危うく眠れなくなりそうでした…仏国寺の謎?「大雄殿」日本軍に燃やされてないだろ、これ… | 流じゅーざの『日韓・朝韓』

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朝鮮総督府による補修前の仏国寺
 

バンコク在住のじゅーざです。
 
昨日は
 
  がっつりデートさせてもらいました(おいおい)
 
コメントの返事が遅くなり申し訳ありませんでした。(昨日のエントリーは出かける前に全部上げていたらしい)
 
もう
 
  地下鉄の列車をどこから入れたのか考え出したら夜も眠れなくなっちゃいますよ…
 
ってのと同じくらい
 
  眠れなくなりそうになった…(汗)
読んでいたのは
 
  朝鮮史の重鎮故井上秀夫東北大学名誉教授の『古代朝鮮』(講談社学術文庫)
 
なんですが、まあ非常に中身の濃い本なので論評は部分部分にならざるをえないんですが、気になったのは新羅時代創建の慶州仏国寺に関する
 
  何気ない記述…
 
そう
 
  非常に何気ない記述…
 
たったこれだけ、
 
  「同寺の極楽殿内に、金銅の毘盧遮那仏と阿弥陀如来の座像2体がある。八世紀後半の作といわれ、中唐様式を示す数少ない新羅金銅仏である。」
 
この文章である。
 
もっとも、気になったのはその直前に
 
  「豊臣秀吉の軍が侵入して、仏国寺も焼きはらってしまった。」
 
の一文があったからだ。
 
えっと…
 
  お寺が焼きはらわれたら仏像も溶けて残らないんじゃないの???
 
という非常に素朴な疑問なのだ。
 
これは朝鮮史研究の泰斗が書いた文章を読んだ
 
  仏国寺フリークのオレ
 
だから気が付いたのかもしれないが、
 
  危うく眠れなくなりそうだった…(寝たけど)
 
えーっと、そもそもこれらの仏像はどこに置かれていたかって話とか色々あるからあれなんだけど、『仏国寺古今創記』の年表で見ていくとすくなくとも
 
  日本の仏寺でいう金堂にあたる大雄殿は焼けていなかった
 
ことがわかる。
 
だって、1593年(文禄2年)に燃えちゃってたら
 
  1660年に扉を直した
 
 
  1705年に四隅の柱を交換したり
 
しないでしょ???
 
しっかしそれ以前に朝鮮王朝時代の
 
  1647年に作られたって十六羅漢像は一体どこへ…
 
  1674年に作られたって文殊菩薩・普賢菩薩の像は…
 
もちろん残ってますよね???
 
あれ???見取り図に
 
  十六羅漢殿も文殊殿も載ってないんですけど…(汗)
 
あれ?????
 
  1902年に「為祝殿」があったところに「極楽殿」とかいう見慣れないものが…(おいおい)
 
取りあえずまずは『仏国寺古今創記』の年表をアップしますね…(今日か明日…)
 
いや、
 
  文禄慶長の役の後の17、18世紀あれだけ色々な仏殿が建てられた
 
のに
 
  1902年にはもう3つ(大雄殿、無説殿、為祝殿)しか残ってなかったわけね…
 
♪パパンがパン あっそーれ パパンがパン
  だーれが荒ませた 仏国寺 あっそーれ!
   だーれが荒ませた 仏国寺♪

今回終わり
 
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