藤山寛美さん | naganomathblog

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今日は喜劇俳優、藤山寛美さんの83回目の誕生日。

藤山寛美と言えば、戦後昭和の上方喜劇界を代表する喜劇役者。
松竹新喜劇の看板俳優として、抜群の技巧、色気、「大阪俄」の芸脈を受けついだ本格的な上方喜劇の演技で観客を魅了し、20年間に渡り1日も休まず舞台に立ち続けました。
舞台を降りると、「遊ばん芸人は花が無うなる」という母親の一家言を守り(寛美の父は俳優、母はお茶屋の女将)、夜の街を金に糸目をつけず豪遊しました。また知人に騙されて巨額の負債を抱えていましたが「アホをやっておりますが、わてのアホはどうやら本物らしゅうおます」と道化て、恨み言一言わず完済し、大物ぶりを示しました。
共演した「日本の喜劇王」の榎本健一からは「ちゃんと一本の筋を持っている。東京の若い者とは違う。流石だよ。」親友だった渥美清からは「藤山寛美は丈夫だねぇ。俺だったらとっくに死んでるよ。」などと言われていたそうです。
1990年に60歳の若さで亡くなった時、上岡龍太郎は「大阪の文化が滅びる」と嘆き、立川談志は「通天閣が無くなったようだ」と偲びました。ダウンタウンの松本人志も著書の中で「この人は素で面白い人なのではなく、面白い人を演じることの天才なのだ」と書いています。

【藤山寛美の名言】
そんな藤山寛美さんの次の言葉は重く響きます。
「芸は水に文字を書くようなもの、書き続けないと見えない。」


私には自慢があります。
それはヘルベルト・フォン・カラヤン(1989年没)、藤山寛美(1990年没)、6代目中村歌右衛門(1996年引退)の3人の実演に接していることです。私は1974年生まれですが、同年代でこの3人の実演を知っている人はそんなに多くないだろうと思います。

【ヘルベルト・フォン・カラヤン】

サントリーホール。開演約10分前からロビーに人の姿はなく、観客全員がホール内に着席し水を打ったように静かになった場内で、カラヤンの登場を固唾を飲んで待っていました。きっと観客の誰もが「カラヤンの来日は今回が最後」だと感じていたのでしょう。客席であんな緊張感を味わったことは後にも先にもありません。やがてオーケストラが入場し、チューニングの後、いよいよカラヤンが登場。万雷の拍手に迎えられながらも、晩年足が不自由だったカラヤンは足を引きずるようにして指揮台に向かいます。「大丈夫かな…」そう思ったのはきっと私だけではなかったでしょう。
前半の曲はベートーヴェンの交響曲4番。静かで美しい序奏の後、オーケストラが初めてフォルテを出す(強奏する)所で、その瞬間は訪れました。それまで美しくもどこか弱々しい感じで指揮をしていたカラヤンが突然、鷲が羽ばたくように両手を大きく広げ、渾身の力をこめて棒を振り下ろしたのです。すると、オーケストラから凄まじい迫力と輝きを持った音が放射され、ホール全体に響き渡りました。その時、私は体中に電気が走ったかのように感じ、震えるばかりに感動したのをよく覚えています。
それは亡くなる前年のカラヤンでしたが、どんなに体が弱っても、指揮者としてのエネルギーはやはり圧倒的でした。私の中ではその後、あの時のカラヤン以上に密度の濃いエネルギーを発散させる指揮者には出会ったことがありません。

【藤山寛美】
松竹新喜劇 藤山寛美 DVD-BOX 十八番箱 (おはこ箱) 
新橋演舞場。実は最初私はあまり気乗りしませんでした。当時中学生の生意気盛りで「喜劇」というものをどこから斜に構えて見るところがあったのかもしれません。母に半ば強引に連れて行かれて渋々付いて行った、というのが正直なところです。しかしいざ舞台が始まってみると、すぐに自分の浅はかさが分かりました。いやあ面白いの何の!!特に寛美と小島慶四郎のアドリブ(だったと思います)の掛け合いは、腹がよじれるほど笑いました。観客の全員が「また何か面白いことをやってくれるだろう」という期待に満ちた視線を寛美に送り、寛美もそれにことごとく応える、そうして劇場内のボルテージはどんどん上がっていく…。演劇の持つ魅力を初めて実感できた経験でした。この公演ですっかり藤山寛美の虜になった私は母に頼んでその公演期間中にもう一度同じ舞台を見させてもらいました。またそれだけでは飽きたらず、藤山寛美の公演ビデオセットも買ってもらってそれを何度も家で見ました。
この時の経験がきっかけで私は舞台の魅力にはまっていきました。

【6代目中村歌右衛門】

歌舞伎座。戦後の歌舞伎界における女形の最高峰と呼ばれた6代目中村歌右衛門を観た時は衝撃的でした。演目は失念してしまいましたが、歌右衛門は町娘を演じました。最初に歌右衛門が舞台に登場した時は、失礼ながらヨボヨボのお爺さんにしか見えなくて、町娘と言うよりは妖怪(ごめんなさい!)…。「これを町娘と思うのは無理があるなあ」なんて生意気なことを思っていましたが、芝居が進むにつれて、最初にそんな風に思ったことはすっかり忘れてしまい、どこからどう見ても若い娘にしか見えなくなりました。それどころか最後は本気で「可愛いなあ」なんて思ったものです!
それは、往年の名画を観る時に初めは「うわあ、白黒かあ。年代を感じるなあ」と思ったにしても、いつの間にか作品に引き込まれ、自分の中ではフルカラーに見えてくるような感覚に近いかもしれません。

私がこの3人の実演に触れることができたのは、やはり親がそういう環境を用意してくれたからです。そのことには心から感謝しています。


【今日の動画】
藤山寛美「色気噺お伊勢帰り」