登校中の電話――体操服、届けますか?
「体操服、忘れた。3時間目までに届けて。10時半。」これは、ある小学生の朝の出来事です。
登校途中、子どもから母親にかかってきた一本の電話。
さて、このとき――
届けるべきでしょうか。届けないべきでしょうか。
アドラー式で考えれば
アドラー心理学の考え方に沿えば、
これは完全に「子どもの課題」です。
忘れ物をしたのは子ども。その結果を引き受けるのも子ども。
理屈としては、
届けない
が正解なのだと思います。
けれど現実には、多くのお母様がここで立ち止まります。
背景にある「親子一体型」の記憶
この迷いの背景には、かつて見聞きしてきた“親子一体型”の経験があります。
中学受験を経験したご家庭では特に顕著です。
受験期、親は子どもの生活全体を支えます。
スケジュール管理、体調管理、提出物、送迎。
ある学校では、中学受験後の入学式で校長先生がこう語ったそうです。
保護者の皆様、お疲れ様でした。これからはすべて学校と本人に任せてください。
お母様がたは、どうぞ休まれてください。
とても誠実で、明確なメッセージです。
しかし、役割はそう簡単には手放せません。
忘れ物から始まる「善意の過剰」
実際に、多くのお母様方がこんなことをされてきました。
・忘れ物を学校まで届ける
・定期考査の予定を管理する
・大学受験に同行し、宿泊先で食事を整える
息子さんの表情――眉が少し動いた、目線が落ちた
そんな些細な変化に一喜一憂しているお母様の姿も、
決して珍しくありません。
すべては善意です。
子どもの成功を願う気持ちゆえの行動です。
しかし、見過ごせない違和感
とくに男子校の場合、
学校生活の中に女子はいません。
身近な女性は「おかん」だけ。
その「おかん」が、
身の回りの雑事を一手に引き受けてきた。
・俺は勉強(仕事)を頑張っている
・しかも優秀
・だから生活の細部は免除される
こうした感覚が、
無自覚な前提として形成されていくことがあります。
そして社会に出て結婚すると、
「おかんの役割」を配偶者に期待する。
結果、関係は早晩行き詰まります。
だからこそ、忘れ物は届けない
今日、体操服を忘れたのは小学生。
命に関わる失敗ではありません。
取り返しのつく失敗です。
叱られるかもしれない。
恥をかくかもしれない。
でも、その経験を引き受けるのは本人。
親が走ってフォローしなくてもいい。
むしろ、してはいけない場面なのかもしれません。
親の役目は、失敗を奪わないこと
見聞きしてきた多くのお母様方の姿から、
一つだけ、確かなことが見えてきます。
親の愛情とは、
困らせないことではない。
先回りして片づけることでもない。
失敗する自由を、奪わないこと。
登校中の一本の電話は、
子ども以上に、親の姿勢を問う出来事なのかもしれません。
体操服は――
届けない。
それは、冷たさではなく、
長い目で見た、深い信頼なのだと思います。
