大阪の豪商「加島屋」と、そこに嫁いだ広岡浅子のまばゆい奮闘
柔らかな光差し込むヴォーリス建築を再現した大同生命本社ビル展示室
精巧な加島屋の模型、堂島川から直接船づけすることが可能であった。船着場も加島家が自費にて設置。
朝ドラ『あさが来た』で一躍知られるようになった大阪の豪商・加島屋。
その家に三井家の令嬢として生まれた広岡浅子が嫁いだのは、まだ幕末の緊張が日本全体を包む頃でした。
明治維新を経て、大阪の多くの豪商たちが没落していく時代。
その大きなうねりのなかで、浅子は豪商の妻という枠を越え、実業家として次々と功績を残します。炭鉱開発、日本女子大学校の創設、大同生命の設立——。
時代の変革期に、男性でも困難だった事業に果敢に挑んだ女性が日本にいたことに、あらためて驚かされます。
■ 堂島川を挟んでそびえた加島屋の巨大な屋敷
かつて大阪・土佐堀川の中洲・中之島一帯には、大名屋敷や米倉が立ち並びました。
その向かいに、巨大な権勢を誇った加島屋の屋敷が構えていたといいます。
大阪の豪商たちはその財力たるや桁外れで、
「必要なら橋は自費で架ける」
と言われたほど。加島屋もまた例外ではありませんでした。
彼らは何を営んでいたのか。
大名貸し、そして米の先物取引における資金提供。
いわば、時代の最先端をゆく“金融業”の中心にいた存在だったのです。
長らく謎に包まれていた加島家ですが、近年、屋敷の図面や新撰組に関わる史料、大名貸しの証文まで発見され、研究が急速に進展しました。
■ 大同生命本社ビルで「加島家と広岡浅子」特別展が開催中
現在、その加島家の屋敷跡に建つ土佐堀川ほとりの大同生命本社ビルでは、
「大同生命の源流、加島屋と広岡浅子」と題した特別展が行われています。
専門家チームにより作成された加島家屋敷の再現模型や、実際に発見された史料が展示されており、
豪商の姿、そして浅子の魂をまざまざと感じられる内容です。
歴史好きにはたまらない空間で、私も思わず時間を忘れて見入ってしまいました。
■ ヴォーリズ建築と、満喜子さんのロマンス
実は私自身、ヴォーリズ建築の大ファンなのですが、
大同生命本社ビルもかつてはウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けた名建築でした。
そのご縁で知ったのが、
加島家ゆかりのお嬢様・広岡満喜子さんとヴォーリズの恋の物語。
周囲は猛反対。
「華族のお嬢様が外国人と結婚するなど前代未聞」と声を上げたと言います。
しかし、ここで背中を押したのが広岡浅子でした。
柔らかい物腰ながら、信念の人であった浅子ならではの励ましだったのでしょう。
反対を振り切り、二人は結婚し、満喜子さんは後にヴォーリズの事業を支える伴侶となります。
時代の大きな流れの中でも、
自らの意思で未来を切りひらいた女性たちの気骨。
そして、歴史のある一角に積み重ねられた物語の豊かさ——。
堂島川の風景が、少し違って見えてくるかもしれません。






