3.11...あの日みなさんはどこで何をしていましたか?
私は母と祖母と自宅にいました。
確か午前中、前の年に大腿骨を骨折して要介護になってしまった
祖母の付き添い散歩をして「そろそろ花粉がひどくなるから一緒に散歩いけないかも?」
なんて話して家に戻り、昼食を食べ...録画した番組を母とみていました。
午後突然揺れました。
最初はゆっくりとした小さな揺れ
少し大きくなってきたので危ないかも?と思い祖母の部屋に行きました。
祖母の部屋に着くと揺れはさらに大きくなり
祖母の部屋のテレビは新しく買い替えたばかりでまだ揺れの耐震補強をしておらず
そのテレビが揺ら揺ら揺れて私はテレビを抑え
母は茶箪笥を念のため抑えていました
危ないので祖母はベッドに座らせたまま動かないように伝えました。
揺れが続く中、どうしたらいいかわからず
1時間くらいかな...
何かあったらすぐ動けるように、上着を着せて玄関に車椅子に座ってもらっていたっけな
寒かったからカイロ渡したりして...うん...。
家の中のものはほとんど落ちなかったけど(耐震対策を父がしていたので)
それでもトースターが落ちてきたり、冷蔵庫の下のボックス部分が揺れで空いてしまったり
私の部屋のCDがかなり落ちていたりはしました
父は仕事に行っていたので、同じ職場の方になんとか送ってもらい
日付が変わった頃に帰ってきました。
弟はそのころ仕事で別の県に住んでおり、夜にやっとつながった電話で無事を確認
車で同僚を家に送ったりしていたと言っていました。
関東でも何度も揺れたあの日...
テレビでリアルタイムでみた、映像は忘れることができません...
私ができることはあの日のことを忘れずに伝えること
本当は子どもや孫に...と思っていたけれど
それは残念ながらかなえられそうにないので
(いや...可能性があるなら...とは思うけど。年齢的になぁ~って感じね)
ブログやSNSとか、これから出会うかもしれない若い人とかに
「地震でこんなことがあった」「津波がくるかもしれない」
「津波注意報が完全に解除されるまで海には間違っても近づいてはいけない」など
そのようなことを伝えていけたらと思っています
数日前にニュースで見た高校生の方が
当時4歳や5歳だった被災した方たちが
あの日の事を伝える行動をしていて
本当に「素晴らしい人」というのはこういう方だな...と
なんだろうな、うまく言葉にできないんだけど
心の中がキュッとしたような感じがしました
私は上手く色々なことができないけれど
「伝えていく方法」は今の時代色々あるので
少しでも何かできたらいいなと思います
「私ができること」をできればいいんです
なんとなく元気がない時でも元気な時でも
芸能人の方がテレビや動画などで
いろいろことをしてくれて
それを見て笑ったりほっこりしたり
時には泣けたり、考え方に共感できたり、見習ったり...
まあ時々好きでも「?!」って時もある
好みとかの相性はもちろんあるけど
自分が「好きだ」「楽しい」と思えるものは私には必要で
とても感謝しています。
ありがとうございます🍀
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
では、また☆