「シャワー禅」とヤクルトの無常──草薙龍瞬さんの教えから学ぶ、思考の静けさ
「シャワー禅」という言葉をご存じでしょうか。
シャワー中に、肌や頭皮に当たる水流の感覚にただ集中し、
浮かんでくる思考を追わず、ただ“眺める”ように過ごす。
それだけで、日常の中に瞑想の時間を取り戻すというものです。
忙しい現代人にとって、まとまった瞑想の時間を取るのは難しい。
けれどシャワーなら、誰しも毎日使うもの。
その時間を「思考を手放す訓練」として使うという発想が、実に見事です。
この「シャワー禅」を紹介しているのが、日本の仏教僧・草薙龍瞬さん。
著書『反応しない練習』(KADOKAWA)は、悩み多き社会で静かな支持を集めています。
草薙さんは1969年生まれ。
中学を中退して家を出、独学で大検(現・高認)を経て東大法学部へ。
37歳で出家し、インドやミャンマーに仏教留学したという異色の経歴をお持ちです。
法学部出身という点で、私もどこか親近感を覚えます。
少年期の自由な感受性を失わずに、
思索と修行を重ねてこられた生き方には、深い魅力があります。
草薙さんの教えには、「身体の感覚を通して今ここに戻る」という共通の軸があります。
たとえば——
冷え冷え禅:寒い日に薄着で外に出て「寒い」と寒さを味わい、
家に戻って暖かさを感謝とともに味わう。
頭で解決しようとする現代人に、「感覚を通して世界と再接続せよ」と促す教えです。
私が好きなのは、彼の語る「ヤクルト禅」。
「私は僧侶ですのでお酒はいただけません。
なので、冷えたヤクルトを細いストローで吸い込み、
あの小さな容器ですぐ中身がなくなることに“無常”を感じながら味わっています。」
なんとも可愛らしく、しかし深い。
私も以来、ヤクルト禅を密かに実践しています。
一瞬で終わるその甘酸っぱさの中に、人生の縮図のような儚さがあります。
——弁護士という職業は、つねに「考える」仕事です。
考え、判断し、主張を組み立てる。
その過程で、どうしても「思考に溺れる」時間が長くなります。
だからこそ、こうした「思考をいったん止めて、感覚に戻る」習慣が、
心のバランスを保つ上で欠かせないのだと感じます。
熱いシャワーの感触、冷たい風、ヤクルトの一口。
それらを丁寧に味わうことが、
自分を「今」に戻す最良のリセットボタンになる。
草薙龍瞬さんの教えは、現代社会の中で生きるすべての職業人に、
そんな静かな智慧を示してくれているのだと思います。