済的に実現できるトリウム溶融塩炉に着目することはきわめて合理的である。


■最後の一件は米国アイダホ国立研究所からだ。同研究所はアイダホ州の小都市アイダホフォールズからバスで約1時間の所に位置する。ジャガイモで有名な州だが、ここでも冬場はマイナス20度をゆうに下回る。この研究所でこれまでも―むろん今も―さまざまな実験用原子炉が作られ、運用されてきた。中川町と地理的な特性も近い


■★ 世界でトリウム溶融塩炉の開発のもっとも先端を行くのは、あまり知られていないが東欧のチェコ共和国だ。同国の原子力研究所(NRI)が建つのはヴルタヴァ(モルダウ)川の河畔だ。中川町には天塩川が流れる。そっくりといってもよい。高見氏は、上述の中川町モデルを構築するために、まず中川町でトリウム溶融塩炉の研究開発拠点を誘致したいと考えている。この中川町にトリウム溶融塩炉の研究拠点が形成されるのであれば、不思議な巡り合わせかも知れない。


■このように、今ではよく知られてきたトリウム溶融塩炉であるが、高見氏らの取り組みが急進的な―ともすれば破壊的になりがちな―活動なのかというとそうではない。すでに5年以上前からトリウム溶融塩炉についての勉強会を36回以上重ね、原子炉としての仕組み・安全性について資料を収集してきた。トリウムといえども放射性廃棄物が生まれることもよく理解している。その上で、自ら生み出した廃棄物は自ら引き受けようとしている。トリウム溶融塩炉の利用で便益が生じるのであるから、応分の負担も覚悟している。


■なお、現時点ではこのような構想が中川町の公式な見解となっているわけではない。新しいことを行おうとするときには、往々にして意見の対立が生じることが多い。トリウム溶融塩炉に取り組むのであっても、決して地域に対立を持ち込むべきではない。丁寧に説明し、納得を得て進めてゆく。もし意見の対立が決定的になるのであれば、「トリウム溶融塩炉は進めません」と高見氏は言う。このような姿勢も、また大切なことではないだろうか。


★夏であっても涼やかな風の渡る中川町の大地。とうとうと流れる天塩川の水流に、北の地に生きる厳しさとどこか温かさを覚えた。












続・脱原発の世論を疑う!

     続・脱原発の世論を疑う

         

     脱ウラン原発から段階的にトリウム原発への転換を!


            2011年8月8日      

 

脱原発と左翼市民活動の戦後思潮


■一昔前では、脱原発、反原発、原発ゼロ、核兵器反対・・などの活動や、反基地、反安保、反改憲活動などの活動、市民運などは、殆どがその根底にある主体が左翼サイドの基本活動であった。今日福島第一原子力発電所の津波被害により発生した、原子力発電所の事故、核拡散問題は地震、津波の大惨事に追い打ちをかけ、国家的な大問題になった。朝日新聞の反原発、脱原発報道にひきつられて、毎日新聞も続き、結果大津波のようなマスコミ報道はかつての、50年講和問題や60年安保改定問題のように世論を席巻した感がある。

■原子力.核エネルギーは危険極まりないものであり「悪魔」エネルギーである! と言わんばかりの朝日、毎日をはじめとしたマスコミの偏向報道の垂れ流しの弊害は、放射能以上の、津波のような・「偏向報道汚染」を拡散した感がある。その結果、日本全国の原発地域を恐怖に落とし込んで反理性的な扇情的な悪霊現象の様相を帯びている。悪い事にこの度は、首相自身が首謀者であり、市民運動と言う、反国家・社会主義運動家の視点から、「脱原発」の異様な空気を放射能汚染の何倍も拡散している。近年にいたるまで、反原発、反原子力、原発ゼロなどの主張とスローガンは決まって、左翼リベラルの専売特許であった。この度の福島第一原発事故による反原発の異様にまで拡散した空気は、これまでの反原発、原発ゼロの世論とは若干異なるものであると言えても、その世論形成エネルギーの中核には、歴史的な左翼視点からのエートスが横たわっているのである。


■世界中で「脱原発」等と反時代的なスローガンで大騒ぎを続けて、国を挙げて狂乱している国など日本以外には存在しない。(下記:読売新聞記事に示してあるとおりであります)
原発国でありEU加盟国の隣国フランスなどから電気・エネルギーを輸入できる、ドイツ、スイスなどの国を別とすれば、世界の各国々は、有限の化石資源問題やCO-2問題などの深刻な事態の中で、国民的な経済基盤を守護し、国際経済競争に勝ち抜く為にも、大なり小なり原子力発電に依存している状況であり、有限の天然化石エネルギー資源の限界量、および加速する高額化に対して、核エネルギー・原子力エネルギー依存度はむしろ加速しつつあるのが世界の現状である。

■日本でも必要エネルギーの50%以上を原子力・核エネルギーにすることを国会で決議して間もないのである。(現状の火石エネルギー60%,自然エネルギー10%,原子力エネルギー30%から、それぞれ、30%,20%、50%への転換を国家で誓い、国家公約してまだ一年程である。この背後にはCO-2問題と資源枯渇問題がある事は歴然としている。菅首相は先の5月の8カ国首脳会議で、「今回の原発事故を教訓に最高水準の原子力の安全性を実現する」と明言していたのである。
■昨今の菅総理と朝日、毎日等の・・日本のマスコミの作りだした「脱原発」の異様な狂乱状況は、日本だけではなく世界の国々に大きな不安を撒き散らしている大公害である。米国、中国、インド、ブラジル、フランス、オーストラリア・・などなどの国で一体どこの国で表立って「脱原発」「原子力ゼロ」などと、政府を挙げて叫び続けている国があると言うのだろうか? 反理性の集団ヒステリーそのものである。情緒的な日本国民の陥りやすいウイークポイントであろう。


■ドイツは「左翼緑の党」や「リベラル左翼の社民党」など左翼バネが強く、「脱原発指向」を続けてきたが、CO-2削減問題や、電気量買取る制度などを維持する為に、一般電気料金が高くなり、さらに税金までも投入してきた結果、ついにメルケル政権は「原子力・核エネルギー推進」に舵を切らざるを得なくなったが、福島原発事故はその矢先の出来事であったのである。
原発事故の根本が「津波対策欠如」にあったことが正しく伝えられていない。女川原発がマグニチュウ度9の大地震のほぼ震源地に近接していたが、無事で有った事実が正しく伝わっていないのである。女川原子力発電所は、安全であり津波及び地震被災者の避難場所に活用されていた真実が正しく伝わっていないのである。

■ドイツは、日本での「福島第一原発事故」を正しく総括できずに、津波対策に失敗した福島を仰ぎ見て、再度「核エネルギー依存解消」へと元きた道へと再転換したのであります。ドイツは過去の反省をしたばかりで、以前のような時点に復帰しようと国策を転換しましたが、今までの反省に基づいた、「核エネルギー強化への転換政策」を忘却したように見えるのであります。

★ドイツは時間とともに再度また転換する事になる可能性があります。有限の化石エネルギー資源では将来の国家滅亡にいたることと、高額の電気料金にノ―を下したばかりでありました。いわんやドイツが電力不足を補充する安全の為のエネルギーはフランスの核エネルギー、原子力エネルギーからの電力を買い求めるとの考え方が不純極リありません。エゴそのものであります。


「脱原発の悪夢」読売新聞:7.23:社説は転機に成るか!


■2011年7月23日(土曜日)の読売新聞社説に、今までの「脱原発の悪夢」を反省し批判した、まともな言論がやっと出されて来たのであります。
読売は当日の第二面でも「検証★脱原発」連載5回目・最終回に『世界の主流は原発推進』で特集を絞めくくり、朝日新聞をはじめとした日本のマスコミと菅直人総理が如何に異例な特殊な存在かを、各国の原発数字入りのデータを明示すると共に、米国もロシアも中国も韓国も・・原発推進路線を取らざるを得ない事を銘記しています。
この社説が「菅直人・朝日の脱原発」世論誘導公害に転換を迫る可能性があります。以下に2011年7月23日(土曜日)読売社説を転記する。


2011年7月23日・読売新聞・社説


国際信用損なう首相の不見識―「原発輸出見直し」を疑う!


■世界3位の原子力大国である日本の首相が「脱原発依存」を発信し続けていることで、内外に波紋が広がっている。このまま国家戦略の根幹を成すエネルギー政策の方向性が定まらないようでは、国際的な信頼も失いかねない。憂慮せざるを得ない事態である。
菅首相は参議院予算委員会で、個人的な考えのはずの「脱原発」を正当化し、政府の方針を転換するかのような答弁を繰り返した。

■その一つが政官財一体で推進してきたベトナムなどへの原子力発電の輸出である。「外交手続きは進んでいる」とする一方で、「きちんとした議論がなされなければならない」と述べて、輸出を見直す考えを示した。「脱原発」との整合性を採る為の窮余の答弁であろう。


■だが、政府が主導してまとめた契約を、一方的に見直すと言うのは無責任に過ぎる。政府は地球温暖化対策や原発の新規導入国への技術支援になるとして、原発の輸出を新成長戦略の柱に位置付けてきた。アジアには日本の技術への期待も高い。枝野官房長官や海江田経済産業相が、首相の意に反し、原発輸出を継続する考えを明確にしているのは、責任ある姿勢と言える。

■米国のナイズ国務副長官が、ワシントンを訪れた高橋千秋外務副大臣に、エネルギー政策について、説明を受けたのも、首相の迷走に懸念を抱いたのであろう。首相は5月の主要国首脳会議で、「今回の原発事故を教訓に最高水準の原子力の安全を実現する」と言明していたのである。米仏などは原発政策を堅持し、中国やインドなどの新興国も原発増産計画を進めている。原発事故の再発防止策を示し、国際的な安全基準策定に協力、推進することこそ、日本の責務である。


■首相が手本にしたドイツは、フランスなどから電力を輸入できる。2020年までに国内17基を順次閉鎖する計画も立てている。日本は電力を隣国から買えず、ドイツとは事情が全く異なる。唐突なストレステスト(耐性検査)導入で、来春までに全原発が停止する事態も現実味を帯びてきた。全原発が3カ月停止するだけで、50万人超の雇用が失われるとの試算もある。首相の言動に対し、経済界が反発するのは当然である。
世界が厳しい資源獲得競争に入っている中で、日本のエネルギーの安全政策には不安を覚える。海図なき「脱原発」路線で日本を漂流させる事はゆるされない。
(読売新聞・2011年7月23日・土曜日・社説)


検証・『脱』原発:「世界の主流は原発推進」


■ドイツ、イタリアなど欧州の一部では「脱原発」が進んでいるものの、世界全体では、安全性を向上させた上での原発推進が主流となっている。
米国原子力委員会(NRC)は、福島第一原発事故後、原発の安全性を疑問視する声が強まった事を受け、国内原発の安全評価見直しを続けており、全電源喪失対策の強化などを検討している。ただ原発推進姿勢に変わりなどない。オバマ大統領は東日本大震災の後間もない3月30日に「米国の繁栄を、いつか枯渇する資源に委ねる訳にはいかない」と断言、原子力利用の拡大で石油資源依存からの脱却を目指す考えを明確にした。
中東産油国の政治情勢次第で原油価格が高騰する中で、原発のリスクも考慮した上で、より差し迫った脅威として「石油資源依存の危険性」(オバマ大統領)を重視した格好である。


■ロシアの国営原子力企業ロスアトムスによると、同国は発電量に占める原発の割合を2030年までに、25~30%に引き上げる目標を掲げる。
急成長を続ける中国の発電量の80%以上が火力であり、その9割以上が二酸化炭素を大量に排出する石炭である。中国は持続可能な成長には原発が不可欠であると見ており、原発の発電量を2010年の1080万キロ・ワットから2020年には7000万キロ・ワットに引き上げる計画である。原発建設予定数は世界最多である。同じく新興国のインドでは、原発の発電量を2020年までに現在の4倍に増やすのである。

■日本と同様に、石油や天然ガスの大半を輸入に依存する韓国も多様なエネルギー源の確保を重視し、原発推進路線を守る。韓国では国際競争を高めるために、政策的に産業用電力料金が低く抑えられてきた経緯がある。それを維持する為にも原発は必要とされている。
(読売新聞:7月23日・土曜日・「検証・脱原発・だい5回・最終回):各国の原子力発電現況のデータ―表・図面は割愛しました。


再生エネルギー法案批判―2011年8月4日・朝日新聞・社説


■菅総理と組んで日本の世論を「脱原発」へと異常な意気込みで脱・反・原発啓蒙に取り組んできた朝日新聞が、たまりかねて下記の「再生エネルギー法案」批判の社説を2011年8月4日の社説で展開している。


これでは世界に遅れる!


■国民の関心が高い自然エネルギー普及への意志と戦略を、この政治家達は持っているのか首をかしげたくなる。再生可能エネルギー法案の修正論議が始まった。その柱は、風力や太陽光などで発電する電力を長期間、固定価格で電力会社に買い取らせる制度である。自民、公明両党は、個の買い取りによる電気代上乗せに上限をつける事を要求し、民主党も受け入れる方向だと言う。

■新制度による買い取金額は電気代に上乗せされる。この上乗せ分を1キロワット時当たり0.5円を超えさせないとする案が有力になっている。標準家庭だと月額150円に当たる。電気代の急激な上昇を避ける為という言い分だ。経済産業省の試算だと、これでは総発電量に占める発電総量に占める自然エネルギーの割合は2020年までに4~5%しか増えそうもない。普及を目指す自治体やNPOは落胆している。滋賀県の嘉田由紀子知事は「今の信義のままでは、普及法ではなく、阻害法に成る」と語り、関西の他の知事と共に批判声明を出した。


■★明細書には記載されていないが、電気代には原発の電源立地交付金などの消費者負担が、一世帯当たり月額300円程含まれているとの試算もある。つまり原発の為には、自然エネルギー買い取りに制限を求める人たちが言う負担増上限の、2倍の額が既に課せられている。電気代はことしに入って上昇している。石油、天然ガスなどの化石燃料の値上がりにより、東京電力管内の標準家庭では9月の電気代が2月の電気代に比べて月額500円以上高くなる。原発停止により化石燃料の輸入が増えるので、今後さらに値上がりは避けられまい。

■化石燃料の輸入や原発に係わる負担増には歯止がなく、自然エネルギーの上乗せにだけ先に上限をつけるのか。国民の理解は得られないであろう。
自然エネルギー投資を促すきめ細かい魅力的な制度にすることが法案の狙いである。買い取り価格は、その目的の実現と企業や家庭への影響とのバランスで熟考するべきである。再生エネ法案は、管直人首相の退陣3条件の一つである。成立を急ぐ気持ちも解かるが、自然エネルギーの十分な普及につながらない内容となるならば、本末転倒も甚だしい。 (2011年8月4日:朝日新聞:社説)


注1)化石燃料は何時か枯渇するものであり、順次値上がりしてゆくのであります。CO-2問題だけでなく、原子力エネルギーは安価で経済性に富んでいるだけでなく、枯渇の心配が無い永遠性のあるエネルギーであります。ドイツの自然エネルギー買い取りの経験は買い取り価格が、一般電気料金に上乗せされるため、電気料金の果てしない高額傾向とさらに税金までも投入せざるを得なくなり挫折した経緯がある。脱原発は如何なる方策を行使しても、ウラン、トリュウムの原子力エネルギーに対して経済的負担が大きいのである。


注2)太陽光パネルは事実上,夜や雨期や曇り日等などを考慮すれば、正味は一年のうちの一カ月程の稼働率であり、あわせて日本では台風の被害が出やすいのである。瞬間風速70メートルの台風でパネル破壊されない様にしなければならない。同じく風力・風車は台風にすこぶる弱い設計である。沖縄の風車は台風でみな破壊された。台風の来ない国で考えるべきものである。
★台風と地震と梅雨国家日本が、風力、太陽発電に国家の運命を託すことはあり得ないし危険なことである。現在では1%程で有り、原発に代われる時代が来ることは全く見えていない。政府の菅政権以前の計画:水力を含む自然エネルギー20%達成ですら奇跡のように思えるのである。おまけに脱ダム宣言がなされている。


注3)脱原発が間違って成功すれば、日本は極東の乞食国家になる可能性大である。世界の歴史から完全に取り残された、極東の貧しき無職の乞食国家、企業も国際競争に勝つためには、原発国家に移転し、日本は雇用なき乞食国家になり、「最小不幸社会」の出現に反し、人口減少の「最大不幸社会」になる可能性があると言える。
「脱原発」は悪魔的な無知から来る「馬鹿げたスローガン」である。 少なくとも、菅直人氏は神の人ではないであろう。悪の帝国からの使者であろうか?
原子力の否定でなく、可能な限り安全で安全安価な原子力エネルギー活用に全力を投入すべきである! 原発の危険度を最小にして、安全レベルを最大最高にすべきである。故に以下「原発安全革命宣言:トリウム熔融塩炉安全原発」を記す。


注4)脱原発等と馬鹿げた事を言っている時ではなく、新規原発・トリウム原発を叫び原子力・核エネルギーの新規定着化に励むべき時である。日本は世界一の核・原子力大国こそ目指すべき方向で有る。日本は核技術の開発とその世界化に貢献し、あらゆる国のエネルギー問題の相談役に成るべきである。それこそが広島、長崎の死者達へのレクエイムに成るのであります。


  

   ウラン原発からトリウム原発へ段階的に転換すべき秋である

            

    ---さよならウラン、こんにちはトリウム---

      

    米中印が続々参入…福島原発事故で浮上した未来の原発


            谷口 正次  2011年4月7日(木)


■1月25日、中国科学院(the Chinese Academy of Science)が“戦略的・先端科学技術特別プロジェクト”として、トリウム溶融塩原子炉の研究開発を行うと公式に発表した。  そして、3月11日の大震災による福島第一原子力発電所の事故だ。  3・11震災発生までは、中国科学院の発表に対して世界のメディアのメインストリームはほとんど反応しなかった。しかし、3・11以後は変わった。


米国は持っていたボールを落としてしまった


■3月21日に英国のデイリー・テレグラフ(The Daily Telegraph)に掲載された「中国がトリウムでリードする(China is Leading The Way With Thorium)」と題する記事を見てみよう。要訳すると次のようになる。
津波が福島ウラン原子力発電所を襲い原子力に対する国民の信頼を失う事になる数週間前のこと、中国はトリウムをベースとする原子力発電の技術開発に乗り出した事を公式に発表した。この事はあまり注目を浴びることなく見過ごされた。中国科学院は「トリウム熔融塩炉システムを選択した」と述べている。この液体燃料のアイデアは元々1960年代に米国のオークリッジ・国立研究所の物理学者達によって切り開かれた。しかし、米国は持っていたボールを落としてしまったのである。中国の科学者たちは有害廃棄物がウランよりも1000分の1以下になる、熔融塩炉は、本質的に悲惨な事故を起こしにくいシステムなのである


■この記事の中では、元NASAのエンジニアで、トリウムの専門家であるカ-ク・ソレンセンのコメントも紹介している。
 「この原子炉は驚くほど安全な構造になっている。もし、過熱し始めると、小さな栓が溶けて溶融塩は鍋の中に排出される。津波で損傷して使えなくなるコンピュ-タ-も、あるいは電動ポンプも不要である。原子炉自体で安全が守られる」
 「日本で見られたような水素爆発のようなことも起こらない。それは大気圧で運転されるからである。放射能漏れもなく、スリーマイル島、チェルノブィルあるいは福島のように制御不能状態が長く続くようなことはありえない」

同じ量の燃料からウランの約90倍のエネルギー


■もう1つ、3月19日、ウオール・ストリート・ジャーナル(The Wall Street Journal)の「この先に異なる原子力はあるか(Does a Different Nuclear Power Lie ahead ?)」というタイトルの記事を要約して紹介しよう。
福島原発事故は、結果的に原子力産業に再度「足かせをはめる」契機となりそうである。日本に設置されている固形燃料ウラン原子炉は時代遅れの技術であり、より安全でかつコストの安い、全く違った種類の核エネルギーによって置き換えられ、次第に消えてゆくだろうと言う議論がここ数年間にはじまっていた。それがトリウム液体燃料原子炉である。


■トリウムは連続的にウラン233を造ることにより、トリウム自身の燃料を生みだし、(増殖させ)、同じ量の燃料からウランの90倍のエネルギーを生み出すことが出来る。ウラン233の核分裂反応によってプルニュウムその他の核兵器製造原料を生みだすことが出来る。トリウム溶融塩炉方式では、燃料が初めから熔融しているのだから、燃料棒のメルトダウンという事などあり得ない。そして核反応は冷却に従って減速される。


■新しい技術は、常に完成するまでに成熟したライバルと技術と格闘することになる。しかし、トリウムのライバルであるウランは既にコスト面で沈没した。
最初の鉄道が出来た時、コストあるいは信頼性で運河と競争出来なかった。今こそトリウムのポテンシャルを見出す事を始める時である。
この記事は3月19日に掲載された訳だから、中国のトリウム溶融塩炉の事に言及してもよさそうなものである。天下のWSGが知らなかったはずが無いのである。中国に先を越された事を米国民に余り広めたくはないと言う力学が働いたのであろうか。


■★この記事の中では、元NASAのエンジニアで、トリウムの専門家であるカ-ク・ソレンセンのコメントも紹介している。

「この原子炉は驚くほど安全な構造になっている。もし、過熱し始めると、小さな栓が溶けて溶融塩は鍋の中に排出される。
津波で損傷して使えなくなるコンピュ-タ-も、あるいは電動ポンプも不要である。原子炉自体で安全が守られる」

「日本で見られたような水素爆発のようなことも起こらない。それは大気圧で運転されるからである。放射能漏れもなく、
スリーマイル島、チェルノブィルあるいは福島のように制御不能状態が長く続くようなことはありえない」 (朋)

  






















脱原発の世論を疑う

        脱原発の世論を疑う

    

       脱ウラン原発から段階的にトリウム原発への転換を!
                  

                  2011年7月7日


1、核アレルギー日本の過剰反応

福島第一原発の事故以来、一般の人々の原発に向ける目は厳しくなった。あれだけの事故を起こしたのだから、世間の人々が原発の安全性に疑いの目を向けるのも当然であろう。確かに福島原発に於いて、危機管理意識のあまりの低さ、危機管理能力のあまりの無さなど、国や東京電力が非難されてしかるべき点が多々ある。周辺地域住民の皆さんが蒙った被害は、甚大という言葉では表せないくらい甚大で、全ての原発の安全性点検・見直しは徹底的に行なわなくてはならない。
しかし、その一方で、今稼働している原発が全て、すぐにでもストップしなければいけないほど、危険な状態にあるわけではない。安全性に最大限配慮し、緊張感を持った厳しい危機管理体制を築くことが出来れば、今回のような過酷な事故は防ぎえよう。ただそれでも潜在的な危険はある。原発の設計思想そのものに、始めから無理があるからである。無理というのは、まず先に「固体燃料」にある。


固体燃料と液体熔融塩炉

そもそも核エネルギー炉は、「化学プラント」であり、したがって燃料の形態は液体で有るべきなのである。その事は核化学反応の本質に係わる事で、核科学者ならば誰でもが同意するはずである。ところが現実の炉の設計は、かつて開発当初の在る時点で違った選択が行なわれた。液体でなく、固体燃料が選ばれたのである。

火力発電所は石炭や石油を燃やした熱で水を沸かし、その熱水からの水蒸気でタービンを回すことで発電をしているが、今の軽水炉は、その石炭や石油を核燃料に代えたと言える。つまり「火力発電所の原理」でつくられていて、「核エネルギー発電の原理」には反しているのである。その結果、軽水炉に於いては、核燃料は被覆管に密封され、その周囲を水が循環する方式となったが、この方式では核燃料や被覆管は、核反応や放射線の影響で変質、破損、溶融して、事故原因となることが多い。

反応により発生するガスが被覆管内部に密閉され、高圧となって、管の破損時に外部にガスが噴き出す危険性を生む。さらに、水は放射線で分解されて、爆発の危険性の在る水素を発生する。高温高圧となる水による材料の腐食も難問である。こうした諸々の不都合を抑え込む為に、炉の構造は各種の安全装置やモニター機器類を装着して複雑となり、それだけ保守・点検が大変になり悪循環である。そこに貫かれているのは、「合理性を持った技術の原理」ではなく、「多重防衛という無理筋対応」なのである。こうした不都合が極限となって重なった結果が、福島の事故で有る。

「化学プラント」は液体が正道で有ります。核燃料が液体で有れば、今述べた技術の難点のほとんどは解決出来る。そして決定的に安全性が向上する。炉の構造もシンプルな者に成り、保守・点検が容易になるだけでなく、ロボット等を利用した遠隔管理や修理作業も実現でき、作業上の被ばくも最小限に避けられる。

仮に東日本大震災クラスの大地震と大津波が襲ったとしても、「トリウム熔融塩炉」で有れば、十分に対応できる。(塩が解けたものを想定のこと)・・大地震、大津波等の非常時には、核燃料を炉の下部から、地下の冷却水プールの中のタンクに落す。そうすれば連鎖反応は、自然にストップする。炉の内部で連鎖反応が起こるのは、そこに中性子を減速させる黒鉛があるからで、核燃料が冷却水のプールに落ちれば、燃料の周りに黒鉛が無くなり、したがって中性子も減速されず、臨界が起こらないのである。

核燃料熔融塩は連鎖反応が終わった後も崩壊熱を出し、(福島は大変な辛苦を味わっているが)地下に落ち、冷却水・ホウ酸水・で急速に冷やされると安定な、ガラス固体になり、後は自然に冷めてゆき「崩壊の暴走」を心配する必要が原理的に無い。万一核燃料の一部が、地下の冷却水のプール以外に事故で漏れ出しても、炉外に黒鉛が無い以上臨界にはならない。空気で冷えて、ガラス固体になるだけである。テロにあって炉が破壊されても同じことで、漏れた核燃料はガラスのクズ・屑状になりそれ以上飛散することはない。炉は高温格納室と炉格納建屋に守られているので、放射線物質が漏れ出る危険性はほとんどあり得ない。核燃料は、高圧ではなく常圧であり、高圧に伴う各種の危険性も回避できる。

熔融塩というのは、いわば地球のマグマみたいなもので、「熱で溶けた液状になっている食塩」を思い浮かべてもよいと思う。とても安定した液体であり放射線を浴びても変質したり、破損したりせず、冷めればガラス状に固まり、遠くに飛散しても変質、破損して環境を汚染することは無い。このガラスは、空気にも水にも反応しない。この熔融塩に核燃料を・「トリウム」を溶かし込で使用するのである。
核反応により発生する放射性ガスは、常時除去されていて、常に炉の中には微量しか存在しないので、漏れ出す心配をすることは無い。また核燃料塩は水には溶けないので、燃料中の放射性物質が、水に溶けて外部に流出する「お染水流出」の危険性は無い。


脱原発世論を斬る! ウラン・固定燃料原子炉から、熔融塩炉・トリウム原発への転換に着手し、安全確実原発体制を強化せよ!

福島原発ショックで、無責任なマスコミによる世論のミスリードが行なわれている。原発は危険である,廃止すべきだ、自然エネルギーに帰れ、今や世論は、脱原発の大合唱である。日本のマスコミ世論の大合唱で良き結果が出た事はまずないのであった。
1950年ごろ、多数講和と全面講和の日本独立問題でのマスコミ世論は冷めて見たときには悪霊的であった。1960年ごろは、日米安保反対!日米安保で日本は戦争に巻き込まれる!安保反対!・・これも群集心理の悪用であり悪霊的であった。横須賀に原子力潜水艦が来る!核の汚染で日本の海が危ない!原子力潜水艦寄港反対、海を守れ。憲法9条を守れ、憲法改正は戦争への道だ。平和憲法を守れ!・・・日本のマスコミは悪霊的反理性の情緒的な要素が消えることは無い。

米国のような国では、ニューヨーク、ロスアンジェルス、シカゴ、ボストン、デンバー、テキサス、・・・各ステートの有力紙が連合し、日本の報道のように、情緒的で、ポピュリズムを加速する、付和雷同型の反理性的な大合唱の成る事は無い。米国のマスコミは、戦争のような特別な国家非常事態にでもならなければ、日本の画一的な報道のような、集団ヒステリー報道はあり得ない。個性と主体性の観点、論点をもっているのである。

日本の発電量の約30%は既に原子力に支えられている。地球温暖化問題で、二酸化炭素問題が大きな世界的問題になり、25%削減を公約した日本は、2030年の国家目標に、自然エネルギー20%、火力30%、原子力50%、への転換を決めたばかりである。2009年度の現状である、火力62%、原子力29%、・・の中で「脱化石燃料計画」を発表し決定して間もない。この火力の部分・32%減を原子力で21%UP、自然エネルギー11%UP、を国策で決定して間もないのであり、福島ショックで軽軽にマスコミ世論に迎合するかのように「脱原発・エネルギー計画白紙撤回」を叫ぶ、管総理の異常さは、マスコミ以上であろうか。


大問題を事故の検証と今後の対策が明確化される暇もなく、首相がこんな軽軽な馬鹿げた発言を平気で行なうとは、国家の中心者としては、腹が据わっていないばかりで無く、狂っていると言わなくてはならない。あのCO2の25%削減など忘れたのかも知れない。自然エネルギーに対する、経済観念をも含めて大幅な無知から来る狂気である。
自然エネルギーが、経済性をも含めて良いもので有れば、これに反対出来るものなどなかったのであり、困難、高価であるが為に、問題があっても火力や核エネルギーを開発してきたのである。

現在進行中の発展途上国の人口の爆発的な増加、経済の発展を加味すれば、エネルギー需要は、10年で2倍~の速度で必要になる。このエネルギー需要を賄うには、安全で経済的で脱CO2のクリーンなエネルギーである、「熔融塩炉・トリュウム原子力発電」に移行してゆくべき時なのである。脱原発は軽々に口にすべきではなく、安全原発への道が既に開かれている事を確認啓蒙すべきなのである。
脱ウラン原発を段階的に試みて、安全経済的な「トリウム熔融塩原発」へと転換を図るべき時である。


2、 女川原発と福島第一原発の比較検証

非常電源まで、地下に設置していた事は如何に愚かであり津波感覚が無かった事の証明である。後悔しても恥ずかしい位である。女川原発は、万が一の冷却用外部電源確保も別々の二つのルートを設置していた程の周到さであり、福島の外部電源が鉄塔崩壊で遮断されて、使用なしで冷却不能で、臨界をもたらしてしまった事を見るにつけ、女川に比べて恥ずかしい程の津波・地震対策で有った。
女川原発の方がはるかに震源に近く危険な場所であったのに、大局無害で、避難所までに活用された事を重要視すべきなのである。

問題は、地震の被害ではない。津波の被害である。福島が、高所に立地してあったか、さもなければ、20メートル~30メートルの防潮堤で津波のカットが出来ていたら、問題は女川原発以下で有ったのであり、何も起こらなかったのである。防潮堤30メートルの高さは、7階建て程の高さのマンションに相当する。高台に立地すべきであるが、万一福島のように、高台に立地出来なかった場合は(例外中の例外にすべきであるが)7階建・30メートルの防潮壁で原発を囲むことであります。一風変わった雰囲気の原子力発電所に成るが、コンクリートと砂で創る防潮壁は安全に対してはタダとは言えないが、タダみたいなものであろう。

今回の反省は、津波軽視で、津波対策が不十分であった。これだけであり、大騒ぎする何物でもない。むしろ巨大なマグニチュウ度9の地震に対しては問題が無かった事を、大いに自信を持つべきものであります。女川原発は、悲劇の福島との違い故に、大いに参考にすべき手本であったのであり、マグニチュウ度9.0の巨大地震、震度7の大震災の中で、避難民の避難場所にも成ったことも含めて、天下に誇るべき大実験に勝利した事を全世界に告知すべきであります。津波、津波、津波である。地震とは関係があるが、津波は津波なのである。地震に負けたのではない。津波に負けたのである。

日本の建築物は、地震の試練の中で、鍛えられて、成長してきたのであり、高層ビルもその成果の現れであるが、特別重要拠点の原子力発電所が、地震に弱く設計されていることなど考えられない。高層建設物でもないのである。
全ては津波問題、高台設置、又は第二問題としての30メートル防潮堤設置が問題解決の結論であり、大騒ぎして、脱原発などと叫んでいる事は悪霊的集団ヒステリーの仕業であろう。


3、 太陽光発電と風力発電

5月10日の朝日新聞オピニオン・「脱原発」に、中村時広・愛媛県知事の投稿が記載されている。
論文の主題は「理想だが、技術が及ばず」である。御存じとおり愛媛県は「伊方原発」を抱えている。「私は松山市長時代に、太陽光発電に自治体独自の助成金を出すなど力を入れて来ました。現在、松山市では、メガソーラー発電所の建設が進められていますが、7万平メートル近くの土地に太陽パネルを敷き詰めても、予定出力は4300キロワットにすぎません。一方「伊方の原子力発電所」は、標準的な原子炉一基で100万キロワットです。現段階で太陽光発電は、量的には一気に問題を解決する代替エネルギーには成りえていません。・・・・


福島第一原子力発電所の事故についても、危機感を持つと同時に冷静さを失ってはいけないと思います。福島第一原発は、太平洋に面し、しかも近くにプレート(岩盤)の境界がありました。一方愛媛県の伊方原発は、プレートの境界から離れている上に、瀬戸内海側にある為、福島と同じような津波が来る確率は、極めて低いと考えられます。地震の揺れのリスクは同様にありますが、それぞれの原発の条件の違いを見極めて、リスクを判断することが大事でしょう。・・・

国がエネルギー政策の一つに原子力発電を位置づけて来た以上、原子力発電を含めたエネルギー全般を議論してゆかなければなりません。国会議員は英知を結集してこのエネルギー問題の解決の為に全力で取り組む必要があると思います。(聞き手・大田啓之)

7万平方メートルで4300キロワットに対して、原発は一基100万キロワットの現実がある。
情緒的に、太陽光発電を叫ぶ事は出来ないのである。ドイツなども「太陽光発電先進国」と言われて来たが、明らかに「国民の税金」がその基盤なのである。ドイツは、この重荷から解放されたくて、遂に原子力発電政策へと舵を切ったばかりで在ったが、再度行き詰まった先の「国税エネルギー政策」に戻れるのであろうか。
太陽光発電、風力発電などの自然エネルギー利用を考えるのは、人間の素直な考えであろうし、この事に反対は無いが、現在の科学的な力では、需要を賄うには無理である。


安定的に風が吹き、日照に恵まれるベストの事前条件でも、全電力の20%が限界なのである。私は沖縄にもいた事があるが、台風により風車・風力発電は壊滅であった。高さ100メートル、風車の半径40メートル・直径80メートルの風車は台風時には殆ど倒れてしまったのであり、沖縄は風力発電を語る人はいない。風車は、場所問題、騒音問題、地震問題、台風問題等など問題がやまずみである。

太陽光発電パネルが林立している写真を目にするが、瞬間最大風速70~80メートルに耐えられるのだろうか疑問も残る。自然エネルギーでCO2問題を乗り越えているもので、日本的なものは水力発電であるが、既に「脱ダム宣言」成るへんてこな宣言が出されているのである。


4、ウラン原発とトリウム原発

地球が昼夜季節にそれほど影響されずに、生物の生存に適した環境を保っている一因は、程良い地熱のそんざいにあるが、この地熱はもっぱら地中の核エネルギーに起因している。地球創生の初期の地熱エネルギーはウラン235とカリュウム40の崩壊熱による。その後放射能をもつ元素は6分の1位に減少してしまったが、今でも地熱の大部分は、半減期45億年のウラン238と半減期141億年のトリュウム232の崩壊熱に由っている。こうした崩壊熱の総量は現在人類が燃料を燃やして発生させている総熱料の約2倍ほどである。我々は、この様にウラン、トリウムの

拡エネルギーに守られて生きているのであります。


ウラン235原子番号92、だけが核反応で核分裂をおこす。ウラン235は最も原爆に適している元素である、しかしウランに次いで重い元素であるトリウム232原子番号90は、中性子1個を吸収して核分裂性のウラン233になる。この論理でトリュウムとウランは核エネルギー元素である。たまたま地球の地熱エネルギー保存の二大元素である、ウランとトリウムなのである。


トリュウムはウランと異なり世界各地に広く存在しているところが、ウランと異なる利点である事と、ウランからは、プルトニュウム239に成り、原子力爆弾にさらに転用されるが、トリウムからは、プルとニウムは発生せず、核兵器が作れない。
平和の原子力・核エネルギ―であると言えるのであり、この点からも第三世界をも含めたエネルギー問題解決の為に、世界のトリウム原発化が望ましいと言える。
逆に冷戦時代戦後の核開発は、原子力兵器への転嫁が重要視されて、米国もソ連も中国もイギリス、フランス等などの核開発はトリウム原発の路線を放棄して、ウラン中心の兵器への転嫁が出来る、ウラン核エネルギー開発になってしまったのであります。.


5、エネルギー政策の白紙撤回を白紙撤回せよ!

管総理は何処までも軽々しく、マスコミポピュリストなのであろうか?今回の福島のことで大騒ぎをしているだけではない。危険な兆候は「脱原発、エネルギー政策の白紙撤回」を叫んでいるのである。国家存亡の浮ついた、蛮行を決行しようとしている。総理引退を公言した中で最後の愚かなことに賭けているかに見える。
福島第一原発が、単なる地震問題ではなく、津波対策の失敗であり、防潮堤を造らなかった事にあり、むしろ女川原発も福島原発も大地震では問題が無い事が証明されたので、国民に安心感を与える為にも、日本の原発は、大地震にも安全だと叫ぶべきなのに、反対である。


津波の警告を出せなかった、地震予知の学者たちは40日くらい入獄すべき犯罪者である。何が地震の専門家なのだ。津波の警告が出来なかったことが犯罪的なのである。頭を丸めるべき主犯者は地震予知の学者たちである。彼らが、専門家の肩書で、「高所立地」と「30メートル防潮堤による原発包囲」を強く提言していればなんの問題は無かったのであり、福島第一も避難所に活用出来たのである。
2030年自然エネルギー20%,火力30%、原子力50%の計画は、昨年に合意されたばかりであり、真剣に合意は形成されたものである。
イタリアもドイツもスイスも日本の福島原発事故を踏まえて脱原発へと舵を切るような報道がなされている。原発を守る30メートル防潮堤が有れば、問題はまず女川のように何事もなかったのに、正しき情報が世界のも伝わらず、困ったことになっている。

これらの国々は、ドイツが経験したように、再び原発に戻ってくると確信しているが、大きな迷惑をかけたのは日本である。
日本でも太陽光などの自然エネルギーは、税金で賄うとの現実が実に迫れば、世論はすぐに変わるのである。

それにしても朝日新聞の脱原発キャンペーンは止む事が無い。「脱原発で東北ビジョン語れ」「原発リスクを問い直せ」「脱原発へ虎の尾を踏みこめ」「脱原発は好機・ドイツ首相2022年実現決意」「伊も脱原発・福島の影」「脱原発へ世論一気」声「脱原発改めて声をあげたい」声「原発問う国民法投票へ法整備を」「原発段階的廃止74%」・・その他『脱原発特集』・オピニオン特集等など。科学的見地を喪失し、かつてと同じく自己陶酔の低次元の編集に固執している。困った悪しき新聞である。原発県の皆様への不安を増幅している、加害者である。安心を与えるべきであるのに不当に不安を掻き立てているのである。

「安く・経済的で安全な原発」が何故悪いのであらうか。問題はただ一つ「安全」である。第一に現在の点検休憩中の原発の安全性の一段の強化政策。第二に防潮堤の強化による津波対策代検討。第三に、ウラン型固定燃料原発から熔融塩炉・トリウム原発への段階的移行である。超将来には「核融合への道」が開けるかもしれない。また科学技術の進展で、太陽や風力などの自然エネルギーの活用レベルが高次元に成るかも知れない。


核・原子力エネルギーは神が人間に与えた最高のものであり、人間はこれを正しく主管し、世界の平和と繁栄に活用することにチャレンジするべきである。脱原発等とは敗北主義であり、空飛ぶ飛行機がきけんだから飛行機はダメだと言う等しい。飛行機であっても現在は、マッハの速度で空高く飛んでいるではないか。朝日の大騒ぎは馬鹿げているし、それに便乗している管総理の見識を限りなく疑う。彼は一体何者なのか?神の使者にはとても見えない。(了)


★参考文献『原発安全革命』(古川和男著・文春新書2011・5)を引用・参照









民主党内紛と破局

       兄弟げんかは江戸の華か?

                 2011年6月5日-6日


■鳩山、菅直人、小沢は民主党一家・カラマゾフ家の三人兄弟か?
小沢が一番強い兄貴分・長男ドミトリー。鳩山が三男アレクセイ。菅は次男・無神論左翼・啓蒙主義者・イワンなのか? 次男・菅直人は口八丁のカラマゾフ家イワンに勝る無神論・左翼反国歌・反国家・市民社会主義者だ。罪と罰のラスコリ―二コフの様でもある。鳩山は神を愛する「敬天愛国」の姿勢が弱く、三男アリョウシャには成れていないが。


■第一次鳩山民主党は1996年9月に鳩山兄弟と菅直人が合体し、左翼さきがけ党の親分・武村正義などを追放し結成された。民主党が結成された直後に、江藤淳は「この民主党は結党宣言に、安全保障政策の一言も無く、憲法改正の一言も無い。合わせて滅びゆく社会党の延命救済集団のようであり、期待は絶望に変わった」と失望と怒りをもって、文芸春秋『諸君』1996年11月号に記事を投稿した。


■後日鳩山民主党は、小沢一郎と手を組んで、一層訳のわからぬ寄せ集めの、第二次民主党に生まれ変わった。堕落したとも言えよう。その直前まで、菅直人などは、自由党・小沢一派を「サッチャー、レーガンの後陣を行く、新自由主義、新保守主義集団である」と左派系の民主党の本性をあからさまにして、政治思想的に敵愾心をむき出して糾弾に努めていたのである。OK牧場の決闘はこのころすでに始まっていたのである。Oは小沢、Kは菅である。


■菅民主党からの、自自連合政権、自自公連合政権に対した敵意ある小沢自由党攻撃で有った。その怨讐・小沢自由党と左派・社会党的、民主党が合体して、大矛盾の中で不倫により生まれたのが第二次民主党である。

江藤淳はこの時は既にこの世にはいなかったのであるが、生きていたら、このいい加減さの上塗りで生まれた不倫政党に対し最大限の怒りをぶっつけた事でありましょう。


■2011年6月、この度遅きにあるが、民主党は解体して再度、第三民主党を結成すべきである。マニフェスト詐欺作戦は処罰されるべきだ。普天間基地を海外に、最低でも県外に!増税は絶対にしないこと、自民党政治下での無駄を省き、20兆円削減し、子供手当5,6兆円、高校無料化、高速道路無料化、農家の戸別保障を貫徹する、ガソリンなどに掛けられていた暫定特定加税を廃止し、ガソリン等の値下げを計る。等など・・17兆円のバラマキである。・・・これが結局完全に不渡りであり100%偽証罪に終わったのである。おまけに、二年立て続けて44兆円もの赤字国債を発行したのである。実質大増税ではないか。ムダ減らしどころか予算規模は92兆円と大いに膨らんでしまったのである。これを詐欺政党と言わずして何と言うべきであろうか。


★菅政権は与謝野馨氏を政権に閣僚として取り込んだ。民主党政策批判の最大最強人物を政権に取り込んだ。ムダ減らしなど全く出来なかった菅民主党が、消費税アップを演出せんがための卑劣なやり方である。これもまた公約違反の極み人事である。破れかぶれの現実は、政党選挙・政党民主主義を埋葬したのである。国民をばかにしている民主党・菅政権の態度である。


■菅直人が批判を受け糾弾され、つるされている。当たり前である。始めから政権の正当性はゼロ・零なのである。民主党政権は欺瞞である。国民不在であるとの批判を克服する為には、政権を公明党にゆだねて、山口内閣の公民連合政権の選択か、現状では不可能に近いが衆議院解散総選挙で選挙のやり直しをすべきである。


■それらができなければ、最低、亀井静香・国民新党に政権を渡すべきである。亀井内閣で公明党も参加した「国公民連合政権」である。マニフェスト詐欺犯罪者である民主党には、政権政党は許されていない。

『ボイス2009年10月号』「民主・公明連立論」―民主党にこれだけは言いたいー花岡信明(拓殖大学教授)。 現在では、正しくは「公明・民主連立論」、山口内閣・山口公明党政権・山口「公明民主連立政権」が生きる道であった。民主党政権は許されていない。総選挙が震災の為厳しい現状であり、民主党に許された道は山口政権、又は亀井政権の与党に連立参加させていただくことであります。菅直人氏が政権を手放さず固守している事は間違いである。

次の民主党代表も政権につけば同じ過ちである。総理になれば犯罪である。その点が菅さんには理解できなかったのである。


■大連立は間違いである。基本的に現状では、大連立は、自民党の堕落になる。政治の取り返しのつかない堕落であり、政党民主主義の敗北であろう。万一大連立を組むならば、以下の合意が必要であろう。
第一に★憲法改正・憲法第9条「白紙撤回・安全保障条項銘記」、第二に★日米安保堅持、第三に★普天間基地のキャンプシュアブ・辺野古崎移設に合意した、「日米政府間合意貫徹」等の安全保障政策・外交政策の基本一致が必要である。それ以外の連立は許されない。第四に★谷垣政権での「自民・民主連立政権」である事。民主党には政権政党になる資格がありません。


■★憲法改正の国民合意形成のチャンスになるならばば大連立は、禍転じて大福であり、震災の犠牲者も浮かばれるであろう。


■民主党は次期総選挙までに、消費者サイドに立脚した政党である事を明確化し、合わせて、安全保障政策・外交政策で政権交代に堪えられる党に成るべきである。母型政党=民主党である。改憲政党を目指し、「憲法第九条・白紙撤回・安全保障条項銘記」を核とした憲法改正・改憲政党を宣言すべきだ。これでこそ、保守系リベラル左派政党である。こうすれば黙っていても自然に政権交代のチャンスは何時でもおとづれるであろう。父型・保守系保守・コンサバティブ政党・生産者サイドの政党との二大政党体制確立への布石である。政界再編であります。


■現在の民主党は占領下日本の無条件降伏指令に立脚したポツダム憲法擁護・反改憲・反動左翼・反国歌・反国家政党であり、愛国無視で国防軽視のイカサマ政党であり政党の命である『綱領』もないインチキ集団である。

国歌、国旗法案に鋭く反対した集団に政権党は許されない。寄せ集めの集団、寄せ集め政党で政権に着けば直ぐに破局する事が証明された。占領政策で育成された、反国家、反国防、容共の朝日新聞社、毎日新聞社が支援したので、出鱈目マニフェストでも反自民党政権党になったのだ。



大連立問題に関して


■大連立の話が朝日新聞6月6日朝刊・一面に、二面にも大きく取り上げられている。浅はか愚かな記事である。例によって国民を高所から正しく啓蒙しているようには見えない。衝動的であり、長期的な展望を欠いた、低次元理性に主管された発作的な無自覚で無知なる試みである。いつもの通りであるが。


■民主党は、反自民・自民党政権打倒!を掲げて、07参議院選挙、09衆議院選挙で戦い、「国会議院の議席」と「民主党政権」がある。与謝野のように自民党が民主党に連合すれば、政党民主主義、選挙の否定である。

この度政局の頂点でかわされて表ざたにも成った、「鳩山、管の覚書」(三項目の中心が、自民党には政権を渡さない)にも反することであり、これでは政治不信の極致になる。朝日新聞は馬鹿げている。相当理性的ではない。その場限り、時局迎合的である。


■大連立は、「反自民党大連立」が第一である。これはやろうと思えばとっくに出来ていたものである。菅直人が首相から降りて「マニフェスト詐欺の民主党」は政権からおり、山口なつお、または亀井静香政権での「反自民党大連合」が大連立の方策だ。細川、村山政権で経験済みである。


■第二の大連立は民主党の三分の一位が民主党から飛び出して、「反民主党大連立」を創るものである。これが許されているギリギリの線である。さもなければ解散総選挙を決行すべきだ。・・最悪は民主党と自民党の大連立だ。これは究極の大矛盾であり、この場合は政党の存在及び選挙の死亡になるのである。日本の民主主義政治の死亡につうじる。マスコミはこの死亡へと論点をはっている。愚かで犯罪的である。震災対策は重大ではあるが、かつての阪神淡路大震災の時のように、石原信夫官房副長官のような人物とその官僚を核とした専門家集団に任せればよいのである。政府の責任は、安全保障、外交、景気対策、新たなエネルギー対策、・・・政府らしい責任と執行するべき本来の重要な基本課題が山積しているのである。震災対策は早く専門家集団に任せてしまうべきである。震災対策が連立の思想的な中心であってはならない。民主党政権でなければ、全ての政党も一致して協力できるのであるから。


■自民党は憲法改正を成し遂げるべく強力な決意をすべきである。憲法改正に使命を賭けない自民党は、ほとんど民主党と変わりはない。政権交代は、時間の無駄であろう。改憲に政党の運命を賭けない自民党は解党すべきであろう。無くても良いイカサマ集団である。