何かを体験したり見たり聞いたりした場合どう思うかというのは人ぞれぞれというのは言うまでもないことですよね・・・。


ただ、公の場でそれを公表した場合「人ぞれぞれの考え」ではすまない事というも多々あるものです。


古くは以前、ブログでも書きましたがS38.9の柏戸-大鵬の相星決戦での石原慎太郎の発言・・・。これは「不利だと思ったほうが勝った」という理由だけで八百長と決めつけたのです。協会が訴訟の準備に入ると慌てて「じつはその一番は見ていない」といって謝罪したという極めて情けないお話なのですが、最近では若い人でもその一番を「八百長として有名な一番」という人もいます。


八百長を疑われた一番としては確かに有名ですが八百長で有名な一番では断じてありません。


第一、不利だと思われた方が勝つなんてことそれほど珍しい事ではないですよね・・・。


昨今、ボクシングで接戦の末、日本人が判定で勝つと「ホームデシジョンだ」と決めつける人が多いのと似てるかもしれません・・・。ひどいものになると「八百長だ」と騒ぐ人までいます。



スポーツ以外の話題でもネットの世界で最近問題なのがいわゆる「ネトウヨ」という人物たちですね・・・。

数日前の新聞に載っていたことですがネットを見てると「中国人がみな悪人に見えてきた」という人までいるそうです。私の周りにも「中国人は嫌いだ」などと平気で言う人もいます。


数年前私は島田紳助を猛烈に批判したことがあります。

それはなにかの番組で食べ物のお店を開いている人が出て自慢の逸品を皆に試食してもらい、他人に紹介出来るかを査定する企画だったのですが、

何度も島田紳助が言ったことが


「自分が美味しいと思っても手放しで美味しいと褒めればその味が好きでない人を騙すことになる。だから自分が美味しいと思っても紹介できるか否かは別問題だ」


ということでした。


一見、一理あるように思えますよね。でも私に言わすれば自分がまずいと思った場合でも同じようにしないと完全な片手落ちであると思います。



ある男性が自分の店で出しているものを出したところ島田紳助は


「話にならない。味も食感も悪い。僕は2度と食べたくない」


と発言しました・・・。


これが生ゴミを出したと言うならまだ話もわかりますが半数くらいの人が「美味しかった」と言ってるモノに対してです。


食べ物の好みなんてのはそれこそ人ぞれぞれです。

ずっと以前にとんかつの話をした時に「ロースカツが好きな人とヒレカツが好きな人は真っ二つに分かれるのだがヒレカツが好きな人は自分以外の人もみなヒレカツが好きだと言い張る」というとんかつ屋のオヤジさんの言葉をご紹介したことがあります。数日前霜降りが美味しいか赤身だけの肉が美味しいかの記事がありましたがそれこそどちらが正しいも間違いもないものです・・・。


その後そのお店がどうなったかは知りませんが繁盛してるとは考えにくいですよね・・・。島田紳助は公の場でそこまで貶すことがどのくらいの人に影響を与えるか考えが足りてなかったと思います。


じつは私は山芋が大嫌いでとろろ汁を勧められ、仕方なく食す時「二度と食べたくない」と思います。ですがそれは私の好みであって間違いも正しいもありません。


好みは確かに人ぞれぞれですがこの時の島田紳助の発言は人ぞれぞれで済むでしょうか?


自分が感じたままに言ったと本人は言うでしょうが、まるで動かしがたい事実のように伝わってしまうこともある。それだけ公の場での発言は責任が伴うということであると思いますよ・・・。



石原慎太郎や島田紳助は公人だからなおのことですがネトウヨやボクシングで接戦だからといってそれだけで不正だと騒ぐやから・・・、さらに言えば亀田の影響で日本のチャンピオンたちの多くが穴王者に挑戦し、急造ランカー相手の防衛戦ばかりだと本気で思ってるものもいます。


そんなのばかりだったのは亀田興毅のみですよ。

でも誰かが言い出してそれを聞いたものがさしたる根拠もなくそうだと思い込む。いわれのない批判を始める。こんなことが多いんですよね・・・。



人ぞれぞれでは済まないこともあるということです。


次回、続きます。