安宅コレクション — 東洋陶磁の宝を未来へ繋ぐ軌跡
コレクションの起源と内容
- 「安宅コレクション」とは、かつて日本の有力商社だった 安宅産業株式会社 が、その会長であった 安宅英一 氏(1901–1994)の主導により収集された東洋陶磁の一大コレクションです。
- 収集は1951年から約25年にわたって続けられ、その数は約 960〜1000点に及びました。
- 内容は中国陶磁および韓国陶磁が中心で、中国は漢・唐・宋・元・明時代、韓国は高麗・李朝などを含みます。
- コレクションの中には国宝が2件、重要文化財が10数件を含み、世界的に見ても卓越した陶磁コレクションと評価されています。
🕰 歴史と運命 — 経営破綻、そして救済
- 安宅産業はかつて “日本の十大総合商社” のひとつでしたが、1970年代の経営環境の変化のなかで経営が行き詰まり、1977年に事実上破綻。
- この事態により、膨大かつ貴重な「安宅コレクション」は散逸の危機に直面しました。
- そこに救いの手を差し伸べたのが、同じく大阪を拠点とする 住友グループ で、グループ各社の協力のもとコレクションを買い取り、大阪市に寄贈しました。
- そして1982年、コレクションを核とする美術館として 大阪市立東洋陶磁美術館 が開館。安宅コレクションは「公共の財産」となり、広く一般に公開されることになりました。
安宅英一 — 「美の求道者」の眼と情熱
- 安宅英一氏は、ただの事業家ではなく、美術・音楽のパトロンでもありました。彼は収集を単なる趣味とせず、企業活動の一環、ひいては文化的教養と社会的責任の一部として位置づけていました。
- 彼の眼は、伝統や流行に縛られず、自身が「美しい」と感じるものに向けられていました。ある古美術商とのやりとりでは、秘蔵の名器を「三種の神器」と称して秘匿していたところを、根気強く交渉を続け、「三顧の礼」で購入にこぎつけたという逸話も残っています。
- その信念は彼の言葉にも現れています。彼は「山に登るのは、そこに山があるからだ」という言葉を借り、「古美術の蒐集にも、そこに魅了されるものがあるからこそ挑む」と語ったそうです。
🏛 公共への贈り物 — 美術館としての継承
- 安宅コレクションは現在、東洋陶磁美術館の基盤であり続けています。2024年のリニューアルオープン後も、その遺産は市民や来館者に伝えられ、館蔵品は5,700件を超えているとのことです。
- 常設展では、中国・韓国陶磁をはじめとして、根付や酒器、日本の陶磁など、多様な作品を鑑賞できます。安宅コレクションは、その中核をなす重要な存在です。
- 最近では、2025年からの特別展 「MOCOコレクション オムニバス — 初公開・久々の公開 — PART1」 において、多くの未公開品や所蔵品が再び世に紹介されようとしています。
🙏 感謝と継承 — 先人たちの視線と努力に寄せて
安宅英一という一人の実業家が、自らの美意識と審美眼を信じ、25年にわたって〈東洋陶磁の美〉に心血を注ぎ続けた。その情熱と探求心は、単なる“収集”にとどまらず、芸術への献身と尊敬、そして文化の継承を志すものでした。
さらに、経営破綻という企業としての終焉が彼の蒐集の終わりを意味しなかったのは、住友銀行 を中心とした住友グループ、そして大阪市をはじめとする多くの人々の英断と協力があったからこそ。そして、忘れてはならないのは、収集の実務的な重責を担い、新しい美術館の設立に力を尽くした関係者たちの尽力です。
今日、私たちは静かな館内で「飛青磁」や「油滴天目」といった国宝級の陶磁を目にし、その質感、釉の光、造形の美しさに息を潜める。私たちが感じる感動と安らぎは、ひとえに先人たちの苦労と、美への敬意の上に成り立っているのだと思います。
だからこそ、私は深く感謝したい。安宅英一氏、そしてその志を受け継ぎ、美術館を守り、美の喜びを市民と分かち合ってくれたすべての人々に。
あなたが次に東洋陶磁美術館を訪れたとき。美しい青磁の皿、静かな展示室、自然光に照らされた器の釉――そのひとつひとつが、長い時間と多くの人の想いの結晶なのだと、きっと強く感じられるでしょう。
