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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
昨年書いていた【朝鮮料理の歴史の一端】シリーズの連載再開です。
過去記事はこちら→【新連載!朝鮮料理の歴史の一端】のまとめ&メニューページ
今回とりあげるのは…
ソルロンタン( `ー´)ノ
右下のスープがそれです。
このスープはどんなスープかというと
「ソルロンタン(設農湯)は牛の骨・内蔵・すねなどの部位を水から長時間じっくり煮る汁物。昔王様が臣下を率いて豊作の神に祭祀を行った後供えた牛でスープを煮てたくさんの人々に分けて食べた事から由来される」(韓国伝統飲食研究所著『美しい韓国料理 100撰』)
なんて書かれていますが…
さて、
昭和9年(1934年)に書かれた安倍能成の随筆「或る日の晩餐」(鄭大均編『日韓併合期 ベストエッセイ集』ちくま文庫所収)
を読むと…
「鐘路から横に折れた貫徹洞という町の、優美館という活動小屋の向こうの貨泉屋という家の雪濃湯(ソルラ(ロ)ンタン)は、京城でも有名だということである。先ず店へ入ると、そこに風呂桶位の鉄釜がぐらぐらと白い液を煮立たして居る。その中に
牛の頭の毛皮の残ったままのが浮かんで居るグロテスクな光景が日本人を一番驚かすのである
が、その時は牛の頭は煮出されてふやけ且しなびた姿でその脇に置かれて居た。
(中略)
卓の上には胡椒、唐辛子、塩、葱の薬味を別々に入れた鉢が置いてある。間もなくソルランタンを持ってくる。 (中略) その汁は乳の如く白くて、中には堅い薄い、煮出されて味のない牛肉が4,5片と、米粒と素麺が入って居る。
(中略)
話が横へ外れたが、私がソルランタンは一言にしていえば牛のスープである。牛の頭も肉も骨も臓物も皆一緒にぶちこんでグツグツ煮出したものであるから、牛の持って居る色々な養分は悉く液中に溶け込んで居るわけである。こういう濃厚な液に醤油も味噌も加えず、唯塩だけで食うのは、如何にも純粋に滋味そのものを吸うような気がする。それにその味は私には存外さっぱりして居り、その熱さの為にか妙な脂臭さがない。 (後略)」
…
牛の頭の毛皮の残ったままのが浮かんで居るグロテスクな光景が日本人を一番驚かすのである
…
王様に関係のある料理には思えないのだが…
か店の描写といい
普通に町中の一膳飯屋の描写だけどねえ…
京城在住だった同行者たちもこの店に来たことはなかったらしいです。
ちなみに別の本では19世紀末に日本人かロシア人が当時の京城の街中でやはり
大きな鍋で牛の頭か内臓をグツグツ煮ている描写
を描いてました。
ちょっとすぐにその資料が見つからないんだけど、この安倍氏の随筆を読んで
ああ、あれもソルロンタンだったんだなあ…
と気が付いた次第。
ちなみに
ソルロンタンの栄養価は比類がなく、オレも実際風邪をひいてしんどかったときにこれを食べたら…
あっさり治りました( `ー´)ノ
…
恐るべし、ソルロンタン( `Д´)ノ!
なお、この20世紀前半になると日本人の朝鮮人に対する評価が
肉をよく食べる人種
という感じなんだけど、
朝鮮王朝末期はまだ「牛を屠る時は役人の許可を得た」らしい。
(黄彗性+石毛直道著『韓国の食』平凡社)
確かに20世紀末期に朝鮮の各地を回って調査したロシア人の記録(ゲ・デ・チャガイ編『朝鮮旅行記』(東洋文庫))によると
各村々の抱える牛の数が少なすぎ、輸送手段などにも使っていたことを考えれば簡単に屠れないのはよく分かります。
となるとやはり
朝鮮人にとっても昔は牛肉は高根の花だったのかな???
いつ頃から牛が多く食べられるようになったのか?
結構興味のある課題ですね。
さて、
これからも色々明治・大正時代の当時を伝える本を紹介していきますね♪
こんかい終わり
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