温暖化の「臨界点」と、900便減便のニュース〜アキさんの「いいよおー」が聞こえた理由
本日の日経新聞。
科学面には「地球温暖化で臨界点迫る」という特集。
グリーンランド氷床の融解や、海流の減速、永久凍土からのメタン放出——どれも一度踏み越えると、人間の努力では巻き戻せない“不可逆的変化”であるとされる。
読み終えた直後、総合面の見出しが目に飛び込んできた。
「中国、日本行き900超減便」
関空中心に15万人分
通常なら「観光や経済は大丈夫だろうか」と反応するところで、
なぜか私の脳裏には、吉本新喜劇でおなじみのアキさんの声が響いた。
「いいよおー!」
——と。
■アキさんとは
吉本新喜劇の名バイプレイヤーで、
本来強面の役柄ですが、無理な要求を重ねて相手が謝ったときに、
「いいよお〜」と独特の間合いと声色で許してしまう、
あの柔らかい可笑しさのあるキャラクターである。
その“脱力の許容”の響きが、
臨界点のニュースを読んだ直後の私には、
航空便減便への妙に適切な応答のように感じられたのだ。
■フライトが多すぎる社会
航空機は1人あたりCO₂排出量が非常に大きい。
欧州では「飛び恥(フライトシェイム)」が市民運動として定着し、
グレタ・トゥンベリさんが“飛行機に乗らない”象徴的存在として知られている。
一方で、日本社会は——
経済成長、インバウンド、利便性。
そのすべてを正面に掲げ、
CO₂排出の議論はどうしても後景に追いやられがちだ。
もちろん、航空便の減少は経済的影響がゼロではない。
しかし、臨界点という「もう戻れませんよ」という合図を突きつけられた今、
社会として「どの程度の利便を手放せるのか」を問われている。
だからこそ、私はアキさん風の**「いいよおー」**を思い出した。
あれは「無関心」ではなく、
「必要な譲歩を、明るく受け入れる軽さ」の象徴なのかもしれない。
■弁護士として思う「社会の選択」
法律の世界には、しばしば取り返しのつかない段階というものがある。
民事でも刑事でも、
「ここを越えると、法的にできることが急速に限られていく」という局面がある。
科学者が語る“地球温暖化の臨界点”は、
ある意味で地球規模の不可逆的リスクであり、
社会全体で「予防原則」をどう徹底するかが問われている。
航空便を減らすことは、
国家レベル・企業レベルの政策判断であり、
個人の選択ではコントロールしきれない領域だ。
しかし一方で、個人としてもできることはある。
- 不要不急の空路を見直す
- 長距離移動をまとめる
- オンラインで済ませられるものは済ませる
- 企業や行政に対して透明性ある環境政策を求める
これは**「不便に耐えろ」ではなく**,
未来のリスクを小さくするための合理的な意思決定である。
弁護士としては、
「少しの不便で大きな損失を回避できるなら、その選択は合理的」という判断軸を重視したい。
■結び
臨界点の報道に、900便減便のニュース。
両者が並んだ今日の記事を読んで、私は思った。
地球環境という“取り返しのつかない法益”を守るために、
社会として譲歩するべき局面が来ているのではないか。
そんな時に必要なのは、
ただシリアスに眉をひそめることではなく、
アキさんのあの緩やかな声かもしれない。
「ええやんかいさ。ちょっとくらい飛ばんでも、いいよおー!」
それくらいの軽やかさを持って、
未来への重大な選択ができたなら——
この社会はもう一段、成熟するのではないかと思う。

