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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
また
日帝ガー
かとも思いますが…
・中央日報「日帝がコンクリートをかぶせた「彌勒寺址石塔」、20年にわたる修理完了」
「韓国の国宝第11号である全羅北道益山(チョルラブクド・イクサン)の弥勒寺址石塔が20年にわたる修理・整備作業を終えた。文化財庁は弥勒寺址石塔の修理作業を終え、20日午前11時に弥勒寺址石塔の姿と調査研究成果を公開する説明会を開いたと明らかにした。
益山の弥勒寺址石塔は現存する最大規模の百済石塔だ。朝鮮時代以降、半壊した状態で6階の一部まで残っていたが、1915年日本人が崩壊した部分にコンクリートをかぶせた。
1998年文化財委員会は弥勒寺址石塔の解体および修理を決めた。全羅北道の構造安全診断検査の結果、コンクリートが老朽化して構造的に不安定だという判断に従ったものだった。国立文化財研究所は全羅北道と協約を結び、2001年から石塔の本格的な解体調査とさまざまな分野の学術・技術調査研究、構造補強、保存処理などを行った。
整備作業の原則は「推定復元を行わない」だった。昨年12月、本来残っていた6階までの修理を完了した。文化財庁側は「弥勒寺址石塔の補修整備は単一文化財では最長期間にわたり体系的な修理を進めた事例」とし「特に国際的基準に則って学術調査と解体・修理過程を忠実に行ってきた点で石造文化財修理の先導的事例」と説明した。
文化財庁は弥勒寺址石塔整備過程で本来の副材を最大限再使用する一方、「科学的研究」を通じて構造的安定性を確保した。
2009年1月には石塔解体調査過程のうち、1階内部の一層目の心柱石から舎利荘厳具が見つかった。これを通じて、石塔の建設時期(639年)や弥勒寺創建の背景、起源者などが明らかになった。
「弥勒寺址石塔補修整備事業」の進行過程を公開してきた文化財庁国立文化財研究所は、翌月中旬まで現場を一般に公開する予定だ。12月までに石塔外部に設置された仮設施設の撤去と周辺整備まで終えた後、石塔の完全な姿を公開する。来年に修理竣工式を開催して修理報告書発刊などを終えれば石塔補修整備事業は最終的に完了する。」
…
オレは是々非々なので
朝鮮総督府は朝鮮でいいことばっかりやった。
とはいいません。
オレは「弥勒寺の仏塔」については研究してませんが、フィールドワークにしている(フィールドワーク?)
仏国寺でも朝鮮総督府による修復について
も実は
高名な日本人研究者が批判をしています。
それも…
朝鮮総督府発行の本の中で(゜Д゜)!!!
それは
『朝鮮宝物古蹟図録 第一 仏国寺と石窟庵』(朝鮮総督府、1938年)
この本の文責は
京城帝国大学教授で総督府博物館勤務でもあった藤田亮策(1892~1960年)
なんですがこのように書いています。
「(現代仮名遣いに直しています)しかしながら仏国寺においても石窟庵にしても、これが美術史的また考古学研究はいまだ充分と言う程度に達しておらず、必要な基本調査を行うことなくしてまず修理工事を実施したために、今日では既に原形の明かならぬ部分を生じている。」
と書くとともに、なおかつ
各項目で批判を加えています。
その批判に抜けている部分でいうと、オレは仏国寺に朝鮮総督府が設けた「庭苑」の存在を指摘しておきましょう。
オレンジ丸で囲んだ部分です。
ここは樹木が植えられて庭苑になっているのがわかりますが、『仏国寺古今創記』付属地図をみると
極楽殿の後ろの部分に
香爐殿
があったことが記録されています。
実際に、1969年の発掘作業で礎石が発掘されており、現在は何故か「法華殿」址とされています。
法華殿址
しかしこれは
香爐殿址とすべきでしょうけどね。
この場所の発掘作業に当たった金正基氏が、古くからの補修の後と「植えられていた樹木の根」などのためにかなり荒らされていた、と回顧しています。
この場所の朝鮮総督府による「庭苑化」は地下の遺構に悪い影響を与えたのは間違いありません。
とはいえ、
朴正煕政権時代の仏国寺復元?による…
「朝鮮の過去の建築様式の博覧会」化はもっとまずかったと思うけどね…
今後韓国がやろうとしている徳寿宮の復元工事なども含めて
ちゃんと遺構+朝鮮総督府時代の調査の資料もきちんと精査した上で
観念に基づくものではなく(韓国人はこれをやるから)、証拠に基づいたきちんとした復元をして欲しいものです。
お後がよろしい様で…
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