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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
慰安婦問題に興味のある方だと
千田夏光という名前をご存知の方も多いと思います。
そう
「従軍慰安婦」という名称の名付け親
として知られる人物です。
その作品がこれ…
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従軍慰安婦 (〔正〕) (講談社文庫)
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色々問題点が指摘されるこの作品なんだけど、しかし
慰安婦問題初期に書かれただけに変な神話に毒されていない
という利点があります。
例えば、初期に慰安婦を集めた人にインタビューした際に、千田氏は水を向けて
日本軍による慰安婦の前線投入の言質をとろうとする
のに、こんな会話に…
千田「(慰安婦を集めた)その時あなたは軍人だったのですか?軍人だとしたら階級と所属はどこでしたか?」
証言者「軍人でも軍属でもありません(きっぱり)」
千田「給料は連隊から受けていたのですか?」
証言者「食事は連隊本部の兵隊になんとなく給与されていましたが…」
千田「給料はもらってない?」
証言者「そうです。(きっぱり)」
とかね。千田氏はなんとか「軍の所属の人間が慰安婦を集めていた=日本軍の仕業」としたいのが見え見えなのに、
あっさり否定されている…(笑)
こんな風に結構興味深い話が多いんですよ、この本。
そして今回韓国で公開?された
ビルマの騰衝で日本軍に虐殺された朝鮮人慰安婦
と言われる映像…
この場所、ビルマの騰衝の名前を聞いたときにすぐにオレが思い出したのが…
朴裕河教授の『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』
に引用された『従軍慰安婦』で千田氏の書いた文章。
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帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い
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「従軍慰安婦」の生みの親が「韓国の公的記憶」を否定してます…(汗)
『従軍慰安婦』の第五章「飢え、そして玉砕す」からの引用です。
昭和十九年である。すでに太平洋戦線では、ガダルカナル島失陥からニューギニア軍の崩壊、連合軍は怒涛のごとくサイパン島を目ざしている時期でもあった。中国軍は怒江を上流で渡江し、まず主力を騰越(騰衝)方面に進撃させてきた。ここに松井連隊は野砲兵大隊金子恵次郎少佐を隊長に…を配備、拉孟に残し、自ら主力をひきい騰越方面の応援におもむいていった。それはもちろん師団命令であったのだが、残留部隊にはこのほかに三百人の野戦病院入院中の患者がいた。それと十数名の慰安婦である。
正確に言うと兵隊千二百六十人、非兵隊十数名になる。
さて、日本軍の目が騰越にむけられている六月二日、とつぜん、この拉孟に数門の重砲による中国軍の攻撃がはじまった。留守をねらっての一大反攻のはじまりだった。
(以下、金子少佐の隊の奮戦とそれを支えた慰安婦らの話が続く(後述))
兵力は一対三十。金子少佐はさらに乏しい兵力をさき、三百人で支えることを命じたが、それも二百人にまで減っていった。八月七日である。
(中略)
九月六日、金子少佐爆死。
九月七日、真鍋邦人大尉が隊長代理として指揮をとる。午前、軍旗を奉焼。兵力はついに八十人となる。この奉焼後、真鍋大尉は動けない傷病兵に自決を命じた。それは青酸カリによるものだったが、このときである。
「あなた方はお逃げなさい。何も日本に義理だてることはないわ。命を大切にしてお国に帰りなさい。同じ東洋人だから中国兵もひどいことしないと思うわ。私たちは兵隊さんたちの後をここで追うから。」
日本人慰安婦は、朝鮮人慰安婦に白布をかかげ投降することをすすめ、傷病兵たちの飲む青酸カリをあおいだのである。突入した中国兵が数えたその遺体は七体だったという。
以上の状況は中国軍に投降した朝鮮人慰安婦が伝えたものだが…(後略)
…
上の映像を見ると
遺体は6体見えます。
これはもしや
拉孟で自決した日本人慰安婦の遺体なんじゃないか、と…
テキサス親父氏によればこの映像についた説明文には「日本人女性の持ち物を奪う中国兵」とあったそうですが、
亡くなった日本人慰安婦の遺体
という可能性は結構高いのではないかと思います。
普通の女性がこんな前線にいつまでもとどまっていた訳もないですしね。
しかし千田氏が集めたこの証言が本当であれば、
1)日本軍の最前線に日本人慰安婦がいた
2)慰安婦たちは最後まで日本軍と行動を共にした上で、朝鮮人慰安婦たちは生き残るようにうながされた
3)上の映像はビルマで自決した日本人慰安婦の可能性がある
という
韓国の公的記憶である
「日本軍が戦争末期に朝鮮人慰安婦を皆殺しにした」という話が崩壊する訳です…
そもそも朴裕河教授も、韓国で採取された慰安婦の証言を基に「朝鮮人慰安婦には帰国出来た人も多い。」「虐殺の例はほとんどみられない」と書いていますしね。
なお、日本の右寄りの人たちは
慰安婦はただの売春婦だった
という人も多いのだけど、拉孟守備隊と命を共にした慰安婦たちは兵士たちが帰還を促すのにも
「兵隊さんたちと最後まで一緒にいさせてください。私たちも兵隊のつもりです。」(『従軍慰安婦』より)
と
死闘を繰り広げる兵士の後ろで支え続けたそうです。
慰安婦たちも
皇軍の一員の意識をもって一緒に戦ってたんだよね…
それは
朝鮮人の慰安婦だって一緒だったはず…(当時は日本人だったしね)
前線のすぐ後ろで、
日本兵を支え続けた存在、それが慰安婦の一面でもある限り、
オレは「慰安婦はただの売春婦」なんて言えないです。
オレは...
戦後も日の目を見ることが出来ない存在になってしまった慰安婦の方々に感謝すべきだと思いますね。(当然「似非慰安婦」は除きますが…)
お後がよろしい様で…
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