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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
よく朝鮮王朝末期の朝鮮の社会がひどかったことを表す資料として取り上げられる
イザベラ・バード著『朝鮮紀行』(講談社学術文庫から和訳がでてます)
なのですが…
こちらのブログにコメントも書かせてもらいましたが、ちなみにイザベラ・バード記述について取り上げた人で
この本を全部読んだ人ってどれくらいいるんだろうか???
朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)
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文庫本とはいえ
注まで入れれば600ページ近い本
実際どれくらいの人が読んでいるのか、オレ的には疑問です。
この本を全部読むと
イザベラ・バードの朝鮮に対する愛情(実は使命?)が伝わってきます。
何故「使命」なのかと言うと、
オレ個人としてはイザベラ・バードは実はイギリスの女性スパイだったのでは?という思いもあるからですけどね。
和訳本があるかどうか知らないけど、彼女はペルシャ(現イラン)の奥地なども冒険しているのだけど、
ペルシャも朝鮮も当時の英露対決の最前線の場所なんですな。
そこに軍人でない女性が行って地理や社会情勢の詳細、さらにはロシアの沿海部のように
軍人の配置の真偽まで確認しに行ってる
しかもそれぞれの土地でイギリスの大使などから
政治軍事情勢についても詳しい情報を入手しまくってる
ということを考えると…
(゜Д゜)<お前平田スパイだろっ!!!
といいたくなりますね。
さて、そんな女スパイ、イザベラ・バード(まて)なんですが、朝鮮の都のソウルの汚さに閉口したことは確かに書いているのだけど一方で
「北京を見るまでわたしはソウルこそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、紹興に行くまではソウルの悪臭こそこの世でいちばんひどいにおいだと考えていたのであるから!」(文庫本58-9ページ)
と
清の都だった北京や紹興の方がソウルよりも汚かった、と書いている訳ですね。
つまり
彼女が訪れた東洋では「日本が例外的に綺麗だった」って話ですね。
また彼女は
「さらにつけ加えれば、これほど安全な環境をもつ都会はほかにない。わたし自身そうしたように、女性が西洋人のエスコートをつけずに城壁の外をどちらの方向へ馬に乗って出かけても、なんら問題は起きないのである。」
と
朝鮮の安全性について記録しているし
実際に彼女は女性一人で現地で探した通訳などと共に田舎まで普通に旅行しています。
さらに
「ソウルの場合、一種ふしぎな趣という点では他のどの首都と比べても優劣つけがたい。」
と高く評価しているし、実際に何度も朝鮮を訪れています。
また人によっては朝鮮王朝時代の汚かったソウルの町が、日本の統治の下で綺麗になった、と書く人も多い訳ですが、
イザベラ・バードが1897年にソウルを再訪した際に、
ソウルの町が綺麗になっているのに驚き…
「通りにごみを捨てるのを禁止する規則も強化されている。ごみや汚物は役所の雇った掃除夫が市内から除去し、不潔さで並ぶものがなかったソウルは、
いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている!」
とまで書いています。
これは新任のソウル市長だった李采淵が指導力を発揮して行った改革によるもののようだけどイザベラ・バードいわく
「1894年当時そのままの姿の残るスラムを写真に撮ってこの章に添えられればと探してみたが、そんな場所はどこにもみつけられなかった。」
ということで、
朝鮮人自身による改革でソウル市内が劇的に変化したことが描かれています。
日本が併合する前にね。
イザベラ・バードは彼女が実際に会った
朝鮮王朝最後の王(大韓帝国初代皇帝)高宗の人格を非常に高く評価しているし…
しかし、概ねイザベラ・バードの記述を取り上げる人は
ソウルは汚い、最低の都市
みたいな書き方の部分だけを取り上げてますが、
こういう部分もきちんと書かないとあかんでしょうね…
お後がよろしい様で…
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