2018年には何をしていただろう——思いを馳せながら、2018年産ワインを飲む
先日、ふと立ち寄ったお店で「2018年産」というラベルのワインが目にとまりました。
棚にひっそり置かれた一本が、まるで「当時のあなたは何をしていたの?」と問いかけてくるようで、思わず手に取ってしまいました。
2018年。
もう7年も前のことなのに、ついこのあいだのようにも思えるし、遠い記憶のようでもあります。
あの年、自分はどんな毎日を過ごしていたのか。
誰と会い、何を悩み、何にときめき、何を諦め、何を始めたのか。
ボトルを開けて、少し深めのグラスに注ぐと、立ちのぼる香りが時間の引き出しを開けていくようでした。
「そういえばあの頃、こんなことがあったな」と、記憶がゆっくりほぐれていきます。
何かを頑張っていた人もいた。
ほんの少し迷っていた人もいた。
たぶん私は、その両方だったのでしょう。
2018年のぶどうが、天候に向き合いながら力強く実り、時をかけていま手元に届くように、
あの年の自分の選択も、迷いも、小さな挑戦も、今の私をつくる栄養になっているのだと思います。
グラスを少し傾けながら、あの頃の自分にそっと言ってみました。
「よくやっていたね。あれでよかったんだよ」と。
ワインは、香りと味わいで楽しむものですが、
その年を生きた自分に寄り添ってくれる、不思議なタイムカプセルのような存在でもあります。
また一本、違う年号のワインを開けて、別の自分にも会いに行きたくなりました。
