enko半年位前でしたか明智憲三郎氏著書の「本能寺の変431年目の真実」という本を読み始めたと申しましたがこの半年慢性の睡眠不足でなかなか進まず、とうとう最初から読み直しすることにしました・・・・。

情けない・・・・。


しかしながら今となっては真相はわかりませんし証明もなかなか難しいのですが明智氏の仰せのことなかなかに面白い・・・。


前々から思っていたのですが豊臣秀吉の人間像というのは秀吉が自ら書かせた書物によるものが定説になっているというケースがほとんど・・・であるからして、信憑性はどれも今ひとつ。


本能寺の変の動機として有力と言われる説「野望説」ですがその根拠と言われる愛宕百韻で詠んだと言われる明智光秀の句


「時は今雨が下しる五月哉」


という歌ですが「惟任退治記」ではそう書かれているものの愛宕百韻の写本(京都大学附属図書館の所蔵にあり)によると


「時は今雨が下なる五月哉」


となっており日付も惟任退治記は5月28日となっており、写本では5月23日になっているそうです・・・。


「時」が「土岐」を例えたのと同じように「下しる」は「統しる」を例えたものつまり天下を治めるという意味であるとしたのが惟任退治記であり現在定説となってしまったものであるということです。


もし「下なる」であれば文字通り「雨が降っている」という意味しかなく「天下を治める」という意味にはなりえませんので光秀が詠んだ歌が野望説の有力な根拠にもなりえなくなります。


また日付の問題でも

もし光秀のこの歌が

「土岐氏である自分が天下を治めるべき5月である」という意味なら本能寺の変が実際に起こったのは6/2の未明であるから5/23に詠まれた歌であるといささか不自然であるということです。もし5月28日であれば旧暦では5月は29日まででありましたから信長を襲ったのが6月2日の未明でも行動を起こしたのが5月29日であるということで辻褄があう。5月23日であれば少々行動を起こすのも信長を襲うのも遅いのではないかということです・・・。



愛宕百韻の写本がすべて「雨が下なる」となっており、惟任退治記のみが「雨が下しる」となっている以上実際には「下なる」が正しいと考えるのが自然であろうと思います。

さらに当時の天候を調べると5月23日は雨が降っており、5月28日には晴れであったそうです・・。

愛宕百韻で謳う歌は雨が降っていないのに降ってると仮定して謳うことはないそうです。よって日付も改竄された可能性が高いかなと思います・・・。



その他にも惟任退治記という書は大村 由己が秀吉の命で書かれたいわば秀吉の宣伝書のようなものですから内容も信長の残虐性や女性への扱いがあることないこと書いてあるようなところがあると聞きますので信憑性というと大いに疑問であると言わざるを得ませんよね・・・。


今まで定説と言われたことの根拠がほとんど秀吉の命で書かれたものであるなら疑って掛かるべきでしょうね・・・。しかしなんで定説になってしまったのでしょうかね・・?少なくとも戦後であれば今までの説を覆しても問題にはならなかったでしょうに・・・・。



また区切りのいいところでブログに書きたいと思います。






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