菊の花に寄せて | nagarenotokiのブログ

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四季折々、自然の姿に感じること

11月に入ると、子供の頃の楽しい思い出がよみがえって来ます。

私の実家のあたりには、11月の戌の日に、「いのこさん」という伝統行事がありました。

いのこさんの日には、町内の男の子と女の子の宿(その夜ご馳走をおよばれして、遅くまで過ごさせてもらう家)に子供たちが集まります。宿になる家は、その町内の一番大きな子供(高校3年生くらい)の家でした。そこに、男の子と女の子が分かれて集まります。そして、町内の家を1軒1軒回り、その家の庭や畑に咲いている菊の花を少しずついただくのです。
そして、毎年大輪の菊の花をもらう家があって、男の子の方も、女の子の方も、必ずその家から大輪の菊の花をもらいます。その菊は「へそ」と呼ばれ、重要な役割を果たすのです。 

 
 

 

みんなでたくさんの菊を宿に持って帰ると、宿の庭には、大人が川原から大量の砂を持ち帰ってくれています。その砂を使って、子供たちは逆Uの字型の造形を造ります(でも、詳しい形はもう覚えていません)。毎年同じ形を作って、そこにもらって来た菊を飾り付けるのです。菊の花もちゃんとここには小菊、このあたりは中菊などとパターンが決まっていて、そして中央に大輪の「へそ」が納まります。そして「へそ」の下(・・・だったと思います)には「ごうりんさん」というひょうたん型の重い石がおごそかに置かれます。
この石は普段は町内の公会堂の裏山の下に穴が掘られていて、そこに祀られている・・・ちょっと恐れ多い石です。どのくらい昔からいのこさんで用いられて来たものなのか・・・誰も知る人はいないでしょう。これで一応準備は出来ました。

その夜、暗くなったら女の子、男の子は手に手に重箱にご馳走を持って、それぞれの宿に集結します。そして、宿でご馳走をいただくのですが、子供たちは内心戦々恐々としています。それは、オチオチしていると、せっかくきれいに飾り付けられた菊の花を、互いに奪われる恐れがあるからです。私にとって、いのこさんの最大の楽しい思い出は、菊の花の奪い合いでした。
まだ男の子たちがご馳走を食べてゆっくりしている間に、スキをついてこっそり男の子の宿から、菊の花を奪って来る・・・。そして、また男の子たちの逆襲あり・・・。そんな争奪戦を一夜に何度も繰り返します。ごうりんさんの奪い合いもします。宿と宿が離れている年は行き来するのが大変でした。今のように携帯電話もなく、相手に見つからないように山道から襲撃したり、ススキの陰に身をひそめたり・・・本当に楽しい行事でした。 

 
そして、いのこさんのクライマックスは、夜も更けて、12時を回る頃、ごうりんさんに人数分の綱を付けて、それを持って町内の家々を1軒1軒回るのです。そして庭先でみんなで綱を持っていのこさんの歌を歌いながらごうりんさんを搗くのです。それはこんな歌でした。

 いのこさんの晩に
 餅搗いて祝わぬ者は
 じゃうめこうめ
 角の生えたあこうめ
 デッサ ボッサ

この歌の後半の意味が何なのか、ずっと謎のままでしたが、年を経てだんだん「じゃ」とは蛇、「あこ」とは赤子・・・ではないかと思えて来ました。つまりいのこさんを祝わない者は蛇を産め、角の生えた赤ちゃんを産め・・・とこの歌は歌っているのではないかと。戌・・・犬のお産は安産だということから、戌の日を忘れることなかれ、犬の安産にあやかり子孫繁栄を・・・という意味なのでしょうか。私が勝手に解釈しています。ネットで検索してみると、全国的にいのこさんという伝統行事はあるようですが、私の生まれた町内くらい盛りだくさんの事をするいのこさんは見つけられませんでした。ちょっぴり誇りに思います。

そうそう、子供なのにいのこさんの夜は、2時とか3時まで伝統行事を遂行するために夜更かしが出来ました。それもワクワクして楽しい事でした。そして、ごうりんさんを搗くために町内を回る際に、流れ星をたくさん見つけるのも楽しみでした。とても寒かったでしょうに、その事は記憶に残っていません。

残念ながら、いのこさんは子供の数がだんだん少なくなって継続が出来なくなり、子供が増えて復活する時まで休眠中・・・という状態が長らく続いているそうです。

菊の花は、なつかしい子供の頃の、その遠い思い出を呼び起こしてくれるのです。