五木寛之さんの寄稿「悪人として生きてきた」に寄せて — 親や祖父母の辛酸に思いを馳せる日
8月13日付日経新聞朝刊に、作家・五木寛之さんの手記「悪人として生きてきた」が掲載されていました。五木さんが綴るのは、戦後の混乱期における自らの人生観と、その背景にある戦争体験。文章からは、戦中戦後を生き抜いた世代が背負った現実の重さと、それを語ることの難しさがにじみ出ています。
この記事を読みながら、私は自分の実母のことを思い出しました。母は終戦を満州で迎えました。敗戦の知らせとともに、治安は急速に悪化し、飢えや暴力、病の危険が身近に迫る中で、祖父母と共に命懸けで日本への引き揚げを果たしました。船旅の過酷さ、見知らぬ土地での一夜の宿探し、不安な将来。そうした一つ一つが、今の平穏な日々とは遠く離れた現実だったのです。
戦後80年近くが経ち、私たちは戦争を直接知らない世代が多数となりました。弁護士として日々依頼者の人生に関わる仕事をしていると、人が置かれた環境や背景を理解しようとする姿勢の大切さを痛感します。依頼者の立場や感情に心を寄せるとき、ふと母や祖父母の世代が生きた極限の時代を思い浮かべます。あの時代を生き延びたからこそ、私たちは今、法や権利を当然のように語れる社会に立っているのだと思うのです。
今日は、そんな親や祖父母の世代が舐めた辛酸に、改めて配慮と感謝を噛み締める日にしたいと思います。平和な日常や法の安定は、偶然に与えられたものではなく、過去を生き抜いた人々の犠牲と努力の上に築かれている。その事実を忘れず、私もまた日々の仕事に臨みたいと思います。