宗昇(そう・のぼる)の詩「手帳」(『記憶のみなわ』より)そして「桜・幻想」… | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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宗正恵の幼年時の写真

 

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バンコク在住のじゅーざです。

 

宗昇(そう・のぼる)という詩人がいます。本名は鈴木昇。

大韓帝国皇帝だった高宗の末娘である李徳恵(徳恵翁主)の娘である宗正恵(そう・まさえ)の夫だった男性で、義父である宗武志(そう・たけゆき)元伯爵と同じ詩人として活動しています。

 

鈴木昇は1931年9月5日生まれ。奇しくも宗武志・李徳恵が結婚したのと同じ年に生まれたんですね。そして長じて1955年に早稲田大学英文科を卒業、その秋ごろには宗正恵と結婚して、宗武志の意向で宗姓を名乗りました。以降、詩作に際してはずっと宗昇の名前で活動しています。

 

宗武志が徳恵について書いたと思われる詩と同様に宗昇の詩も意味深な詩が多いですね。しかし1956年8月25日に正恵が遺書を残して失踪。父親の武志と昇も随分探したようですが断念し、昇は宗家の籍から離れることになります。

 

1963年に発表された詩集『たまふりの歌』は正恵について歌ったものと言われていますが、これはまだ未見です。

 

後に再婚し、子供も生まれたようですが(詩集『くにざかいの歌』より推測)、その妻とも死別。1986年にくも膜下出血を患いながらも復帰し、1990年に発表した『くにざかいの歌』で、翌91年に第24回日本詩人クラブ賞を受賞しています。

 

下の「手帳」という詩は2007年に発表された詩集『記憶のみなわ』に収録されたものなんですが、この詩をよむと2007年からそう遠く遡らない時期に行方不明だった宗正恵の遺体が見つかったことがわかります。

 

手帳

たまにはここの鉱泉に出かけてきませんか。いま里はいっせいに新緑の芽吹き。その芽吹きが尾根を走り 山はいちにちいちにちその相貌を変えていきます。沢の雪もとけて頂上ちかくにわずかに残っているだけで ほどなく山開きになりましょう。たらの木の芽もいまがいちばん美味しいときです。
たよりは新緑の匂いにあふれていた。

 

沢には三つの大きい滝がかかっているが 山頂にちかいG滝から登山道をそれて二百数十メートル北にはいった所でそれは発見された。山小屋の使用人が茸狩りに深く分け入ったときだった。そのときそこにどんな茸を見たのだろう。覆っている土を取りのぞくと窪地に背をもたせ足を投げだしたかたちですわっていたという。消息を絶ってから半世紀がたっていた。その窪地にもいまは新緑がざわめいているだろうか。

 

食べて生きてきただけの時間を差し引いたらわたしの生はその十分の一も残るまい。そのひとりだけの時間にはいつもその時々の何ものかに背をもたせ足を投げだして半世紀 わたしもまた同じ闇をみつめていただけなのかもしれない。わたしたちはたがいの時間を食いあいながらでしか生きてこられなかったのだろう。振りかえってみてもそんなものだったという記憶ばかりが想起されてくる。

 

並べられた遺品のなかに手帳があった。窪地にもたれて目が見えなくなるまで書き続けていたのだろう。どのページも細かな文字で埋められていたが インクがすっかりにじんでしまって一字も判読できない。その上 半ば土に化して貼りついているページを無理にめくれば かすかに土くれの匂いさえして崩れてしまうばかり。ほぼ半世紀のあいだ手帳一冊のなかに閉じ込められていた闇は ついに判読不能のまま 明るい会議室の机の上にぽろぽろとこぼれていった。
 

 

1956年に失踪した正恵が、およそ半世紀、すなわち2000年代に遺体が見つかったようで、手帳からも分かるように身元を特定できる遺留品があったのでしょう。

 

詩の同人誌である「世代59」12号(1959年6月)に、宗昇の詩「桜・幻想」という詩があります。

 

桜・幻想

言葉の森から

朽葉をまとって戻ったとき

あなたの乳房に

森のかげが深かった -

 

採集してきた隠花植物をぼくは

丹念に植えつづけることしかできなかった

 

戯れにかくれたあなたは

花びらが散りかかると

淡いひとひらのひかりになった

 

  もういいかい -

  

  もういいかい -

 

ぼくがあなたを捉えようと

あなたがぼくを通りすぎようと

掌におもい花びら

散りしきるさびしさの中に

確かなものは何ひとつないのだ

 

桜の下をぼくは掘ろう

遠い日のかくれんぼの姿のまま

あなたは生きている根にからみとられた

 

その胸に隠花植物を植えつくしたら

ぼくは自分の呼び声にも振りかえらぬ

美しい唖になって

あなたの中に孕まれているだろう

 

 

この詩は正恵の捜索から戻った昇が書いたと思われる…

 

ここに描かれているように正恵は生きている根に絡み取られていたのだろうか…

 

  かくれんぼの姿のまま

 

宗武志と徳恵も、そして昇と正恵も愛してあっていたと思えるのに…

 

なのになぜこのような悲劇的最期を迎えなければならなかったのか…
 

(ちょっと宗昇風)

 

 

正恵も何か病を心に持っていた可能性はありますが、なんとも言えません。

 

ただ徳恵について言えばあきらかに病んでいたし、それは如何に武志が優しく包み込もうとしても難しかったと思います。

 

オレ自身かれこれ10年以上前に鬱の女性と付き合っていたことがあるんですが、毎日のようにやりとりをして、出来るだけのことをしたつもりでも

 

  それでも彼女が手首を切るのを止められなかった…

 

幸い、彼女の中の生きたい気持ちが、オレや彼女の友だちに連絡させたので、幸い一命をとりとめました。(あの時はオレもタイから埼玉県警に電話をして行ってもらった)

 

心の病にとりつかれると…本当に難しい…周囲に愛情があったとしても

 

このことを理解しないと

 

  徳恵や正恵の悲劇の本質を理解できないか、と思ったります。

 

こんかい終わり

 

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