自身のプロフィールについて
大阪弁護士会所属51期
誰もが互いを尊重し、誰も搾取されず脅かされず平穏で幸せな人生を積み重ねていく手伝いをすることを決意し、大阪の中心地に弁護士事務所を開設して20年、弁護士登録26年の「ベテラン弁護士」。
1969年岐阜県大垣市生まれ。大垣北高等学校を経て、京都大学法学部へ進学。
大学入学後、周りの学生が優秀すぎて、自分など、と自暴自棄になり、勉学への意欲を失い、「アウトドアサークル 桃太郎」にて、登山、アウトドア、ヒッチハイクなどをして4年を過ごす。
大学卒業後、同大学の民法ゼミでお世話になった北川善太郎教授の主催する財団法人比較法研究センターの補助研究員として、勤務を開始するも、業務内容は「研究員の補助」としてのコピー取りや弁当買い出し、お茶くみであったこと、また、手取りも月額12万円程度と、将来の展望が描きにくかったことから、手に職をつけようと在職中から司法書士試験の勉強を始めた。
片手間勉強の初回受験では合格できず、自身の取り組みの甘さに気づき、2年目は寝食を忘れるほどの猛勉強を開始した。模試でも好成績をとれるようになってきて、「こんなに勉強が必要なら、いっそ司法試験を狙ったほうがよくないか・・・?」と気づく。
当時、大学に残って司法試験を勉強していたかつての同級生や先輩より、24歳でゼロから司法試験の勉強を始めたとして、合格時一体何歳になっているというのだ、とこぞって反対を受けるも、
知らぬが仏作戦をとり、司法書士試験と司法試験受験生の2足の草鞋を履いて勉強し、その翌年に司法書士試験を、その3年後に司法試験に合格し、関西トップの大手法律事務所に就職。
多くのアソシエイト弁護士と同様、午前9時から午後11時まで、債権回収、契約書チェック、民事家事商事事件の訴訟準備などを行っていくうちに、丁寧な聞き取りと粘着力ある交渉という持久走型仕事スタイルが認められ、所内では「要求きつめの依頼者」「泥沼化した親族間のもめごと」など他の担当弁護士では手に余り、依頼者と信頼関係が破綻したものが回されてくるようになる。そこをうまく処理して、依頼者から感謝され、ボスからも認められる。
6年の在職期間を経て独立した後、「親族どうしのもめごと」「復縁」「離婚」については、同業弁護士から第一人者と認識され、揉めた事件は長野へ、という紹介ルートが同業者内で確立されるようになる。
弁護士としての事件取り扱い件数、関与件数は3000件を超える(2025年5月現在)。
東証一部上場企業(プライム)の社外取締役、法律扶助協会審査委員、イベント会社や不動産販売会社等多様な企業の顧問弁護士もつとめる。
法的問題の解決策を共に探し、搾取され脅かされているクライアントを守り、相手からは、二度と敵に回したくない、と思わせ、
友人や隣人として互いを尊重し、誰も搾取されず脅かされない社会を実現するため、希望の光を灯し続けたいと願っている。
