私がダン・グルフィンケルと木斛池へニジマスを釣りに出かけたのは、街路樹の桜の葉の色づく晩秋の午後であった。
ダンの生まれた故郷の南イスラエルは砂漠の国だから魚釣りが盛んなはずはない。きっと、釣り具屋さんなんかないにちがいないと踏んで雑談時応じていると、意外にも灼熱の砂漠の田舎町にも質素ながらちゃんとした店構えの雑貨屋が何軒かあって、餌釣り用の道具や仕掛けがさりげなく置いてあるという。
「日本みたいに満々と水をたたえた湖や池はないけれど、ちっちゃい水溜りみたいなのがいくつかあって、それはまるで神様の忘れものか何かのようにひっそり砂の大地に横たわっています」
そう言うダンに、「どんな魚が居るの?」と訊ねると、「そこには鯉が泳いでいます」とダンは語ってくれた。
鯉はみんな黒鯉で、大きいので六十センチほどだという。水量不足と栄養不足のせいで、それ以上大きく育つのが難しいのだろう。
私はダンに、鱒を釣ったことがあるかと訊いてみた。
すると、彼はこう答えた。
「どうやら僕は釣り運に恵まれないらしい。鱒どころか僕は一尾の鯉も手にしたことがありません」
当然ながら砂漠の国の水には、鱒は泳いでいないということらしかった。友人の暮らすアラスカに旅したときも、鱒はたくさんいたけれども竿を出すことはなかったという。鯉釣りは少年時代にかじっただけで、以後やったことはないそうだ。
その後、彼は年頃の若い青年の多くがそうであるように、鯉ならぬ金魚みたいに可愛いガールフレンドをみつけて夢中になり、いっそう釣りからは遠ざかってしまった。
それで、十八歳でハイスクールを卒業すると、国の法律にしたがって三年間の兵役を全うするため陸軍に入隊し、ビデオムービー班に配属された。
「ダン、砂漠の夜空はさぞかし美しいだろうな。星が大きく手の届くほど近くに光って、月の砂漠をラクダが列をなして進んでいく」
私が夢のようなことを言うと、
「ラクダはいるけど、それほど多くありません。鱒は全然いなくて、日中は摂氏四十度を超すこともざらです」とダンは故郷を懐かしむように遠い目をして語ってくれた。
さらに訊いてみた。
「中東は、いまは世界の台風の目みたいだよね。きな臭い話ばかりが耳に届く。俺は戦争体験など無論ないわけだけど、君は最前線に行ったことはあるの?」
彼は、「ない」と答えた。そして、
「殺したり殺されたりは、うんざりで、誰も戦争なんて望んでいないんです」と付け加えた。
それなのに小競り合いの殺し合いが絶えないことについて、ダンなりに意見をまとめようとしたが、うまく言葉にならずに、一言だけ「一部の人が戦いをやめたがらない」と口にするなり押し黙ってしまった。
ダン・グルフィンケル。二十二歳。砂漠の国の王子様。彼は近く南イスラエルに帰国するが、二度と軍隊にとられたいという保証はどこにもないという。戦争の是非はともかく、私はこの先も彼が人を殺すことのないようにとひそかに願った。そして殺されることのないように、とも。
ダン・グルフィンケル、生まれて初めてニジマスを釣る
「きっと、釣れないよ」と木斛池に向かう車のなかで彼はつぶやくように言った。
「静かな水面に山のもみじが映えて、ほんとにそれは素敵な眺めだよ。それだけでも行く価値はあると思う」とハンドルを操作しながら私は言葉を返した。
ダンは、会話をするときは実に人懐っこく、まなざしが澄んでやさしい。
「ほんと、釣れないよ。ぼくは餌でもたいして釣ったことがないんだ」と彼はくり返し言った。
釣りは昼食の後でと決めていた。
木斛池に到着したのは正午過ぎだった。
「釣れなかったらどうしよう」と、ダンがまた言った。
「そうだな、君のいうとおり、今日は釣れないかもしれない」
「なんで?」
「だってついさっき、君は豚の生姜焼きのたっぷり乗った熱々のご飯を実にうまそうに口に運んでいたじゃないか。昼食のときにね」
「そりゃ僕はユダヤ人だけどさ」とダンは苦笑した。
ユダヤ人は宗教上の理由から、豚肉は食べない。でも彼は、豚肉も、刺身も、生牡蠣も大好物なのだ。
「日本食はとても美味しいから」と親日家の彼は言った。
「ニジマスのバター焼きもうまいぜ」
というと、
「ほんとうに。釣ったら食べるの?」
と彼はまじめな顔になった。
木斛池におよそ三千尾のニジマスが放流されたのは、十一月上旬のことだった。放流重量は去年と同じなのだが、今年は数が千尾あまり多く、それだけ型が小さい。実際、十一月下旬に通いはじめたころは釣れてくるアベレージサイズが二十五センチくらい。四十センチを超すのは稀であった。また、たとえグッドサイズが釣れても、鰭の欠けた養殖だとすぐわかる魚体のものばかりで、去年のように鰭ピンの素敵な年越し鱒は全然姿を見せてはくれずにいた。
「年を越して鰭が美しく再生した元気のいい鱒が釣れてくれるとありがたいな。どうだい、釣りたいかい?」とフライをティペットの先に結びながら私が言うと、
「きれいなニジマスが釣れたら食べる?」とダンがまた訊いた。
「食べたくてもそうはいかないよ。釣った鱒はすべて水に戻さなくてはならない決まりだからね。残念かもしれないけど」
「オーケー。オール・リリース」と彼は言ってうなずいた。
仕掛けの準備ができると、キャスティングのためのバックスペースが十分な場所にダンを釣れていき、簡単にフライを沖へと運ぶことのできる投げ方を丁寧に教えてあげた。そのあとすぐ、山側にあるワンドのはずれに場を移し、ちょっと様子を見るつもりで私がまずフライを投げてみた。すると、フライに鱒のじゃれついてくる感じが手に取るようにわかった。それが第二投目には、はっきりとしたアタリとなって手元にきた。残念ながらフッキングには至らなかったが、素敵な兆候だ。
「感じがいいね。好都合にも盛んにライズしているし、うまくやればそう遠くまで投げなくても食ってくるかも」
私はダンが竿を満月にして鱒と闘う姿を思い描いてみた。そして、「はいどうぞ」と言いながら、ダンにフライロッドを手渡した。
彼は、最初こそ何とか遠くまでフライを運ぼうと力んでいたが、すぐに練習したときの感覚をとりもどし、上手にラインを飛ばせるようになった。
この日のタックルは、ロッドが9フィート6番、ロッドにセットした中型のフライリールには25ポンドテストのランニングラインに9メートルのシューティングヘッド・タイプ1を連結したものを巻き込んである。リーダーは12フィート3X、ティペットは足さなかった。フライはソフトハックルの10番とストリーマーの8番、10番を使った。
日差しが移ろい、山のもみじが美しかった。
「日本の紅葉はとても、とても美しい」と砂漠の国の王子様はしみじみと言った。
ダンに生まれて初めてのニジマスがヒットしたのは、釣りを始めて三十分ほどたったころであった。
フライはストリーマーではなくソフトハックルだった。15メートルほど投げて、ちょんちょんと小きざみに引いていると、水面近くにあったロッドの先がほんのわずか動くのが見てとれた。彼が「あっ」と声を漏らし、「よっしゃあ!」と私が声を張った。
「初めてニジマスをかけたダンは、当然ながらロッドの扱いにも鱒のあしらい方にも慣れてはいない。だからロッドを必要以上に強くあおってアワセをくれたものの、そのやり取りはまるでへたくそなダンスを見ているようであった。
あるとき、彼のたぐるラインが鱒の走りに対応しきれず、ラインが目に見えて緩んでしまったときにはひやひやどきどきした。
それでもダンは持ち前の負けん気でやり取りをつづけ、どうにかニジマスを足元にまで寄せることに成功した。
彼は護岸の傾斜を慎重な足どりに水際まで降りていき、すっかり降参しきったニジマスを水から引き上げると、晴れやかな表情で見守る私をふり返った。
私は言った。
「そっと持ってあがっておいで。写真を撮ってから逃がしてやろう」
彼の背後で、また鱒がライズした。
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