7日目日曜の朝、ホテル前の公園で朝市をやっていたのでガイドさんとちょっと見学しました。古いガラス製品を売っているお店があり、面白い香水入れがあったので購入しました。良心的で誠実な人柄のイタリア人のおじさんが熱心に説明してくれました。

 どこの国でも人柄は大事ですね。別れ際に記念撮影をしました。

 

 その後ガイドさんお薦めの運転手のチャーター車で一日郊外見学をしました。

 

 まず行ったのはフィレンツェ全景が見渡せるミケランジェロ広場。天気も良く綺麗なフィレンツェをバックに皆さんと記念写真を撮りました。

ミケランジェロ広場からのフィレンツェ

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

ヴェッキオ橋

ヴェッキオ宮殿

 

 次は中世の時代に栄えたサン・ジミニャーノ(San Gimignano.

1990年に「サン・ジミニャーノ歴史地区」として世界遺産登録されました)に行きました。美しい塔が立ち並ぶ街として有名です。

 運転手さんが、サン・ジミニャーノ全体を撮影できる絶景スポットを知っていて舗装もしていない田舎道を回っていただき写真を撮りました。

 現地を良く知っているライセンスガイドさんをお願いして、そしてガイドさんお薦めの現地を熟知している運転手さんが来てくれて本当に良かったと思いました。

 この塔は当時街の権力争いの名残であり、富と権力を持つ者がそれを誇示するためにより高い塔を競い合い建てたとのこと。最も多い時は72本もの塔が建っていたそうです。この手の競争は何処の国にもありますね。

 思うに、大事なのは隣の芝生の青さではなく自分が真に何をしたいかですね。本当にしたい事があれば回りの芝生の青さは気にならなくなります。皮肉な事にサン・ジミニャーノはこの競争のお陰で高い塔が立ち並ぶ魅力的な街が出来ました。

 門をくぐり街中に入ると中世の古い街並みがそのまま残り、少し手直してお店にしている所が沢山あり、とても参考になり

ました。

サン・ジミニャーノ遠景

サン・ジミニャーノから見える田園風景

サン・ジョバンニ門

チステルナ広場と井戸

参事会教会とドゥオーモ広場

カトリック教会ファサード

教会身廊

通りのお店

通りの家の玄関

 

 次はシエーナ(Siena.1995年旧市街は「シエーナ歴史地区」として世界遺産に登録されました)に行きました。

 中世は金融業で栄えた有力都市国家で、フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を争い長い間戦争をしたとのこと。

 説明を聞いてびっくりしました。考えてみれば日本だって戦国時代は領土を得る為に戦争を繰り返していたのですから、イタリアでも当たり前だったのでしょうね。

 中心部には美しいシエーナ大聖堂(Duomo di Siena)があります。ロマネスク様式+ゴシック様式+ルネッサンス様式で内部の驚嘆する程の豪華さはイタリア独特のデザイン性があり圧巻でした。この感覚はイタリア独自ですね。

 前に行ったスペイン、そして日本もそうですが、その国民性が持つ独特の感性ってありますね。それがその国の個性というか魅力になっているのだと思います。

 今いろいろな分野、場所でグローバル化の波が押し寄せていますが、その国、地域が持っている独特の感性は大事にした方が良いと思いました。それが他国の人達を呼び寄せる魅力になっているのだと思います。

シエーナ大聖堂ファサード

大聖堂身廊

大聖堂天井

大聖堂側廊

大聖堂身廊入口方向

大聖堂中央交差部より入口方向

 

 カンポ広場は広場を囲むようにシエーナの主要な建物が建てられていて、市場やいろいろな催事等をする為に多機能的な空間になっています。市民生活の中心の場としての役割を担っていたとのこと。今も沢山の市民や観光客がこの広場で食事をしたりお茶を飲んだり催事をして楽しんでいました。

 イタリアでは行く街々で必ずこのような多機能型の広場があります。この都市構造は独特です。イタリアの国民性によるものでしょうか。

 街の条例によっても厳しく規制され、極めて機能的に構築されているカンポ広場は、今では世界的にも評価されているとのこと。うなずけます。

カンポ広場の市庁舎

カンポ広場

 

 次にシエーナとサン・ジミニャーノの間にあるモンテリッジョーニ(Monteriggioni)に行きました。

 かつてはシエーナ共和国をフィレンツェから守る為に小高い丘に作られた小さな要塞でした。今は城壁に囲まれた小さな村というか観光地になっています。要塞の直径は172m。私の足でゆっくり歩いても東門から北西門まで10分もかかりません。

 大軍で攻撃すればすぐに落とせそうな要塞ですが、300年間シエーナ共和国をフィレンツェから守り続けたとのこと。

 この要塞が落ちたのは意外にも内部の者の裏切りからだったとか。今は穏やかな観光地になっていますが、当時知略と武力による群雄割拠の時に、生きるか死ぬかのギリギリの場で行われた駆け引き、命のやり取りは必死だったというか壮絶なものがあっただろうと思いを巡らしました。

 要塞の中にはロマネスク様式+ゴシック様式のサンタ・マリア・アッスンタ教会がありました。小さいですが、素朴で良い教会でした。

 きっと当時の人達は何かある毎にこの小さな教会に集まって対策を話し合ったり、祈ったりしたのでしょうね。

 今は小さな村ですが、当時を思わせる要塞がほぼそのまま整備され残り魅力ある所でした。

モンテリッジョーニ遠景

城壁と東側、シエーナ側の入口のフランカ・エ・ロメーア門

サンタ・マリア・アッスンタ教会と村のローマ広場

教会外観

教会礼拝堂内部

ローマ広場にあるお土産物屋

村の通りにある家の玄関

村の通りにある家の玄関

北西側、フィレンツェ側のサン・ジョヴァンニ門

 

 ヨーロッパはバルセロナやフィレンツェのような大きな街でも、どんな小さな村、お城、要塞にもその場所に応じた教会が必ずあります。人が住んでいる所には必ず心の拠り所となる場所があります。

 私も小さな家の中に小さくても大いなる宇宙・生命と対話でき、思索し、山あり谷にありの人生、複雑な人間関係の中でも平常心で乗り越え、前向きに生きられる心身、生命の修養の場所を作りたいと改めて思いました。

 

 最後に時間があったのでフィレンツェが一望できる丘の上のサン・ミニアート・アル・モンテ教会(San Miniato al Monte)に行きました。雨上がりのフィレンツェに向かって今回の旅のお別れの挨拶をしました。

サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサード

教会から見えるフィレンツェの街

 

 8日目は朝から帰路に着きました。ガイドさんがフィレンツェ空港まで送ってくれました。搭乗手続きをしてもらってから別れました。

 フィレンツェ地区のライセンスガイドを取得された頭脳明晰な方でしたが、そんな所は微塵も見せず、良く気の利く気さくで楽しいガイドさんでした。この方に会えてとても良かったと思っています。人間的にもとても勉強させられ刺激を受けました。

フィレンツェ空港、エールフランス機搭乗前

 

 飛行機でアルプスを越えて問題のパリ=シャルル・ド・ゴール空港(Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)に着きました。

 とにかく広い空港なので乗り継ぎがとても心配でしたが、要所要所に案内人がいて、聞くと親切に案内してくれて割とスムーズに乗り継ぎが出来ました。

 エールフランスの羽田行きに乗ると後は日本に着くだけです。日本に着けば言葉が通じるので何とかなると思うと気持ちがとても楽になりました。帰りの飛行機の中ではワインやビールをお願いして映画を見ながら飲みました。美味しかったです。

エールフランス機でアルプス超え

パリ=シャルル・ド・ゴール空港の出発ロビー

 

 機内で一泊して次の日の昼頃羽田国際空港に着きました。

 2人の兄に日本に無事帰れた事を連絡したら母が肺炎で緊急入院したとのこと。今回の旅を満喫してゆっくり帰るつもりでいましたが、中止して急いで家に帰る事にしました。夕方中部国際空港(セントレア)に着き夜高速を走らせ自宅に帰りました。

羽田国際空港

ANA機から見えた夕焼け空と雲海

 

 今回の旅は高齢になって初体験の事ばかりでした。時間に制限がありハラハラドキドキの事ばかりでしたが、回りの方達が良い方ばかりで、いろいろ助けてもらい何とか無事家に帰る事が出来ました。お世話になった方達には本当に感謝しています。

 

 1つの事を成し遂げるには、それに付随する多くの事がちゃんと遂行できないと実現できません。時には本業以上のエネルギーを使う事もあります。何をするにも総合的な能力と人間性が必要ですね。若い時にもっといろいろな事を学んでおけば良かったと今になって痛感しています。今からでも前向きに頑張ろうと思いました。

 

 短い間に本当にいろいろな事を体験しました。近い将来良い形で活かせる事を心より願ってこの度の珍道中録を終わりにしたいと思います。

 

 最後まで読んでくれた方達には心より感謝します。