なんにしても「否定から入る」人と暮らすということ | 大阪の弁護士•長野智子(智聖法律事務所)

なんにしても「否定から入る」人と暮らすということ


両教授、おめでとう御座います!


離婚事由として一般的に挙げられるのは、不貞行為、暴力、精神疾患、そして「婚姻を継続し難い重大な事由」です。

不貞も暴力もない。精神疾患も特に指摘されていない。

それでも「もう無理だ」と夫婦が別々の道を歩むことがあります。


先日、ある方とお話しする中で、まさにそのケースに触れました。





■ すべからく否定から入る人



その方の配偶者は、どんな話題でもまず否定から入る。

「いや、それは違うと思う」「でもさ」

相手が提案しても、感想を述べても、まず反対する。


まるで、反対し続けなければ自分の存在意義が保てないかのように。


毎日、毎日、否定から入られる生活。

それは、目に見える暴力ではありません。

けれど、心に積もる“言葉の圧”は、確実に人を疲弊させていきます。





■ 先に家を出たのは配偶者。そして子どもたちも出た



耐えられなくなったのは、相談者本人だけではありませんでした。

家を出たのは、まず否定してしまう側の配偶者の方。

続いて、子どもたちも出て行きました。


残ったのは、否定を繰り返す人と一匹の飼い犬だけ。


別居後、親子で話す機会があり、子どもたちはこう言ったそうです。


「あの人とは誰も無理。犬しか無理。」


その言葉を語るとき、相談者は自嘲気味に笑っていました。

けれど、その笑いの下にある深い疲れと寂しさは隠せませんでした。





■ 否定を続ける人に、家族はどんな気持ちになるのか



否定から入る癖は、本人に悪意がないことも多いのです。

幼い頃からの習慣だったり、職場での競争文化に慣れきってしまったり、

ただ「自分の意見を持つこと」=「反論すること」だと誤解しているだけの場合もあります。


しかし家族は、論破されたいわけでも、毎日ジャッジされたいわけでもない。


ただ、受け止めてほしいだけ。

「そうなんだね」「そう思ったんだね」と、一度寄り添ってほしいだけなのです。


否定は、意見ではなく“拒絶”として伝わります。

その積み重ねが、結婚生活を静かに壊していきます。