令和3年2月19日長崎新聞に於いて、
県庁跡地の埋蔵文化財調査の報道がなされた。
長崎奉行所にて使用されていたとみられる。
1600年代の瓦等の破片などが見つかった、との事である。
期待されていた江戸期以前の建物遺構は見つからなかった、
との事であるが、不肖私は、岬の協会にあっては、
豊臣秀吉の命により、
解体され寺社等に下げ渡されたのではないか ──
瓦一枚、材木の一本も残さぬ様に ──
キリスト教施設の跡形もなくなるような、
措置がなされたのではなかろうか ──
等と思うのである。
今後県にあっては、
跡地活用策の検討を本格化させる見通しであるとか ── 。
ところで東側については江戸期石垣の高さ迄掘り下げる事は、
なされぬのでありましょうか── 。
私はこの際やるべきと思いますが ── 。
明治以降の埋設土はとり除くべきではないでしょうか ── 。