韓国人は歴史を誇ったり僻んだり大変だけど、王宮でわざわざ屈辱?の歴史を晒さなくても… | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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―朝鮮(韓国・北朝鮮)についてはまだ勉強中なので教えてね、てへぺろ♪―

 

前列右から2番目が李垠殿下、その左が方子妃殿下

 

 

バンコク在住のじゅーざです。

 

オレはよく

 

  韓国人は日本にツンデレしているだけだ

 

と書いているのだが、まあ案件によっては

 

  僻(ひが)み、妬(ねた)み、嫉(そね)み全開になる

 

のは、現在基地外のように韓国メディアが

 

  オバマの広島訪問について書いていることからもよくわかる。

 

しかし、今日読んだ下の記事なんかをみると

 

  韓国さんの誇れる数少ない歴史資産でわざわざ自虐しなくても…

 

と思ってしまう。

 

・朝鮮日報「【記者手帳】二条城と集玉斎」

 

「江戸時代、徳川幕府の将軍が京都滞在中に宿泊した二条城を訪問した。この二条城で記者は「宮は遠くから眺めるもの」という固定観念が通用しないことを経験した。履き物を脱いで中の廊下に足を踏み入れると、体重で床が曲がって板がきしむ音が聞こえ、大きな不安を感じた。ガイドは「これは『うぐいす張り』と呼ばれるものです。敵の侵入を防ぐため、音が出るように設計されたものですから安心してください」と説明してくれたが、これも強く印象に残った。

廊下を歩くと右側に次々と部屋が出てきた。中でもその一つは重要な歴史の現場だ。江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が全国の大名の前で、日王(天皇)に統治権を返還する大政奉還を宣言したまさにその広間で、実際の人間と同じ大きさの人形を設置しその時の様子が再現されている。前を通るとその場にしばし立ち止まらないわけにはいかなかった。その後の韓日強制合併、中日戦争、太平洋戦争など、日本の旭日昇天と波乱の東アジアの歴史が思い起こされたからだ。城の中がこのように一般の観光客に開放されていることにも驚いた。廊下を歩いている間中、「このように肌で実感できる歴史教育の現場があるだろうか」とずっと考えていた。

韓国の歴史的な建造物も多くが木造だ。しかし二条城を見て分かるように、日本は木造の建造物を積極的に観光資源などとして活用しているが、韓国は長く文化財保護を口実に、遠くからしか眺められないようになっていた。宮廷に行って王が生活していた部屋の形や様子を見ても何の印象も実感もなく、ただその前に建てられた「立ち入り禁止」の立て札しか記憶に残っていない。小説家の崔仁浩(チェ・インホ)氏が1980年代の初めに発表した長編小説『鯨とり-コレサニャン』には、人間の立ち入りが禁止されている崇礼門に、夜になるとホームレスが入り込んで食事をし、寝ている様子が描かれている。当時は小説の中の作り話と思って笑ってすませていたが、後に崇礼門が放火で消失した際、ホームレスたちが本当にここで生活していた事実が明らかになり、大きな問題となった。

 

先週末、朝鮮第26代国王・高宗の書斎だった「集玉斎」が一般に公開された知らせを聞き、景福宮に足を運んだ。自分の脚で中に入ったその場所は、これまで遠くからしか眺められなかったあの建造物ではなかった。廊下の右側には高宗の御真(王の肖像画)が設置されていた。120年前、まさにその場で西洋の新学問関連書籍を収集し、外国に対抗して自強の道を探し求め、心を痛めていた王の焦る思いを想像した。二条城を見てきたからこそ、その思いは一層切実で生々しくなった。

集玉斎が一般に公開されたのは、4月29日から5月8日までの期間、景福宮、昌徳宮、徳寿宮などで開催された「宮中文化祝典」の一貫だった。この祝典の内容は、主にこれら故宮の内部公開が中心で、過去に例のなかったことだ。また宮中の食事を準備していた景福宮の焼厨房(しょうちゅうぼう、宮殿の台所)も昨年100年ぶりに復元改修が行われ、今回の祝典期間中、実際に調理を行い試食することもできた。咸和堂と緝敬堂では一晩宿泊できる機会もあった。遠くから眺めるだけだった宮殿の方から庶民に近づいてきたようで、非常にうれしく感じた。これらはもっと早くからやるべきだっただろう。

しかし不満も感じた。今回の故宮公開はイベント的な性格が強く、歴史的な意味合いを感じるという側面は弱かった。

 

  日本に連行され、心身共にやつれて帰ってきた英親王と徳恵翁主の兄妹が最後に息を引き取った楽善斎で、二人の晩年を再現するのはどうだろう。

 

あるいは

 

  仁政殿の前庭に、強制合併条約締結直後、恥辱の記念撮影を行った当時の様子を復元し、

 

後世の戒めとすることなども考慮してはどうか。」

 

 

まあ気になったのは最後の赤字の部分なのだが、

 

  李王垠殿下や梁徳恵姫(徳恵翁主)についての

 

  歪みきった韓国人の歴史認識

 

はひとまず置いておいて、

 

  なんで自ら「屈辱の歴史」というものを韓国でも最高ともいえる史蹟(昌徳宮内の楽善斎は憲宗(在位:1834~1849年)による建造)で再現しようという発想になるのだろうか???

 

昌徳宮内の楽善斎。丹青で彩られた他の場所とは異質な空間だ。

徳恵姫や方子妃殿下は晩年をここで過ごした。

 

丹青で、緑と赤に塗りたくられていないだけでも同じ王宮内の建物とは思えないほど雰囲気が変わる。オレは引き返して窓のさんの作りとか確認したが、他の場所と同じだった。本当に色使いだけ違うのみ。

 

この楽善斎の落ち着いた色調は憲宗王が後宮の慶嬪金氏を過ごすこと目的に、個人的趣味で選んだそうだが、日本人受けする色調に仕上がってる。

 

ここに、戦後の大変な時期に

 

  李承晩(彼も王族)の嫉妬から捨てられた李王家

 

 

  李王垠殿下や梁徳恵姫の晩年の姿でも展示するのか???

 

それもこの記者の書き方では、

 

  いかにもみじめな晩年としたいようだが

 

みじめな晩年になったのは、

 

  王公族(李王家)の地位をはく奪したGHQと李王家を見捨てた李承晩のせいである(きっぱり)

 

いっそ、ちゃんと

 

  準皇族として扱われていた李王垠殿下(韓国での扱いは「皇太子」)

 

 

  昭和天皇陛下(当時皇太子)と同じ格式で欧州歴訪した時の写真でも飾った方が良いのでは???

  (こうした写真は韓国としては「黒歴史」なので恐らくどこかに放置されているのだろうが…)

 

多くの日本人諸氏も知らない方がいるかもしれないが、日韓合併後に皇族に準ずる「李王家」となり、純宗(最後の大韓帝国皇帝)が亡くなられた後を襲った昌徳宮李王垠殿下は、皇族の皆様と同様に、学習院に通い、師範学校を卒業、近衛・陸・空軍の部隊長などを歴任、

 

  1936年の2,26事件の際には大日本帝国陸軍歩兵第59連隊長として東京で反乱者の鎮圧に参加している。

 

その後も陸軍や近衛部隊の長を歴任して日中戦争時には中国遠征軍を視察、1941年に東京に帰任するまで大阪、宇都宮、満州、広東などをめぐり、終戦時には東京で軍事参事官として終戦を迎えたが、このような戦歴は皇族と同様の扱いだった。

 

  昭和天皇陛下が終戦を決めた御前会議の翌々日に天皇陛下が集めた皇族・王公族の中には李王垠殿下、李鍵公(李垠殿下の甥にあたる)が参加している。

 

その李王垠殿下は1927年5月から翌年4月まで約1年間、欧州歴訪をしているのだがその際の扱いはほとんど即位前に欧州歴訪をした昭和天皇陛下と同じ扱いで、フランス(大統領に面会)、イギリス(バッキンガム宮殿でジョージ5世、メアリー王妃と面談、李王垠殿下は通訳を挟まず英語で会話されたそうだ)、オランダ、ドイツ、オーストリア、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、チェコスロバキア、イタリア(ムッソリーニ首相と面談)、ヴァチカン(ローマ法王猊下と面談)、そして

 

  「旅先で各国の王や大統領などに送った礼電では

 

  「PRINCE and PRINCESS RI」

     (PRINCESSは当然ながら李方子妃殿下のこと)

 

を名乗っていたし、返電の宛先も同じであった」(新城道彦著『朝鮮王公族』)

 

どうせ飾るのであればそうした

 

  李王垠殿下の輝かしいご経歴の中から選んで飾って欲しいものだ。

 

(徳恵姫については日を改めて書く。韓国でまた捏造映画を作っているらしいから)

 

そもそも、ソウルの王宮の中でも最も古いものとして価値のある昌徳宮の中で、なんで

 

  自分たちが「屈辱」と思う場面(実際は上に書いたように違う)

 

を展示して、

 

  わざわざ世界に(自分たちが思っている)恥じを展示しようとするのか???

 

まったくこの辺の精神構造は日本人には理解が不能である。

 

日本の過去の「自虐史観」も大概だが、

 

  韓国人の自虐意識も凄まじく根深いものがあるねえ…

 

清の皇帝陛下にはいつくばって許しを請うた歴史はほかったままなのに…(呆)

 

この「韓国式自虐意識」から抜け出さない限り

 

  いつまで経っても先進国にはなれない気がするのう…

  (´・ω・`)

 

こんかい終わり

 

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