戦争が引き裂いた絆 ~2人の祖父の物語 | nagarenotokiのブログ

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四季折々、自然の姿に感じること


私には父方に2人の祖父がいる

本当の祖父は
私が生まれるよりずっと前に この世を去った
終戦を兵士として 中国で迎え
日本に帰る引揚げ船に 乗船する日を明日にして
病(やまい)に臥して その地で亡くなったのだった
一家の大黒柱を失って
あとに残された子供達5人が 生活に困らないように
祖父の弟が 祖母と結婚して
一家を背負ってくれたのだと
11歳の時に 母からその事実を聞いた
その時 子供心に抱いていた謎が解けた気がした
私の「おじいちゃん」は
どう見ても若いと思っていたのだ
一家の大黒柱が戦死すると
家を支えるために その弟が未亡人と婚姻関係を結ぶ
戦中・戦後の頃には
よくあった話だとも聞いた

私が高校2年の9月だったろうか
その日 なぜか早退して家に帰ると
見慣れぬ客があった
亡き祖父の一番の戦友で
長崎の壱岐から訪ねて来て下さったのだと言う
その人は 祖父が亡くなる前に
自分の様子を残された家族に
伝えてくれるようにと 祖父に託されたのだと言われた
「ずっとその事が心にあったが
戦後30年以上たって やっと身辺も落ち着いたので
約束を果たしに来ました」
祖父と戦争のさなかを生きたその人は
しみじみと言われた
父も 祖父の弟である「おじいちゃん」も
母からの電話で 仕事を抜けて帰っていた
私も なぜだか学校から早退した日だった
祖父は 戦地での休憩時間も
コツコツと何か人の役に立つものを作っていた人だったそうだ
戦地から家族に宛てた祖父からの手紙を「おじいちゃん」が出して来た
家族へのあふれんばかりの愛に満ちた文面だった
日頃涙を見せたことのない父が 涙を拭っていた
ひととき思い出を語って その遠方からの客人は帰って行かれた
東京美術学校出身というその人から しばらくして
まるで写真のように見える 亡き祖父の肖像画が送られて来た
亡き祖父と 「おじいちゃん」はそっくりだった

6年前に亡くなった「おじいちゃん」には
昔 結婚したいと考えていた恋人がいた
「おじいちゃん」は若き日 夢を持って満州に渡った
そこでバリバリ仕事をして かなり良い暮らしをしていたと言う
その頃 秋田から来ていた女性と好意を持ち合っていたらしい
昔の事なので 清らかな交際だったのだろう
しかし 「おじいちゃん」にも赤紙が来て出兵
終戦後はロシアの凍える大地で 2年間の捕虜生活を味わった
その後 亡くなった兄の身代わりに
実家の 兄嫁と結婚 5人の子の親となった
それから長い時が流れ 
秋田の女性から 手紙が来た
互いに伴侶を亡くしていた
そしてたった一度 東京でその女性に再会した
しかし 二度と会わなかった
年賀状と贈り物だけはずっと続いた
6年前 「おじいちゃん」が亡くなった際
母と相談して その女性に電話をして
「おじいちゃん」の死を伝えた
80代半ばとなった その女性は
秋田の息子の食堂の手伝いをして
元気に働いていた

2人の私の祖父の人生は
本当に悲しいものだった
遥かな遠い異国で
家族の事を思いながら 死ななければならなかった祖父
明日には 船に乗れたのに
どんなに無念だったことだろう
愛する人と 結ばれたくても
「家」という守るべきもののために
犠牲になってくれた「おじいちゃん」
戦争が愛するものとの絆を 切り裂いたのだ
私が今 こうしていられるのは
この2人の祖父のおかげなのだと思う


人として生まれて
人としての幸せを・・・
2人の祖父のような悲しみを
繰り返してはならない
この世から 戦争がなくなるように
人の心から 争いがなくなるように
祈ることしか出来ないけれど