【日中韓・貨幣経済の四方山】まだまだ謎の多い日本古代の「かへー」 | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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右の開元通宝が日本の貨幣の手本になったと言われる

 

 

バンコク在住のじゅーざです。

 

日本の古代貨幣というと、唐の「開元通宝」を手本にした「和同開珎」に始まるいわゆる「皇朝十二銭」は学校でも普通に教えていると思いますが、意外にその始まりの実情は分かっていません。

 

これは和同開珎の「銀銭」。「銀」と「銅」の2種類があります。

 

ここは試験に出るぞ!(うそ)

 

その和同開珎は『續日本紀』の和同元年の条に「武蔵の国で自然に出来た和銅(にぎのあかがね)いでたり」と、武蔵の国で発見された、おそらくは自然銅の塊の発見を記念して元号を「和銅」と改め、5月に銀銭、8月に銅銭を発行した、という記録に基づいています。


しかし実際にはそれ以前にも日本史には貨幣の利用や鋳造に関すると思われる記事がいくつもあります。

 

・『日本書紀』顕宗天皇の2年(486年)に米の価格を「銀銭」で表示
・『日本書紀』天武天皇の12年(683年)に「銅銭の通用と銀銭の使用禁止」と「銀の通用許可」
・『日本書紀』持統天皇の8年(694年)に「鋳銭司の任命」
・『續日本紀』文武天皇の3年(699年)に「始めて催鋳銭司を置く」

 

といった記事があるからで、昔から「和同開珎」以外の貨幣が使われていたのではないか?という説は出ていました。もっとも顕宗天皇のものはほぼ同じ文章が『後漢書』の顕宗孝明帝紀にあるので、それを引用した可能性が高いと言われています。


しかし「前和同開珎貨幣」の実在も長らく語られています。


その一つが「無文銀銭」と呼ばれる簡易な銀貨幣で、近畿地方の各地で7世紀後半ごろの寺院跡や王宮跡で発掘されています。これは「秤量貨幣」(銀として重さを図って使う貨幣)ないし「祭祀」に用いられたもの、とも考えられていますがオレは、いくつかの発掘物に銀片を打ち付けて重量を調整しているのを見る限り「秤量貨幣」として実際に通用していたのではないかと思っています。(写真でも銀片がみえますね)(ただし重量には2種類あったようですが…)

 

無文銀銭、銀片を付けているのが見える

 

もう一つが「富本銭」と呼ばれる銅銭で、これは1990年代に多く新規出土品が見られて注目されました。同時出土品からして上に683年の話の時期に近いようだけど、こちらは銭文(貨幣上の文字や模様)から祭祀に使われた可能性も捨てられません。

 

「エロい貝(タカラガイ)」の時代から古来、貨幣は神秘的な力を持ったものと考えられており、中国でも死者を埋葬する際にその口に貨幣をいれたり(三途の川の渡し賃の原型ですね)していました。日本では寺院の宝塔の基壇に収めたり、近年でも上棟銭として木造家屋を建てる時にお祭りしたりもします。(この風習も古いものです)富本銭の左右の「七つ星」を見ると、流通貨幣というよりはこうした祭祀に使われた可能性が残るものの、和同開珎の前の流通貨幣だった可能性も依然としてあり、今後のさらなる発掘と研究にゆだねたいと思います。

 

上が富本銭、下が賈行銭の欠片


和同開珎の発行以後、以下のような12種類(実際は14種類)の貨幣が発行されています


 ・和同開珎 708年(和銅元年)
 ・万年通宝(萬年通寳) 760年(天平宝字4年)
   同時に銀銭:大平元宝、金銭:開基勝宝も発行
 ・神功開宝(神功開寳) 765年(天平神護元年)
 ・隆平永宝(隆平永寳) 796年(延暦15年)
 ・富寿神宝(富壽神寳) 818年(弘仁9年)
 ・承和昌宝(承和昌寳) 835年(承和2年)
 ・長年大宝(長年大寳) 848年(嘉祥元年)
 ・饒益神宝(饒益神寳) 859年(貞観元年)
 ・貞観永宝(貞観永寳) 870年(貞観12年)
 ・寛平大宝(寛平大寳) 890年(寛平2年)
 ・延喜通宝(延喜通寳) 907年(延喜7年)
 ・乾元大宝(乹元大寳) 958年(天徳2年)

 

実はこの14種類のうち1種類だけ現物が見つかっていません。それが

 

  大平元宝

 

これのみ「拓本」が伝わっており、現物は誰も見たことがないんですね、しかも、その拓本も文字が「太平元宝」と「大」が「太」になっていおり、真贋が問題にされている代物。(写真参照)

 

大平元宝拓本、「太」になっている

 

実は名前だけで実際に鋳造はされていないんじゃないかという話もあるんですが、金銭の開基勝宝は何枚も発掘されているので銀銭も鋳造されていておかしくないはずです。しかし世にも奇妙な「幻の貨幣」です。


そして、もうひとつの「幻の貨幣」が「賈行銀銭」と呼ばれているもので、実物は発掘されているものの、欠片だけなんですね。(写真参照)オレの愛読書『古貨幣夜話』(利光三津夫著)では銭文は「商賈行布」だったのではないか、と推測されているが、この銭文は日本はもちろん中国でも例がないので、どこで鋳造されたのか、どういう目的だったのかまったく謎の貨幣なのだ。


やはり千年以上も前の話になると実際の事物を確認するのは大変なのら。(誰だお前?)

 

次回は、この皇朝十二銭の運命と、その後の日本の貨幣の実情について書いてみたい。

 

こんかい終わり

 

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