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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
いま、韓国で
寺内正毅初代朝鮮総督(在任:1910~1916年)
の名前を出せば
日韓併合期の武断政治で朝鮮人を弾圧しまくった極悪人
という言い方をするでしょう。
そんな寺内総督が
朝鮮の文化財の素晴らしさを世界に広報し、それを守るのに尽力した
なんてことは
今の韓国人は信じないでしょうね。
鄭均大編『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)に掲載されている藤田亮策による「ビリケン総督」(確かに「ビリケンさん」に似てる…汗)というエッセイ(初出は『親和』1958年2月号)を読んでいただけると
寺内総督による「文化政策」がよく分かります。
今の韓国人に言わせれば
日韓合邦時に朝鮮の文化財が海外に持ち出されたニダー!!!
と叫ぶのだろうが、
朝鮮の文化財の海外流出を防ぎ、持ち出された文化財の回収までした立役者が…
寺内正毅朝鮮総督( `Д´)ノ!!!
しかしすごいね…
・大正5年の初に「朝鮮古蹟保存規則」を発布して、あらゆる古建築・史蹟・古美術品・文書記録を調査するとともに重要なものを指定し、歯かい・変更はもとより、朝鮮半島以外への搬出を禁止した。
・釜山・仁川・元山・新義州の税関に指令して、保存法指定の物件はもとより、貴重と思われる古代仏像・絵画・彫刻・工芸品は一切報告させ、総督府の指令が無いと移出・輸出を許さなかった。(昭和6年までらしい)
・(朝鮮総督府)博物館の陳列品の最初の部分は大半寺内総督自らの購入寄贈品。
・或る弁護士が亡くなった際に遺品の高麗鏡を買いとるのに関野貞先生が出した鑑定額の2,3倍の価格で買いとった。
・景福宮内の大理石造りの玄妙塔は大阪に持ち去られ、藤田男爵家の墓地に安置してあったものを「寺内さんは自ら交渉して京城に持ち帰った。」
・上の塔とかぶるかもしれないけど、やはり朝鮮から持ち出された仏塔を関野貞先生の尽力で朝鮮に返還させたという話も有ります。
ちなみに
当時日本人にこうした書画骨董を売っていたのは
盗掘や盗んだ文化財を取り扱う朝鮮人だったのだけどね…
金になると分かれば
墓や遺跡を盗掘してでも貴重な文化財を売りさばく朝鮮人が多かったことの方が問題だと思うのだけどね…
それを防ごうとしたのが
寺内正毅朝鮮総督( `ー´)ノ
ま、
そんなプラス面の評価なんて今の韓国人は絶対しないと思いますが、
せめて日本人には彼の功績をきちんと伝えて欲しいですね。
今回終わり。
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