平成30年1月19日で上記エンプラ闘争から、
50年が経過するとの事である。
他所事の様な表現をするが、私はテレビで見ておった。
不肖私、当時警視庁第一機動隊に所属していた。
我々と同一敷地内に居た特科車輌隊が、
佐世保へ派遣されていたので感心を持って見ていた。
放水車輌等がそれである。
放水銃から発射される水は着色を施されていた筈である。
この車輌は大いに威力を発揮していた様であった。
派遣メンバーの中には、連合赤軍にあさま山荘で殺された、
高見警部もおられたのではなかったかと記憶する。
九州地区の機動隊員が頑張っておられたが、
警備事象に不慣れの様子のようであったと記憶が有る。
1月15日付長崎新聞の記事を読みながら、
まさに50年の感慨を深くしている処である。
本年3月で私、74歳である。