「自分のための時間」が不足すると、人は他責的になるー他人の瞑想に腹が立ったら
瞑想、散歩、ジム、良質な娯楽、そして大切な人との会話や食事。
こうした「自分のための時間」を日々どこかに確保することは、
心の健全さを保つために欠かせないと、私は実感しています。
実際、この時間が取れない日が続くと、
人は気づかないうちに 他責的になったり、怒りっぽくなる。
これは私自身、何度も経験してきたことです。
だからこそ、どんなに忙しくても、
毎日必ず“何かひとつ”自分のための時間を取る。
これが、心のバランスを整える習慣となっています。
■ 夕方の瞑想に腹が立つ——その怒りはどこから来るのか
先日、偶然目にした投稿に、
「同居しているお嫁さんが毎夕方に瞑想する。それが腹立たしい」
と嘆くお姑さんの言葉がありました。
瞑想という静かな行為に対して怒りが湧くというのは、
表面的には不思議に見えます。
しかしよく読んでみると、
その背景には “ご自身の時間がまったく取れていない” という
深い疲労とストレスがにじんでいるように思いました。
人は自分に余裕があるとき、
他人が私的な時間を取ることに怒りは感じません。
むしろ「いい時間を過ごしているな」と穏やかに見守れるものです。
ところが、自分が消耗し切っているときは違います。
- 自分ばかりが働いている
- 休む余裕がない
- 自分だけが我慢している
そんな思いが積み重なると、
誰かがリラックスしている姿でさえ、
「ずるい」と感じてしまうのです。
これは人間としてとても自然な反応だと思います。
■ 本当に必要なのは、お嫁さんへの不満ではなく「自分の回復」
このお姑さんのケースを見て、
私はひとつの処方箋を思いました。
もしお嫁さんが瞑想に入ったら、
お姑さんご自身もいっしょに瞑想タイムに入る。
それがもっとも健全で、
しかも平和な解決方法ではないでしょうか。
誰かを責めるのではなく、
自分を回復させる方向に舵を切る。
これが、家庭の調和を保つうえでもっとも効果的だと思います。
■「自分時間」は自分だけでなく、周りの人のためでもある
自分のための時間を取ることは、
決してわがままではありません。
むしろそれは、
周囲に優しくできる自分を保つための基盤です。
- 瞑想する
- 散歩に出る
- ジムに行く
- 本を読む
- 音楽を聴く
- ただゆっくりお茶を飲む
どれでも構いません。
大切なのは、自分という器を空にして、
また満たし直す時間を持つこと。
その数分が、
怒りっぽさや他責的な思いをリセットし、
また優しい自分に戻してくれます。
■ 終わりに
夕方の瞑想に腹が立ったお姑さんの投稿は、
怒りを通じて
「自分時間が不足している状態」を教えてくれているようでした。
誰かを批判するより、
自分自身の回復に目を向ける——。
それは家族関係を守るだけでなく、
自分を大切にする生き方でもあります。
今日もどれかひとつ、
自分のための時間を確保していきたいものです。
