一昨年、昨年放流の鰭ピンものを釣ろうと仲間が集まった

昨日のできごと

その初老のフライフィッシャーマンはドネガルハットを目深にかぶり、格子縞のシャツの上にオリーブ色のウインドブレーカー、その上に着古したベストを身につけて、目の前の水のひろがりに心奪われているようであった。その人のキャストは慎重で、じつに正確であり、背後の土手を釣らないようにラインを高く投げあげ、フライを振り込む際にはマスを脅かさないように、空中でまっすぐラインを伸ばしてからそっと水に落とすという配慮のしようである。
薄暗い水の面からフライが消えるたび、その人は慎重に、ゆっくりとロッドを立ててアワセをくれていた。作戦的には自分の前方の、それも肩の力を抜いて上手にキャストできる距離内のニジマスにのみ照準を合わせて釣っているように思われた。
私は近からず遠からずという場所から、その人がニジマスを相手に釣りを楽しんでいる姿をしばらくのあいだ眺めていた。この辺りでは見かけない人であった。
そのすらっとした初老の釣り人は、私が見物しているあいだに3尾のニジマスをドライフライだけで釣りあげた。そうして満足そうに水辺を離れると、土手の上の私に軽くお辞儀をして、車のほうへ歩いていった。物腰のやわらかな、じつに感じのいい人であった。

ライズを釣る

さて、夜明けがやって来た。
南国四国の冬とはいえ、明け方はやはり寒い。朝のライズを楽しみに待つ釣り人たちはフリースジャケットのチャックをいっぱいまであげて冷えをしのぎながら、「最近(釣りの)調子はどうだい?」なんて言葉を交わし合っている。
そうしているあいだにも、水の輪がひとつ、またひとつと池のあちこちで生まれては消えていくのだが、みんな常連だからのんびりしたものだ。それから5分と経たないうちにマスの朝食会は盛大になっていった。
ニジマスは遠く、あるいは思いもよらぬほど近くの水面にも現れ、無心に羽虫を呑みこんでは、また沈んでいく。
「大物は見当たらないな」
水のひろがりを見おろしながら漆原典之が眠そうな声で言うと、
「大物なんて、そう滅多にお目にかかれるものじゃないさ」
悟りすましたように造田行哲が答える。
「それでも俺は大物をやっつけてやるぜ。お口のすぐそばまでお運びしないとその気におなりあそばさないのなら、これでもかってくらい大遠投して、フライを沈めて、お食わせするまでさ」
「ぬかすじゃないの、尾崎君。でも、お食わせする、なんて言い方、ぼくァー、君という人物の品性を疑っちゃうなぁ」
「なにいうてんの。そういう会長こそ、『ぬかす』とかなんとか、それこそお里が知れるってやつとちがいますか」
そんなこんなで、わいわいがやがややっている蚊帳の外で、ひとり、山田名誉会長だけがカメラの点検に余念がない。
「みんな呑気過ぎるな、早く釣らないとほかの誰かに釣られてしまう」
そういらだつ宮脇重光に、山田名誉会長は、
「うん、そうだな」
なんて相槌を打ったりもしていた。
「そろそろいい感じになってきたけど、どうします?」
と尾崎が得意の関西弁アクセントでメンバー全員をうながす。
私は一も二もなく南東のちょうど土手がカーブになっているあたりをロッドの先で指して、
「あのへんがいいな。俺はあそこに決めた」
そこは昨日の夕方、あの初老のフライフィッシャーがドライフライでニジマスを3尾釣りあげた場所であった。
「あそこは底に砂が堆積していて、水生昆虫のハッチも盛んだ。いいとこに目をつけたな」
造田行哲がそう言った。
「そうでもないさ。それから、西のお立ち台もこのところ調子いい。2日つづけて40cmオーバーをやっつけた人がいる」
「ほんまに?俺、そこで釣る」
と、そばで聞いていた尾崎晴之が急に話に割り込んできた。
「じゃあ、俺は水門付近をウエットフライで探ろう」
と造田が言うと、
「僕は山側の端っこの入江を釣ろうかな」
そう宮脇は言って、さっそく移動を開始した。
高尾と西村も、無言のまま、もう土手の上を目当ての場所へと歩きだしていた。
みんな思い思いに散らばっていく。
こうして、朝のライズねらいの釣りがスタートした。

ルアーは小さめがいいみたい

「調子は、どう?」
と名誉会長が偵察から戻ってきて私に訊いた。
私はちょっと前にドライフライでいいサイズをものにしたと満更でもない感じに答えた。
山田さんの報告によると、山側のポンプ小屋近くで若いルアーマンが2尾の良型を釣りあげたそうだ。ごく小さいスプーンやスピナーを、細いラインとしなやかなロッドで上手にライズの少し向こうまで投げて、表層をゆっくりリトリーブしてヒットさせたのだという。
その若者は、何回か投げてヒットしないときは、すぐにルアーをつけ替えていた。それが功を奏してか、3尾目を食いつかせたが、残念ながらばらしてしまった。
そう見て来たことを聞かせてくれた。
池水はひろく凪いで、遠いあたりにさざなみが光っていた。
私は取水小屋と向き合って釣りをしている格好なのだが、そちらの方を眺めると、そのルアーを嗜む若者らしい釣り人が、ちょうど掛けた魚を手元に引き寄せているところであった。腰を落として、水しぶきのほうへと手を伸ばしているみたいだが、いいサイズのニジマスのようである。

日中を釣る

朝のライズが遠のくと、しだいにニジマスは回遊する層を深めていった。
午前9時を過ぎて、陽が高くなるにつれ、表層の釣りが通用しにくくなった。メンバーの誰もがシンキングラインで釣りをしはじめた。私もフローティングからタイプⅡのシューティングヘッドを用いた仕掛けに組み替えて釣ることにした。
ロッドは9ft6番で、ライン(シューティングヘッドタイプⅡ9m)は7番を使用した。
中層を#8前後のウエットフライで釣る予定のため、9ft3xのリーダーに1mほど同じ太さのティペットを継ぎ足す。
べつにティペットは足さないでもいいのだが、木斛池は山の上の溜め池なので水が澄んでいる。なので、できるだけラインからフライを遠ざけたいと考えた。
ほかに注意すべき点としては、リトリーブ中のアタリをなるべく逃さないように、ロッドはやはりやわらかめのものを用意したい。速いアクションの硬めのロッドは素早く遠くへ投げられるかわりに、持ち前の張りの強さがあだとなり、アタリを弾かれやすいので使用の際には注意が必要だ。
お立ち台に人がいなくなったので、私は急いで移動した。
木柵越しに、25mほど投げて、表層から中層へ、中層からもう少し深いタナへと、さっそくウエットフライで探っていく。
沈めることカウント30秒で、リトリーブしはじめた瞬間に、手元に重たいアタリが来た。
左手でラインを引いてアワセをくれてから、ロッドをあおる。
「のった!」と私は声に出して言ったが近くに聞いている人はいなかった。
いつもどおりのシャープな走りに、ロッドが綺麗な弧を描いてしなった。リールからラインを剥ぎ取っていくほど大きくはないようだが、いいサイズのニジマスのようで、せっかく近くまで引き寄せたのに、また沖へと走られた。
再び寄せてくると、こんどは底へ底へと逃げのびようとする。
お立ち台の上は足元からすぐ深くなっているため、突っ込まれると難儀する。
「いい引きするなあ」
いつのまにかそばに来て見ていた高尾が背後で言った。
40cmはじゅうぶんにあるから、木柵越しに抜きあげるのは危険である。
「そっちへまわすから、ネットで掬ってよ」
私は高尾に頼み、木柵越しに池のほとりへと、弱って観念したニジマスを誘導した。
それからもニジマスはいい調子で釣れつづけた。
アタリがなくなると、タナを変えてみる。あるいはリトリーブを早くしたり、遅くしたりもする。小刻みに引いたり、素直にタダ日引きしたり、引くのをやめて出来るだけ間を長くとったり・・・・・など多彩に攻めてみる。
私は攻めの姿勢を崩さなかった。
まったく、水面下の釣りは、常に何かを考えながら釣る釣りである。そこが楽しいともいえるわけだが、それにしても、よく釣れる。何かの間違いじゃないかと思うくらいに。
山田名誉会長が羨ましがって、
「僕にも釣らせてくれませんかね」
そう言って、私にカメラを押しつけてきたほど本当によく釣れた。
ロッドを手にしてからも山田さんはすぐにはキャストせずに、ライズが近づくのを辛抱強く待った。15mくらい先に、小さな波紋が生れ、音もなく消えていった。山田さんは見澄ましたように、その一点をねらってキャストした。フライが着水するとほぼ同時に、水が弾け、魚が躍りあがった。
食いついたのは、まあまあの大きさのニジマスであった。
「日中でも、浮くときは浮くな」
そうそばで感慨を漏らしていた高尾にも良型がヒットした。
フローティングラインの釣りにこだわる高尾は、マラブーストリーマーで表層をてきぱきと引いてニジマスを見事誘惑した。
山田名誉会長、高尾ともに楽なやり取りをしたわりに釣れたニジマスのサイズがよかった。

イブニングも絶好調!

自由行動ののち、ふたたび、みんな揃ったのが午後4時過ぎだった。
そろそろイブニングライズの時間が近づいていたが、空が薄く曇って、すでにライズは最盛を極めている。
「ドライフライに出そうだな」
と誰かが言うと、
「つまり漆原タイムですな」
「高尾タイムとも言いますな」
「では、水面にこだわる名人お2人さん、さっそくお手並み拝見といこかぁ」
こんどは尾崎晴之が本人たちを前に揶揄するように言ったが、ふたをあけてみると、じっさい頑張ったのは当の尾崎本人であった。
漆原、高尾が、どれにしようかな、と結ぶフライを選んでいるあいだに、ちゃっかり尾崎はお立ち台を占領して、小さめのウエットフライをライズめがけてキャストした。すると、数回ラインをたぐっただけで、ひったくるようなアタリがきた。
それを見てみんな開いた口がふさがらなかった。気合が入った。漆原、高尾はむろん、造田、宮脇もロッドを手に意気あがる。
まだ明るいうちはウエットフライに分があった。薄暗くなってようやくドライフライにも反応がよくなった。
その後、暗くなっても食い渋ることはなかった。ドライフライ、ウエットフライで水面および水面直下をねらって各々釣果をのばしていった。
有終の美を飾ったのは、尾崎晴之であった。
「40cmあるなしだけれど、この暗いなか、よく引いてくれたよ」
「斯くなる上は誰が70cmを仕留めるかだな」
「次回こそ、ものにしたいな」
「ほんとうにいるのか、そんなでかいのが?」
「役場の兄ちゃんが、そう言っていた」
「役場の兄ちゃん、釣りするの?」
「ルアーをやるらしい」
「じゃあ、どこまでも信用するというわけにもいかないぜ」
「どうして?」
「だって釣り師を見たら法螺吹きと思えって言うじゃないか」
まぁ、真相はともかく、70cmを放したというのである。そいつがこの池のなかをぐるぐるまわっている。そういう噂である。
こんど来るときはダブルハンドロッドと大型フライをたっぷり用意してくるというのも悪くない。ビッグ・ワンに的を絞って!
 

過去の釣行記はこちら
ユニチカフィッシングラインサイト