《餌木で釣る秋の瀬戸のアオリイカ》
9月になってから、余り渓流へは出かけていない。そのぶん暇さえあれば釣り竿を手に、もっぱら海へと出かけ、旬の魚を相手に機嫌よく遊んでいる。
釣りなら何でも好きである。べつにフライフィッシングにこだわらない。チヌのダンゴ釣りもするし、エギでイカも釣るし、ルアーでシーバスも釣る。小さなワームを小さなジグヘッドにつけてメバルも釣る。酔狂が高じて、フライでマダコをねらうこともあるくらいである。
初秋の今ごろはエギでイカを釣るのがおもしろい。ぼちぼちアオリイカが釣れ始めているのだ。型は小ぶりだが、烏賊特有のちょっかいの出して来方と、乗ってからぐいぐい絞め込むあの独特の引き味がたまらなくて、つい日が沈むころになると海へと足が向いてしまう。
それにしても、あんな子供のおもちゃみたいな代物に、よくもまあイカが抱きつくものだと感心しているのは私だけだろうか。
なんでもエギは江戸時代からすでに疑似餌としてイカを大いに誑かしていたようだ。
そのエギというのは、クルマエビくらいの大きさか。桐の木からボディを削り出し、それに布をかぶせて海老らしく見えるよう手早く絵付けをしただけの素朴な疑似餌である。眼はビーズ玉をちょうどエビの目の位置と目されるところにピンで刺して留めてある。なぜか鶏の羽根で拵えた胸鰭がついていて(海老に胸鰭なんかなかったと思うのだが)、おまけに裏返しにして眺めると、腹の後ろの方にも足を模したと思われるミニチュアのブラシみたいなものが数本縦に等間隔に取り付けられているが、これも鶏の羽根で拵えてある。それにはちゃんとした理由があって、胸鰭の羽根は前傾姿勢で隅の底へと沈んでいく際にそのスピードを遅くできるメリットがある。すると、沈下に時間がかかるぶん、フォール中にイカがエギを抱く確率があがる。じっさい、本物の海老がどのくらいの速さで海の底へと沈んでいくのかを私は知らないが、おそらく石が沈むように底へと向かったのではイカもすぐに贋物だと見破ってしまうだろう。腹部に縦一列にとりつけてあるキール状の短く加工した羽根も胸鰭同様水の抵抗を生みだす助けをする。どうやらそういう意味合いからわざわざ釣りつけてあるみたいなのだ。
じつをいうと、私がイカ釣りをやりはじめたのは、このエギという代物の存在が底抜けにおもしろかったからである。
去年のちょうど今ごろ、行きつけの釣り具屋のショーケースの上に、平積みされた大量のエギをたまたま目にして、私は吹き出してしまった。
「こんな子供のおもちゃみたいなものでイカが、それも美味しいことで知られるアオリイカがほんとうに釣れるのかなぁ」
そう店主に訊ねるともなく訊ねると、
「それが、釣れちゃうのよ」
店主はあっさりと言ってのけ、あろうことか私の手に鼠色のと、ベージュ色のと、その二つを握らせたのである。
むろん、買うとも何とも言ってない。なのに、私はレジで代金を払って店をあとにする羽目となった。
さて、このエギを用いたアオリイカ釣り。やってみると、なかなか奥が深くておもしろい。
私は初心者だから、投げて、沈めて、底の方をゆっくり、ごくゆっくり、ずるずると引きずってくる、この一手しか知らない。いわゆるズル引きの釣り方しかできないわけだが、ほかにしゃくり釣法というのもある。こちらは状況次第で、いちいち「しゃくり幅」を変えてみる。また誘う速さにも変化を持たせることでいっそうその気にさせる。待ちの間合いの取り方を長くしたり短くしたりもして、疑り深いイカをまんまと騙しきろうというのである。
気がつくと、仲間の多くがエギング中毒症になってしまっていた。
さきにも説明したように、魚にはない一種独特のあのアタリと、乗ってからあとの妙に重量感のある引き味、それに海から引き揚げるときの、「わっ、身切れしそう。頼むから落ちないでくれ」というハラハラドキドキ感。とにかくそいつがたまらない!
そして、無事に釣りあげて、エギごと地べたに降ろしたときのえもいわれぬ安堵感、どこをとってもこの釣りはおもしろくないところがない。
ついこのあいだも、ワイシャツ姿でエギを投げている青年を東讃のとある小さな漁港で見かけた。まだ明るいうちからその痩身の青年はしずかに凪いだ秋の海に向かい、突堤の上に長い足を踏ん張り、イカ釣りに興じ入っていた。いつイカが釣れてもいいようにと、足元に発泡スチロールの容器を置き、その蓋の上に新品のエギを2本載せていた。当然、その容器には氷も入れてあったにちがいない。なんといっても魚介類は鮮度が命である。ネクタイははずしていたが、風体からして営業マンのようであった。多分外回りを終えて会社に帰る途中なのだろう。
この日、私は徳島へ用があって出かけるところであった。なので、釣りはしなかったが、その青年意外に釣りをしている者を見なかったので時間さえ許せば一緒に釣ってみたかった。そうすれば勉強になったにちがいない。
とりあえず釣れて、ほっ!
その青年が一人アオリイカを狙っていた小さな漁港へ、その数日後にクラブの者数名と一緒にイカ釣りの道具を持って出かけた。
まだまだ型は小さいが、あのイカ独特のアタリと引きを堪能すべく、夕暮れに間に合うよう時間を見て出かけたのだが、少し早く釣り場に着いた。
「1年ぶりだなぁ、ここで釣るのって」
釣りの準備をする手を休め西村拓史が感慨深げに言った。
突堤の上には並んで釣りをする仲間の姿があった。沖合に浮かぶ松島、通念島とも海よりやや濃い色に翳って見える。
釣りはじめてまもなく、誰かのエギにアオリイカが触手を伸ばしてきた。
「おっ、触った!」
夕闇のなか声を漏らす者がある。
「こっちも触ったぞ」
誰かが言って舌打ちをする。
去年、初めてアオリイカを釣ってよりのち、たちまちのうちに人気となったこの場所に、今年もこうして気の合う仲間とやって来ることができ感無量である。
仲良く並んで釣る仲間の、誰かと誰かのあいだに不自然なくらい広々として見える空きスペースを見つけると、私はふとそこに漆原典之が立ってエギを投げているような錯覚にとらわれた。今年六月に死んだ漆原はメバル釣りとアオリイカ釣りが大好きだった。フライでマスを釣るのと同じくらい目がなかった。クラブで唯一彼だけが早くからエギングに手を染めていて、それにつられて私たちも始めたのだった。
それなのに、秋になったら一緒に行こうとあれほど仲間と言い合ったのに、約束を果たせないまま漆原は私たちの手の届かない世界へ独り旅立ってしまった。
「乗った!」
闇のなかで声が響いた。
見ると造田行哲の竿が夕映えのなごりの空を背景に、大きく満月を描いている。
「そんなに強引に巻いてはダメです」
じつは造田だけ今回がエギング初釣行。なので、西村が慌てて注意をしたのである。
ところが当の造田は、そんなのはおかまいなしである。アイアンレースに出場経験のある筋肉隆々の彼は、力任せにリールを巻きに巻く。巻いて、巻いて、巻きまくる。
やばい、身切れするかも、と心配しながら様子を見ていたら、もうすっかり暗くなった海面でシュパッと水を吐く音が聞こえた。すぐあと、同じ音がもういちど夕闇を震わすように聞こえた。
その一瞬のち、突堤の上めがけて一直線に海からびゅんとアオリイカが勢いよく飛んできた。
「うわあ~」
と言って西村は飛び退いた。
アオリイカに直撃されそうになったのだ。
「無茶しよる」と造田の向こう側にいた宮脇重光があっけにとられて言った。
西村は足元に落ちたアオリイカの上に屈み込んで、眼鏡越しにまじまじと眺め、
「なあんだ、意外と小さいな」
造田にかまうことなく、そう気の抜けた声で言った。
「やかましい。そんな小馬鹿にすると、墨かけられるぞ」
気を悪くした造田に脅され、西村はさらに飛び退いた。
いくら小さいとはいっても造田にとっては第一号のアオリイカである。
なので、有頂天になって、
「早く写真撮ってくれ」とばかりに釣りたてのアオリイカを私のところまで持って来た。
小さいので気が進まなかったが、せがまれては撮らないわけにもいかない。彼にとっては生まれて初めて釣ったアオリイカである。嬉しいだろうことは察しがつく。
カメラを向けると、造田は照れくさそうな顔をした。
すっかり暗くなってから突堤のあちらこちらで、
「やった!」
「乗った!」
「おっ、触った!」
「あっ、落ちた!」
そんな声がたびたびあがるようになった。
私たちのほかにも突堤には若いアベックやおじさん、おばさん、それにお兄ちゃんたちが十人ばかりもエギングに熱中していた。
私もひとつ釣れたので、もう気が済んだとばかりに竿を置いて偵察に出かけてみると、突堤の半分より先の方に陣取って釣りをしている連中よりも、どうやら大きいのは付け根のあたりの岩場になっている辺でよく釣れているようだった。
若いアベックのバケツのなかに胴長20cmくらいのが2ハイ、15cmあるかないかくらいのが3バイ、窮屈そうに身を寄せ合っていた。どのアオリイカも元気そうだった。
その辺でやっているお兄ちゃんたちも、見ると、良型を1パイ、2ハイとやっつけていた。
仲間のところへ戻ってみると、宮脇、西村、造田が2ハイずつアオリイカをゲットしていた。なかでも造田は、「投げるたびにアタリがある!」と鼻息が荒かった。
西村、宮脇も飽きない程度にアタリがあると言っている。
ただ、尾崎晴之だけが口数も少なく意気消沈気味である。
「どうした?」
そう声をかけると、尾崎は、
「あかんわ。アタリない。あんなインベーダーみたいな奴、はなから釣る気はないけどな。まっぴらごめんや。乙姫さんでもやって来て慰めてくれへんかな」と愚痴るやら嘆くやら。
聞いた話によると、潮流の加減を睨んで餌木を変えていかないと失敗する。潮が速いばあいは重く、遅いばあいは軽くするのが基本だそうである。それと、水深によっても重さを変える必要がある。カラーはこれなら釣れると自信の持てる彩色のものをチョイスすればよい。大勢釣りをしているときは、ほかの人とかぶらないカラーで大当たりすることがありますが、必ずそうなるとはかぎらない。ということである。
それから、その習性上、満月周りのイカはうわずることが多いので底ばかり狙わず、中層、表層にもエギを泳がせてみるよう心がけよう。巻く速さにも気を配り、ときにリールを巻く手を止めてみるのもいい手だそうだ。
釣り名人は、こうも言っている。
「釣り方もズル引き釣りばかりではなく、しゃくり釣りも試してみましょう。まだ明るいうちにじゅうぶん下調べしておくことも大事です。イカ墨がその釣り場の何処ら辺にいちばんよく落ちているかを事前に知っておくのです。足の踏み場もないくらいの墨跡を見つけたらこっちのもの。そこが一等地なのはいうまでもありません。場所取りをして、さっさと陣を張ってしまいましょう」
私の知る名人は自分だけの穴場をいくつも持っていて、潮順や潮の速さ、餌となる小魚の回遊のぐあい、釣り場の混みぐあいなどじゅうぶん考慮した上で、一夜のうちに数カ所からそれ以上も場所替えすることがあるそうである。
その場その場で数ハイ、うまくすると数十パイもの本命のアオリイカをものにする。それで家に帰って勘定してみると、20~30パイも釣れていることがある。私たちとは桁がちがうのである。技量が一枚も二枚も上なのである。
私たちは夕涼みがてら釣りに出かけ、みんなわいわい同じ場所を動かずに、2時間くらい釣ったら釣れても釣れなくても後片付けをして、はい、さようなら!
釣っている最中も、「そろそろ、かな」、「大きいの、来るかな」、「あれぇ。潮がよくないのかな」、「いや、もうじき(エギを)抱くさ」なんて調子のいいことばかり言い合って遊んでいる。
なお香川県の瀬戸内海沿岸では、九月から食べごろのアオリイカがエギで釣れ始め、十月、十一月というふうに月を経るほど大きいのがエギを抱くようになる。
もっぱらベストシーズンはこの3ヵ月間にかぎられ、それ以外の季節だと素人には釣るのが難しい。
たしかに親イカと呼ばれる大物が釣れる時期があり、じっさい釣れると舞いあがってしまうにちがいないが、挑戦してみる価値こそあれ、それは臨まぬこととしよう。春の一時期、産卵に接岸する親イカを狙って名人たちが出撃する。朝に昼に夜に出かけていく。辛抱も腕もいる話である。それで漸く1パイか2ハイものにできるという程度のものであるらしいから、フライでランカー・シーバスを釣るのに等しい苦行となることまちがいなし。
とても私たちの出る幕ではないのである。
《夏の沢のイワナ釣り》
またちょっとイワナの顔が見たくなって、吉野川の最源流の白猪谷へ出かけてみた。
吉野川の源流域には、伊留谷、手箱谷、鎌藪谷、鷹ノ巣谷などの枝流、そして分流の名野川があるが、どの流れにもイワナが棲んでいる。
とにかくイワナを一尾でいいから釣りたかった。ドライフライで釣りたかったのだ。夏の渓の流れにドライフライを浮かべて流す。そこへイワナが親しそうに水の深みから浮かんできて、パクッと食いつく。一呼吸置いてからおもむろにロッドを立てると、好敵手であるイワナとのやり取りのはじまりである。
「やった!」
そのとき、私は小さな声でそう叫ぶにちがいない。
どちらかというとイワナの引きは鈍重である。それでもイワナは粘り強いから、小さな流れのなかでもロッドにきれいな弧を描かせ、私を嬉しがらせてくれる。
「今日もたっぷり嬉しがらせてくれますように」
長沢ダム沿いの林道を、目当ての渓へと車で向かいながら私は願った。
本流筋では釣れず!
白猪谷バンガローの上流に架かる源流橋のたもとから踏みつけ道を辿って流れまで降りていった。
そこから上流へとしばらく釣り歩いてみたがフライを食べに浮かんでくるイワナは皆無であった。もうしばらく奥へと歩みを進めると、短く太い滝が落ちかかる深い壺のような淵が目前に姿を現した。そこは一昨年のちょうど今頃、ウエットフライで尺近いイワナを二尾釣った思い出の場所だ。私は期待に胸を膨らませながら様子をうかがった。落下する水の豊かさも、辺りにただよう水しぶきも、しぶきの霧のなかに現れる小さな虹も、あの日となんら変わらないようだった。
しかし、かなり長くねばったにもかかわらず、ここでも私のドライフライを捕えに出てくるイワナは一尾もいなかったのでる。
枝流で待望のイワナとご対面
山を右から高巻いて、滝の落ちかかる上の流れに出た。そこで沢は二つに分岐する。ここでは落差のある小ぢんまりした方の沢を釣りあがることにした。危険なヘツリや高巻きの少ない比較的釣りよい流れだからである。
この沢を釣りはじめて間もなく、二十センチほどのきれいなイワナがきた。イワナがフライを捕えて反転するのを見届けてから、おもむろにアワセを入れた。バスタブほどの溜まりのなかをイワナは元気に走りまわって、私を楽しませてくれた。
しばらくすると、またイワナが釣れたが、一尾目よりも小さいので、魚体に触れないように気をつけながら手早く無罪放免してやった。それからのちも、よく似た大きさのイワナがぽつぽつ釣れた。フライにスーッと近づいてきて、何かためらうように水の裏側からちょっと怪しいぞというように様子をうかがうイワナもいたが、そういう奴はたいていフライには食いつかず、ふたたび水の深みにもどっていった。
あくまでドライフライに徹する!
水の光が流れを横切って舞う黒いアゲハの羽裏をほのかに照らした。こずえの高みでは野鳥のさえずりが聞こえていた。気分は上々である。もう少し釣れるイワナが大きければ尚のこと素敵だが、それが欲張りだということはわかっていた。あるいはフライを水中に沈めて釣れば、それは現実のものとならなくもない。たとえば、エルクヘアカディスなら落ち込みに投げて沈めて使えばウエットフライと同じような効果を得ることができるし、同じ水面を釣るにしてもフラッタリングという誘いの一手でもって誘ってみるのも悪くない。
けれども、やっぱりナチュラルドリフトの釣りに徹するべきだと腹を括った。断固そうしたかったというのもあるが、ぽつぽつ釣れていたので心にも余裕があったのだ。それに、フライを浮かせて釣っても大物に出会えるという甘い期待があった。
なので、ここぞという場所は、慎重に釣った。私が期待したのは、木が倒れ込んでいたり、底におあつらえ向きのくぼみがあったり、手頃な石が沈んでいるような場所だ。
まず遠巻きに様子をうかがい、岩の陰から小さな動作でフライを水面に投げてみた。反応がなければ微妙に落とす位置を変えて打ち返す。十投ほどしてイワナが出なければその場を見切った。
十尾ほど釣ったところで、そろそろ引きかえさなくてはならない時刻になったが後ろ髪引かれる思いだった。
野郎と思えば、まだ少しくらいやれる余裕があるにはあった。しかし、単独での釣行であるということを考慮すると、危険を回避する意味合いからも余裕を持って引き返すべきであろう。
私は潔く釣りをよすと決めた。
(文・ながおやすたか)
《解禁一番 やっぱり谷道川のアマゴ》
暖かな幕開け
祖谷川分流の谷道川は、解禁当初の3月からドライフライの釣りが楽しめるフィールドとして人気が高い。
流れに沿って車を走らせると、林道は途中から未舗装の悪路となるが、渓へは降りやすいし、高巻きの難所もそんなにはなく、遡行しやすいので、冬場になまった足腰を慣らすのにも御誂え向き。今日も釣り仲間の漆原典之のパジェロに同乗させてもらってやってきた。
「谷道の部落あたりまで上りますか、それとも適当な場所をみつけて入渓しましょうか?」
運転しながら問う漆原に、
「今日はほんの腕慣らしだし、日当たりのいい緩い流れの場所でのんびりやろうよ」
と私は答えた。
良型を期待するなら、小学校のある集落の付近の広々とした流れを釣るにかぎるし、原種の生き残りだと噂される茶色っぽい魚体のアマゴに会いたいなら谷道の部落よりも上流を釣ることになる。が、そうとわかっていても、私たちの目的は早春の日差しのなかでのびのびと釣ること、しかも錆びていない目の覚めるような美しいパーマークと朱点を持つアマゴを手に入れることだから、そのどちらへも足を向けなかった。
早春の光に舞う羽虫たち
もうお昼過ぎ、早朝出勤の餌釣り師たちは、とっくに渓を後にしてしまって、人っ子ひとり見当たらない。
私たちは大堰堤を右からゆっくり高巻いて、上の流れに出た。
釣りはじめて1時間、そろそろお腹もすいてきたので、河原で昼食をとる。若いころは1尾も釣れないうちから休憩を取ることなどとても考えられなかったが、今ではこうして澄んだ流れのほとりにいられるだけで満足である。
「釣れなくても、ドライフライ一本槍でいこうな」
握り飯を頬張りながら私が言うと、
「この陽気だったら、大丈夫。じゅうぶん勝算はありますよ」
漆原典之は浅いプールのヒラキあたりを眺めながらそう答えた。
河原に押し狭められるように、対岸の岩盤とのあいだに細長い淵が早春の日差しを浴びて輝いている。
「ミッジがかなり飛んでいますね」
「うん。それにコカゲロウも混じりだしたな」
「ライズはないけど」
「そうかな。おれは見たけどな」
「えっ、どこ?」
漆原は握り飯が咽に詰まりそうになって胸を叩いた。
「行儀が悪いぞ。食べるか、観察するか、どっちかひとつにしろよ」
岩盤に沿って緩やかだが芯の通った素直な流れが一筋見える。ライズをみつけたのは、その流れの筋の、それもかなり下手の方であった。流芯が消え入るようにプールの水に同化する寸前のところでアマゴは羽虫を捕えに出た。それもただ一度きり。
「じゃんけんしよう」
「えっ」
「ジャンケンポンだよ」
「え、僕、じゃんけん弱いからな」
「だからいいんじゃないか」
自らの予言どおり、漆原はじゃんけんに勝てなかった。
私は彼にコンパクトカメラを押し付け立ちあがった。
昼食後、アマゴ連発
じゃんけんに勝って、ライズのあった流れに18番のCDCフライをドラグのかからないようにダウンクロス気味に投げて、私は20cm足らずの綺麗なアマゴを釣りあげた。
俄然やる気が出た。
それにしても、サビのない、ぷりぷりとよく肥えた魚体が素晴らしい。ネットに掬いとって、悦に入っていると、
「ちょっと小さいな」
漆原が覗きこんできて気に障ることを言った。
遥か山の頂には、まだ雪が午後の日差しに白く輝いて、雑木も葉をまとわずに冬木のまま佇んでいるのだが、日差しのやわらかさはまぎれもなく春である。春本番といっても過言ではないほど暖かかった。
堰堤上のひらけた流れを釣り終えると、私たちは岩がごつごつと重なり合う山岳の渓流らしい相の流れをゆっくり丁寧に釣りあがっていった。
1尾釣って満足したから、あとは漆原に任せたとばかり首からカメラをぶらさげて、ついて歩いていると、小憎たらしくも連発ヒットさせるは、
「やった、やった!」
とはしゃぎまわるは、もう勝手にしやがれと言った感じだ。
あんなに私のアマゴをバカにしておきながら、私より小さいアマゴを釣ってにやにやしている。
「釣りませんか?」
「いや、もうじゅうぶんだよ」
「いやに淡白ですね」
「そういうおまえはどうなの」
「まだ少し釣り足りないかな。でも、あんまり釣ると、今日来られなかった尾崎くんに悪い気がするし」
「・・・・・・・」
じつに、このように、すべては順調。まだまだ流れは上流へと美しい姿でつづいているが、私たちはまだ日の暖かなうちに林道を歩いて車までもどった。
《解禁間近、吉野川本流のシラメ釣り》
平成十三年の吉野川本流中流域におけるシラメのフライフィッシングは、相当素敵なものだった。
釣れる魚体の大きさは、まあ例年並みであったが、数がものすごかったのだ。どのくらいものすごかったかというと、最高で午前中だけで十七尾、一日中釣りをして十尾以上釣ったことなら片手の指に余るほどもあった。
早春の三月、シラメの餌となるのは何といってもユスリカやコカゲロウなどの水生昆虫である。それが晩春のころからセッジや小魚を、やがて初夏には海から遡上してくる鮎の稚魚をむさぼり食うようになるが、もうその頃には尺を超すサイズに育っているものが少なくない。
吉野川のシラメの多くは、前年、あるいは解禁直前に各支流で稚魚放流、成魚放流された個体が広大な本流域へと降りて銀化したものであるが、なかでもとりわけ魅力的なのは、成魚放流されたヤツだ。
解禁直前、あるいはもう少し前に放流が行われた支流と本流の出会い付近にある緩やかな流れのプールは、早春の好ポイントとなることが少なくない。
そういう釣り場へ出かけてカゲロウを模したフライで釣っていると、十尾に一尾の確率くらいで銀化してはいるものの明らかに成魚放流だとわかる容貌のシラメが食いついてくる。
そのような見劣りしてしまう姿のシラメは三月に多く、桜の見ごろを過ぎたあたりからぱったりと釣れなくなる。
どうやら支流から吉野川本流へ降りて来たアマゴは大きくなるのも早ければ鱒族本来の美しさを取り戻すのにもさほど時間を要しないようである。
ストリーマーは効果大
前述のように、解禁当初の吉野川本流中流域では、ユスリカ、コカゲロウのハッチが相当多くみられるせいで、日なかのライズも多い。それを念頭に置いた釣り方で臨むのが一般的であるが、ハッチのないときにはストリーマーを用いた釣りが大変有効である。
むろん、この水温の低い時期に小魚が多いはずがなく、それを追い回しているとはとても思えないのであるが大釣りすることもあるので侮れない。
私がシーズンを通して持ち歩くフライボックスのなかには、かなり大きな数多くのストリーが今か今かと出番を待っている。これらの内訳は、小さいものでフックサイズ8番、大きなものになると1番、あるいは35mmのチューブやウォディントンといった特殊な構造を持った、一見ルアーにも似たフライも含まれる。
種類をあげるときりがないのでやめておくが、流れの大きさや強さ、フライを泳がせる層のちがいによってティペットの先に結ぶストリーマーの種類や大きさが変わる。むろん、マテリアルを盛りつけるフックの形状や重さも重要だ。
私は、ごく緩やかな流れを釣るときはフライの細部までもが微妙によく動くように柔らかなマテリアルを用いて巻いたストリーマーで釣りくだるよう心がけている。また、速くて重たい大きな流れでは、ボリュームがあってよく目立つフライで鱒の目を惹くよう努めている。が、しかし、それも大雑把な目安にすぎない。
それでもシーズンを通してストリーマーが吉野川本流域のシラメに有効なのは私のこれまでの経験上まちがいない。なかでも色でいうと赤系と緑系は絶対外せないカラーだと思っている。これは大型のフライほど顕著である。
釣り方は、シーズン初期ならば緩やかな流れのプールや止水でのダウンクロスの釣り、あるいはリトリーブの釣りが圧倒的有利だ。また、早春、盛期を問わず、こういう場所での早朝の釣りは大いなる可能性を秘めている。
何らかの理由で水生昆虫のハッチの乏しいとき、巨大な淵にストリーマーを泳がせるのは何とも胸が高鳴るものだ。それは解禁の三月から禁漁目前の九月下旬まで変わらない。
イブニングライズの釣り
四月中旬以降、五月半ばくらいまでの吉野川本流の釣りで最も面白いのが、大型のセッジやメイフライのスーパーハッチにともなうイブニングライズの釣りである。
セッジは、オオシマトビケラ、ヒゲナガカワトビケラ。メイフライならモンカゲロウやマダラカゲロウの仲間が数多くハッチする。
当然ながら、フライも大型のセッジパターン、大型のメイフライパターンが絶大な威力を発揮する。フライサイズにして4番、6番というところだ。
日中にストリーマーで瀬の釣りを楽しんだあと、休憩をとり、夕暮れの釣りに備える。
むろん、大きめのドライフライを投げてもシラメ(この季節は大型が多く本流鱒と呼ぶ)は食いつくが、ライズが安定したあと、それが終わるまでのあいだじゅう威力を発揮するのはウエットフライのほうである。もうこの時刻になると薄暗いのを通り越して真っ暗だ。なので、釣り慣れないうちは深く立ち込んでの釣りは差し控えたい。
使用するタックルについては、遠い対岸の岩盤際へとキャストをくり返すこともよくあるので、6番のウエットフライ用タックルと、7番8番のシューティング用タックルをいつも持ち歩いている。条件次第では9番の出番も少なくない。
水面、あるいは水面直下を狙うイブニングライズの釣りでは、シンキングラインなど必要ないと思われるかもしれないが、特に遠投の利く重たいラインを一本でいいから用意しておくと、目を見張るような働きを見せてくれることがある。遠くまで投げられるラインなくしては始まらないシュチエーションというのに出くわしたとき、重たいシンキングライン、とりわけシューティングヘッドのありがたさというのを痛感するはずだ。後悔しないためにもベストのポケットに必ず入れて持っていたいものである。
大型のシラメの適正タックルは意外にも高番手
たとえば平水時にはウエディングシューズのくるぶしを濡らす程度の深さの流れでも、雨による増水が伴えば膝もしくはそれ以上に水深のある川らしい流れの釣り場に変貌する場所も少なくなく、そういうケースでは渓流用のタックルでじゅうぶん釣りが楽しめるだろう。事実、昨シーズンはそのような場所で、山岳渓流でアマゴを釣るための3番タックルを手に尺アマゴを数尾釣っている。
早春のライズを釣るのにも、同様に低番手のタックルで狙うことができるだろう。たとえ大きな淵であっても、ライズが至近距離で頻発すれば、投げるフライが小さいのだから、3番タックルでもじゅうぶん釣りになる。
でも、大きな流れで大型魚を確実にものにしたいのなら、まあ、5番以下のタックルは手にしないほうが無難であろう。脆弱なタックルで、やりとりのスリルを味わうのは、何尾か釣った後の余興程度にとどめておきたい。フィールドの規模云々にかかわらず、あくまでも鱒の大きさに見合った適正タックルで臨むように心がけるべきであると筆者は考えている。
なお、5~10番のシングルハンドロッド、ダブルハンドロッドを流れの規模に応じて使い分けているが、時に15フィート12番のタックルを用いて大きな流れをひと流しすることもある。
むろん、魚のサイズに対していうとオーバータックルであるのはまちがいないが、対戦相手のサイズだけを睨んでタックルを選ぶことはできない。そこがこの釣りの難儀なところではある。
(文・ながおやすたか)
《懐かしい大物を偲びつつ四月の源流を行く》
埋もれゆく渓
私たち6人を乗せた車3台は、30分たらずで標高1000mまで登りつめた。すなわち、三加茂の町役場のある交差点を山側へ折れて、加茂谷川の沢沿いのきつい勾配の山道を、桟敷峠のてっぺんまでやって来たのである。
ここから右に折れて、くだりの道を行く。もう既にここは東祖谷川村である。そして、ほんの10分もこの林道を車に揺られていけば、右手に大きな入江が忽然と姿を現すのだが、この入江は春木尾ダム、あるいは松尾ダムと呼ばれる大きなダム湖の一部であり、入江に沿って奥へ奥へと向かうと、ふたたび山道はのぼり勾配となり、やがて入江が美しい渓流へと姿を変える。これこそ今回の釣り場の深淵(深渕と表記されることもある。「みぶち」と読む)である。私たちがこれから釣りをする松尾川の中流域上流の深淵なのである。
「とくべつ深い淵なんか記憶にないけど、深淵っておもしろいなあ」
ハンドルを巧みに操りながら運転手の漆原が言う。
「昔はもっといい淵がたくさんあったにちがいない。深くて碧く澄んで、大きなアマゴが泳いでいた。きっとそうだと思う。それでも、まあ、今だって水深の浅くない大場所がいくつか存在する悪くない流れの渓に変わりはない」
私はそう答えながら、近年、杉の木の切り出しが盛んになるにつれ、魅力ある渓相が徐々に失われつつある事実に戸惑いを隠せなかった。
車が橋を渡った。渓が助手席側を流れはじめて、私は眼下に深淵の澄んだ流れを眺めることができた。去年よりもまた水深が浅くなっている。支流沿いの山が丸裸にされたせいで、その土砂が深淵本流へも少しずつ流れ込んできているらしい。
「この先に西からそそいでいる沢があるだろ。その沢の上の方は流れがすっかり土砂に埋まって、アマゴが逃げ場を失い、去年の秋には土木工事の人たちが相当デカイやつを手に鷲掴みにして捕ったとか。それもこれもみんな杉の木の伐採のせいだよ」
私は流れを眺めながら悔しさをにじませた。
杉の木を伐るのは仕事だから山師を攻めることはできない。ただ釣り師としては悔しがらずにはいられない。それもまた事実である。
「昔はよく釣れたそうですね」
「ああ、そうだよ。尺がかなり出た年もある。それが、ここ4年か5年で、変わり果てた姿になっちまったのさ」
その支流の小さな沢へは、もう4年も釣りに入っていない。ただいちど一昨年の解禁当初に様子を見に出かけただけだ。そのころはまだアマゴが手掴みできるほど悪くなってはいなかった。風景のよしあしをべつにすれば、それなりに釣果を望めそうな有望な沢であったのだ。
その沢の入口を過ぎて、ようやく私たちは飯場小屋のあるところまでやって来た。数戸の家屋の大半が工事現場の宿泊施設で、民家といえば暖かな季節だけ気丈なおばあさんが裏の畑を耕しながら暮らす青いトタン屋根の古い家が一軒あるばかりだ。
私たちは飯場小屋に付属する空き地に車を駐車させてもらい、朝食のサンドイッチとコーヒーで腹を満たした。
それから、ゆっくり釣りの準備に取りかかった。
国土地理院の2万5千分の1の地図をひろげて、入渓地点を決める。3組に分かれて釣りを楽しむ予定だが、細かなところは現地に到着してからという話になっていた。
造田、宮脇ペア、尾崎、西村ペア、漆原、長尾ペアで釣りをする。
尾崎と西村ペアは松尾ダム上流の1番目の橋の下から飯場小屋までの区間、造田と宮脇が飯場小屋から烏帽子山登山口そばの山小屋の少し手前まで、漆原と長尾が山小屋の少し上流の渓が二股にわかれるところから上流ということに決まった。なので、尾崎西村ペアは駐車場所から徒歩で入渓地点まで林道を下る。造田宮脇ペアは駐車場所から釣りあがる。そして、漆原長尾ペアは上流の入渓地点まで徒歩で向かうことになる。
それぞれのペアが午後1時まで、これから約4時間の釣りを楽しむ。
標高1100mの流れ
空は今にも泣き出しそうな不穏さで、黒い雲が杉山に暗い影を移しながら、かなりの速さで飛ぶように流れていく。
尾崎と西村は歩いて入渓地点までくだり、漆原と私は車で入渓地点まで未舗装の林道をてくてくと登っていった。
渓へ降りると4月中旬とは思えないほど寒かった。
空はいくぶん明るくなってはきたが、曇り空には変わりがない。
「とりあえずニンフで様子を見ますか?」
と漆原が言う。
「ミッジが少量ハッチしているだけだから、それが妥当だろう」
「じゃあ、僕はドライフライを結んでみます」
「もう少し暖かくなって、陽が顔をみせると出るかもしれないけれど、たぶん無理だと思うよ」
漆原は16番のスペントスピナーを6Xのティペットに結んで釣りはじめた。私はフェザントテールニンフ14番を使って釣ることにした。
釣りはじめてまもなく私にアタリが来た。なにか口の先でつついているような小さなアタリがロッドから手へと伝わってくる。けれども食いつかない。もういちど、更にもういちど、落ち込みからヒラキまで底近くを流してみるが、やはりダメである。こんどはフライのサイズを落として、同じ場所を同じようにトレースしてみたが、ついにはアタリすら来なくなってしまった。
ドライフライで釣りあがる漆原は、まったく釣れる気がしない、と沈鬱な表情でキャストをくり返している。
私たちは何カ所かほぼ垂直の岩盤を高巻きして、あるいはへつって、源流をただ黙々とさかのぼっていった。
「ダメみたいですね。ニンフもアタリなしですか?」
「さっきからちょくちょく素振りは見せるものの、食わないんだ」
「ちょっと休みますか」
「そうだな。そうすればいい案が浮かぶかも」
釣りはじめてすでに2時間がたとうとしていたが未だ一尾のアマゴも手にできてはいない。先が思いやられそうである。
水温4℃をドライフライで釣る
休憩しているあいだに、寒さがやわらいできた。雲がすっかり吹き飛んで、春の陽ざしが裂け目のように狭くて深い渓の底まで正しい角度で射してくる。
みるみるユスリカはその数を増し、コカゲロウも目につきはじめた。それを見て私は漆原に言った。
「日向を選んで釣れば、ドライフライにも出るよ、きっと」
「水温を測ってみます」と漆原は言った。
「その必要はないと思うよ。もうずいぶん夜が明けるのが早くなっただろう。アマゴは日時計で暮らしている。水生昆虫たちも、ある程度日時計を目安にしているらしい。緩い日当たりのいい流れを選んで釣ろう。そろそろ奴ら食事時かもしれん」
「水温4℃です」
と漆原が言った。
「結構じゃないか」
「ミッジ(ユスリカ、アミカの総称)がようやくハッチする水温ですね」
「でも、コカゲロウも、ほら、飛んでいるじゃないか」
漆原は、こくりとうなずいて、立ちあがり、さっそく釣ろうとリールからラインを引き出した。
落ち込みからヒラキまで10mある流れの下流3mをまず釣ろうと、漆原はスペントスピナーを慎重に投げた。右に据わる大きな岩が流れをぎゅっと狭める流れ出し付近は、水深があり、緩い流れになっている。
そのヒラキぎりぎりでアマゴがフライを捕えにゆっくり浮上してきた。
「見に来た。食いつかなかったけれど、やる気はあるみたいです」
手招きされて、漆原の方へ歩いていくと、漆原は頬を紅潮させながらそう言った。
最初にアマゴを手に入れたのは漆原であった。やはり日向の緩い流れがいいみたいだ。
まもなく漆原は2尾目を釣りあげた。
「日陰はダメですね、釣りませんか?」
「おれは日陰者だからな。ニンフを暗い水に沈めて遊んでいるよ」
「そんな、ひねくれてないで、ドライでガンガン釣ってくださいよ」
「ほんとうは、そのつもりでパラシュートフライの16番をちゃんと結んである、ほら」
私たちは代わる代わるドライフライを投げて、1時間足らずのあいだに綺麗なアマゴを数尾ずつ釣りあげた。
アマゴの多くは、落ち込みの脇の巻き返しと、石の沈む水深に厚みのあるヒラキでよくフライを捕えた。
「調子も出てきたし、もう少し釣りたいな」
漆原は言ったが、私も同じ気持であった。
しかし、時間に制約がある以上、あんまり長居もできない。
私たちはかなり傾斜のきつい雑木林のなかを息せきながら登りきると、林道を辿って駐車場所までもどっていった。
和気あいあい、昼食はバーベキュー
飯場小屋まで戻ると、スーパーシェフ宮脇が料理の腕をふるいはじめていた。みんなウェーダーを脱いでくつろいでいるようだ。
全員揃ったところで、乾杯である。むろん、昼食後の釣りのことを考えてアルコールは抜き、紙コップの中身はウーロン茶である。
「今日は山田名誉会長が来てないから、あんまり上等な肉は用意していない」と宮脇シェフ。
「いやいやどうして、なかなか美味しいです、この肉」と食いしん坊の西村拓史。
「パインの缶詰の汁にしばらく浸しておいたからな。こうすると軟らかくなってワンランク上の肉に変身する」
それにしても野外で食べる食事は、どうしてこんなに美味しいのか。肉にかぎらず何を食っても美味しいものだ。
そんなことを考えていると、
「それで、どうだったですか?」
と西村が漆原に訊いた。
「釣れたよ、あんまり大きくないけど、会長も俺もぼちぼち。そっちは?」
と漆原は訊き返した。
「似たようなものですね。入渓早々、ハッチが凄くて、コカゲロウのほかにマダラカゲロウも飛んでいました。ライズも頻繁に見かけましたよ。釣りやすそうな場所のライズの多くを尾崎さんに譲ってもらって釣りました。もう、感激です」
渓流釣り2年生の西村は嬉しそうに語った。
「そっちは?」
と私は宮脇造田ペアに訊ねた。
「おれは料理のことで気が落ち着かなくて、それなりに釣ってあとは造田に任せたよ」
と宮脇シェフ。
その言葉に黙って頷く造田。
それはそれとして、じゅうじゅう美味しそうな音を立てて肉が焼けていく。
「でも、水生昆虫のハッチはたいしたことなかったぜ」と造田が付け足して言った。
「うちもそうでした」と漆原。
「西村が釣っていた場所と、うちが釣っていた場所では、標高差が100m以上はあるからな。温度的にそのくらいのちがいがあっても不思議じゃない」と私は漆原の言を受けてそう述べた。
漆原と私が釣った辺りは、尾崎西村ペアより上流のちょうど標高1100m前後である。
「何を食べているか調べましたか?」と西村が造田に訊いた。
「いいや、調べないよ」
「造田さん、ストマックポンプ持っていないのですか?」
「持っているよ。長尾悪徳商会から大枚はたいて買ったからな。覚えたての頃は、釣るたびにやったものさ。何食べているのだろう、楽しみだなってね。ところがある日、久しぶりに悪徳商会と一緒に釣りに行くと、いい型のアマゴが俺のエルクヘアカディスに食いついた。そりゃあ、嬉しかったさ。まだまだ駆け出しだったし、なにしろ悪徳先生の見ていらっしゃる前でいいとこ見せたわけだからな。得意げにベストからストマックポンプを取り出して、アマゴの口に差し込もうとしたよ。そしたら、なんて言ったと思う?」
「さあ」
「おい、造田。よくもまあ、おまえ、そんな可哀想なまねができるな。そんな太い管を口から突っ込んで胸が痛まないのか、こう言いやがるの、自分で売りつけておきながら」
「おれも買わされた。あんなセルロイドのスポイトでも、けっこう値が張るよな」
そう造田のあとを受けて言わぬでもいいことを言ったのは宮脇重光である。
私はそれを聞きながら何食わぬ顔でバーベキューを頬張っていたが、なんとも肉の味がしなかった。ウーロン茶が煎じ薬のように苦い。
「そう悪態つくが、あれはもっと大きい鱒が釣れたときに、やるものだよ。そのくらいの大物なら鱒の方でも自然と度胸が据わっているからね。昔は鱒の尺クラスなんて珍しくも何ともなかった。鼻の曲がった雄のアマゴがウエットフライでよく釣れてね。ときどきドライでも大きいのが出たよ」
私はどぎまぎしながら言った。まるで防戦一方である。
「どうして釣れなくなったのです?」
「ひとつは環境破壊。それから道路事情がよくなって釣り人が気軽に来られるようになったせいもあるかな。それにもまして電気を流して密漁する奴らが後をたたない。これは大打撃だな。バッテリーを背負ってやって来て、監視員が見に来ないのをいいことにやりたい方題大きいのを捕っていく。落合峠を越えて、高知方面からもやって来るそうだ。餌釣りのおじさんがいつか教えてくれた。そのおじさん、ここ4、5年ばかり、尺は1尾も釣れない。そう浮かぬ顔で俺に言ったよ。フライも同じだ」
私たちは昼食のあと、ふたたび渓で釣りをした。1時間ほど飯場小屋付近の流れを釣り直してみたが、尾崎が1尾かけてばらしただけでノーフィッシュに終わった。
もう午後5時を過ぎていた。
陽が山の向こうに落ちて、肌寒い。
杉の山は黒く、稜線がくっきり際だって、はるか烏帽子山の残雪ばかりが白く浮きたって眩しい。
漆原と私は、みんなに少し遅れて歩きながら、
「今日一日ご苦労さん」
「ほんとうに」
そう言って顔を見合わせた。
渓のアマゴ釣りは、これからが本番である。
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