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バンコク在住のじゅーざです。
以下、本題です。
現在日本の一部で上映されている
トンデモ反日映画『ラスト・プリンセス-大韓帝国最後の皇女』(原題『徳恵翁主』)
なんですが
・トンデモ反日映画『徳恵翁主』が『ラスト・プリンセス-大韓帝国最後の皇女-』として日本上映中!
・徳恵翁主が高宗が毒?で殺されたその場にいた
とか
・徳恵翁主がハングルの歌の子供たちに教えたとか(日本語の作詞はしてましたよ)
とか
・徳恵翁主が朝鮮人労働者の前でアジ演説した(原作小説にもない創作)
とか
・李王垠の欧州渡航に合わせて逃げ出してラブロマンス…(箸にも棒にも掛からぬ妄想)
とか
史実をぶっちぎったトンデモ映画
なんですが、史実の徳恵翁主は当然ながら
日本の準皇族である「朝鮮王公族」として
日本語の教育を受けて日本語で童謡の作詞を行い
日本留学後は学業に励みながら、皇族同様の公務をこなしていました。
また結婚する前までは毎年のように朝鮮に帰省してました。
そんな
徳恵姫の童謡作詞の才能に目を付けて日本に積極的に紹介したのが…
(ここでしか書かれない人物)佐田至弘氏!!!
・先日日本に行ったときの戦利品-日韓併合期の児童愛護運動や新日本音楽そして徳恵姫資料♪
・「童謡の姫君李徳恵姫」のプロデューサー佐田至弘!(序論)【日韓併合期の童謡運動と佐田至弘】
その
佐田氏が徳恵姫の文才について日本の新聞で紹介したのがこの文章( `ー´)ノ
『東京朝日新聞』1924年4月24日
ちなみに現代の言葉遣いとは異なり、上の文章中の「懐かしがる」は「慕っている」という程度の意味で、この時点ではまだ徳恵姫は日本へは行っていません。
この佐田氏の努力の結果
筝の大検校として有名な宮城道雄
や
「山の音楽家」の日本語歌詞を作詞した水田詩仙こと黒澤隆朝
などが
徳恵姫の詞に作詞をしています。
しかしこんな事実は
残念ながら当ブログ以外で紹介しているものはほとんどありませんでした。
ちなみにオレが復活させた
徳恵姫御作の童謡
がこちらです。
あまりにひどい創作韓流映画に抗議の意を表する
ために、またしばらく徳恵姫の話について書いていきたいと思います。
こんかい終わり
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