仕事の上での出来事だった
当たり前にした事を 痛烈な言葉で責められ
説明しようとする私の言葉も 受け取ってくれなかった
間違った事をしたわけではなく その人と
やり方が違うというだけなのだ
どちらを選択しても 同じ結果になるのに
なぜ・・・理不尽な 納得し難い思いで
心は満たされた
その日は一日 仕事が手に付かず
うつろな気持ちで過ごした
洗面所の鏡を見ることさえ なかなか出来なかった
どんな顔をした自分がそこにいるのか・・・
息子が小さな頃 舌足らずの言葉で
よく言ってくれた事があった
「おかあさんの顔は いつも笑ってるね」
笑っていない顔を わざとしようとしても
「ほら もう笑ってるよ」と息子は言った・・・
でも その時の鏡に写った顔は
能面のように冷えた 暗い目をした顔だった
次の日 事情を知っている人に
次の日 事情を知っている人に
自分の胸の内を話してみた
するとその人は「気持ちはわかるけど
あの人に逆らってはだめ
あの人に逆らってはだめ
あの時 説明しようとしたあなたは
逆らっているように見えた」と意外な言葉が返って来たのだ
私はただ 説明してわかってほしいと思っただけなのに
「とにかく 何を言われても『はい』と
まず受け入れれば良かったと思う」
まず受け入れれば良かったと思う」
優しく言ってくれたその言葉に
私は大きな衝撃を受けた気がした
右の頬を打たれたら 左の頬も差し出せ・・・
私は大きな衝撃を受けた気がした
右の頬を打たれたら 左の頬も差し出せ・・・
ふと そんな言葉が聞こえて来た
それは聖書に書かれている 有名な聖句・・・
クリスチャンではないけれど 私も好きな聖句だった
だが 私はこれまで
その聖句の意味が 全くわかっていなかった
その時初めて「左の頬も差し出す」という事は
打った人を受け入れるということではないか・・・
という気がした
という気がした
私を打った人は 自分の考えが
正しいと思っていたので打ったのだろう
正しいと思っていたので打ったのだろう
私も少なからず 自分のやり方の方が良い・・・
という気持ちがあった
という気持ちがあった
これではいけなかったのだと思った
小さな争いから 大きな国と国との戦争まで
みな自分の方が正しい・・・という気持ちが原因となっている
正義と正義とがぶつかり合って 悪は生まれるのだ
まず相手を尊重し 受け入れなければ
次の日 私は私を打った人に頭を下げて謝った
次の日 私は私を打った人に頭を下げて謝った
その人は「怒ったわけじゃないから」と
柔らかな表情で言ってくれた
柔らかな表情で言ってくれた
この時 やっと気持ちが楽になった
いろいろな事を教えられた出来事だった
クリスマスを前にして 浮かんで来た一節の聖書の言葉
クリスマスを前にして 浮かんで来た一節の聖書の言葉
「右の頬を打たれたら 左の頬も差し出せ」
・・・でも やっぱり私にはまだよくわからない
難しい言葉である
難しい言葉である
クリスマスは その謎の言葉を残した
イエス・キリストの誕生日
イエス・キリストの誕生日
そのことを 思い出させた出来事だった

