30年ぶりの母校で、まず言葉を失った—「ここ、どこ?」となった京都大学再訪記 | 大阪の弁護士•長野智子(智聖法律事務所)

30年ぶりの母校で、まず言葉を失った—「ここ、どこ?」となった京都大学再訪記










同窓の家族と連れ立って、何十年ぶりかに母校・京都大学を訪れました。

懐かしさに胸を膨らませ、正門をくぐった、その瞬間。


私たちは思わず顔を見合わせました。


「……タテカンが、ない。」



タテカンのない京大?


立て看板、通称「タテカン」。

京大をご存じの方なら、一度は目にしたことがあるはずです。


サークルの主張、政治的スローガン、時に哲学的、時に悪ふざけ。

玉石混交ながら、あれは確かに「京大の風景」でした。


それが、跡形もない。


どうやら景観や治安悪化を重く見た当局が、相当徹底した形で整理・撤去したようです。

結果、構内は驚くほど整然として、美しい。


けれど同時に、

「あの雑然とした自由の匂い」は、確実に遠くなっていました。



スクラップアンドビルド、ここまでとは


歩みを進めるほど、既視感は薄れていきます。


「ここ、どこ?」


思わず口をついたのも無理はありません。

新しい建物が次々と現れ、30年前の記憶がことごとく上書きされていく。


潔いほどのスクラップアンドビルド。

その成果は確かで、緑が多く、明るく、いかにも**“賢そうな大学”**に生まれ変わっていました。

良くも悪くも、もはや「別の大学」です。



おおらかだった時間の名残


かつては、土日でもふらりと入れた建物。

用事もないのに研究棟に入り、掲示板を眺め、階段に腰掛けて話をした、あの空気。


「懐かしいね」と言いながら入ろうとした私たちを迎えたのは、

無言の施錠でした。


防犯上、もっともな判断。

合理的で、現代的。

それでも、あの頃の「大学という名の大きな居場所」を知る身には、少しだけ寂しい。



母校は、記憶の中にしかない


変わったのは、大学だけではありません。

私たち自身が、30年の歳月を生きてきたのです。


「あの京大」は、

建物でも、タテカンでもなく、

記憶の中にしか存在しない風景になっていました。


それでも、確かにここは母校。

別の顔を持ちながら、時代に合わせて生き延びてきた場所。


懐かしさと違和感が同時に押し寄せる、不思議な再訪。

「ここ、どこ?」と思えたこと自体が、

この大学と深く関わっていた証なのかもしれません。