光陰矢のごとし。人の一生は何もしないとあっと言う間に終わってしまいます。志や目的・目標を持って出来る範囲内で精一杯生きたいものです。

 

 18歳の青春真っ盛りの多感な時期に骨肉腫になり、転移を繰り返した長い闘病生活は、受験期、就職期、恋愛期、結婚期に多大な影響を与え私の人生は一変しました。皆がどんどん自分の人生を築いて行く時期で、1人不安を抱え悶々と生きていました。今思うと本当に辛い時期でした。

 そんな生死の闘病生活の中で「一度の人生、命懸けで生きなければ」と画家として生きる事に生き甲斐を見つけ出し人生を懸けて必死で絵を描き始めました。突出した才能もなく最初は途方に暮れる事しばしばでしたが、40歳の頃には何とか生活の目処が立ちました。

 50歳の頃より両親の介護が始まりました。命の恩人である両親に恩返しのつもりで始めた介護も、長い間にはストレスになる事もありました。

 右往左往、悪戦苦闘しながらの長い介護生活は、画家一辺倒だった私の人生に少し変化をもたらせた気がします。

 

 介護生活が長くなり、一日の殆どを介護に費やしていると、自分は何の為に生きているのか分からなくなる時もたまにありました。

 そんな時期、生死の闘病生活の時もしましたが、少しでも時間を生み出しては自分捜しの旅をしました。本来好きだった建築、宇宙や自然、哲学や宗教に自然と気持ちが向きました。画家一辺倒だった時は机上・頭だけの思索が多かったですが、介護生活が長くなると実生活、現実、体で哲学や宗教を学ぼう、感じようとする気持ちが芽生えてきました。

 介護をしながらの生活、生きるという事は、理屈ではなく、時間を費やし体を酷使しないと成立しないという現実を痛感しています。自分の理想や楽しい空想の世界だけを描いて生きていた時期とは全く違います。

 

 それは闘病時代に経験した「人間として生きること」に近いものがありました。この世で人間として生き続ける為に自分の足を切断したり、肺の一部を摘出したり、制がん剤を投与することは本当に辛い現実でした。それをしなければ確実に死ぬという現実を体で嫌というほど体験しました。同じ病室の人の死を間近に見、いつ自分に番が回って来るのだろうかと不安になったり、冷たい霊安室の扉の前で自分はいつここに来るのかと背筋が寒くなる思いも幾度もしました。

 ただ若い時の闘病時代と今の生活と決定的に違うことは、闘病時代は両親がお金や生活の面で全面的に援助してくれていましたから、当時は死の恐怖や辛い病気と闘うだけでした。しかし今は全部を自分でやらないと人間としてちゃんと生きられないということ。精神的にも肉体的にも厳しい現実を味わっています。

 

 いつしか画家、デザイナー以外で本来好きだった建築、宇宙・自然、哲学・宗教の世界も活かして全宇宙や生命と素直に対話し自分を素直に見つめられる空間を作りたくなりました。誰かに言われること無く自然と体の中からふつふつと湧き上がる衝動でした。この体の中から湧き上がる衝動というか体の中から聞こえてくる小さな声は、若い時の生死の闘病時代の頃から少しずつ聞こえ出していました。

 その声を聞くと、人は無限に広がる永遠な宇宙空間の中で自分を素直に見つめ素直に生きる事が必要だと、そしてこの世のいろいろな困難に対処して強く生きて行ける精神と肉体が必要だと痛感するようになりました。

 

 そんな事もあり数年前から毎年5月になると母にショートステイをお願いして勉強の時間を頂いているのですが、今年はこだわりの空間を作る為の資料収集にスペインのバルセロナ近辺とイタリアのフィレンツェ近辺の美術館、古い教会、素朴な村々を尋ねてみようと1人旅を計画しました。

 私は小さい頃から誰かに教わることなくヨーロッパの古い城や遺跡、教会等に強く惹かれました。

 

 最初はツアーに便乗して行こうと思いましたが、こんな体なので健康な皆さんに付いて行くのは大変です。ヨーロッパの1人旅は初めてで知らない事ばかり。行き慣れた国内の気ままな1人旅とは訳が違います。全く異なるヨーロッパの1人旅はとても不安でした。飛行機の乗り方も知らない私がヨーロッパの1人旅をするわけですから・・・、そりゃあ不安だらけです。かなり前から準備をしました。

 

 まずは知り合いの銀行員に地元のヨーロッパ旅行に詳しい旅行会社を紹介してもらう事から始めました。やはりこの手の相談は身近なその道のプロに聞くのが一番です。地元で長年ヨーロッパ旅行案内をしている旅行会社の社長さんを紹介してもらいました。地元ではかなり詳しい方でいろいろ親切に相談してくださり飛行機とホテルの予約をお願いしました。

 

 それからこだわり空間を作る為に独自の資料収集をしたく、通常の観光地だけではなく気になる所にも行きたかったので、結局ネットで調べバルセロナとフィレンツェではそれぞれ日本人のプロのガイドさんをお願いすることにしました。

 やはり現地を詳しく知っているガイドさんに限ります。しかも私は体にハンディがあるし日本人なら習慣も似ていますからいろいろ安心して気楽に頼めます。実際ちょっと変わった場所もスムーズに行けるよう前もって計画を立ててくれたり、その場所に詳しいドライバーさんを割安で予約してくれたり、現地の日本人ガイドさんならではの気配りがあり頼んで良かったと思いました。

 

 ここでちょっと現地のガイドさんについて説明します。

 後日旅行会社の社長さんや現地のガイドさんの話を聞いて分かった事ですが、日本ではプロのガイドと言えばガイド業で生計を立てている人全部を指します。現地に詳しいかあまり詳しくないかの差こそあれ一様に皆それなりの知識があるガイドだと思っていました。

 しかし、スペインやイタリアでは国が定めた厳し国家試験に合格したライセンス持ちの公認ガイドとライセンスを持っていないガイドでは、日本の司法試験に合格した弁護士と自称法律に詳しい者位の違いがあるとのこと。

 1日の料金も違いますが、ガイドの内容は格段に違いますので、観光内容に応じて確認してお願いした方が良いです。

 通訳、道案内、グルメ案内位で十分ならライセンスを持っていないガイドさんでも十分ですし、その地域をしっかり堪能したければライセンス持ちのガイドさんに限ります。特に美術館や遺跡等に行って詳しく説明してもらいたいならライセンス持ちのガイドさんでないと駄目です。その説明内容は日本の美術館の学芸員並ですし、特にイタリアでは法律で規制されていて、ライセンスを持っていないガイドさんが美術館や遺跡等で観光客に説明したり案内する事が禁じられています。要注意です。

 

 さてさて準備期間は割と長く取ったのですが、出発の日はあっという間に来ました。

 

 2018年5月14日月曜日午前2時に自宅を自分の車で出発し、中部国際空港(セントレア)に向かいました。月曜日を出発日にしたのには訳があります。

 日本もそうですが、スペイン、イタリアの美術館等の施設は月曜日が休館で火曜日から日曜日が開館日です。開館日を少しでも有効に使いたかったからです。時差の関係でバルセロナには月曜日の夕方着く予定です。

 

 ANA(全日空)機で中部国際空港(セントレア)から成田国際空港に行き出国。KLM(オランダ航空)機でアムステルダム・スキポール空港経由でバルセロナに向かいました。

 1人で飛行機の搭乗・預け荷物の手続き、手荷物検査・身体検査、出国検査、搭乗、そして乗り継ぎは、どれも初めての経験で迷ったり、間違えたり、回りの方達に助けを求めながらヒヤヒヤ、ドキドキの連続でした。

 アムステルダム・スキポール空港でのEU入国手続きが一番冷や汗をかきました。

 身体検査では義足の事を前もって伝えてもブザーが鳴り別室で服を脱いで検査をうけました。入国検査では言葉が上手く通じず困りましたが、ちょうど横に日本人のビジネスマンらしき方がいたので通訳していただき入国OKの許可印を頂きました。

 バルセロナ=エル・プラット空港では預け荷物が見つからず困って窓口に英単語を並べて助けを求めました。要は私が電光掲示板で荷物受取レーンをちゃんと確認しなかっただけの話でした。

 度近眼の私は電光掲示板の細かい文字が見えないのでつい見ずに預け荷物を探していた為に起きた事でした。小さな空港ならすぐ分かりますが、大きな空港は荷物受取場所だけでも気の遠くなるほど広くレーンも沢山あります。以後は必ず電光掲示板で自分が搭乗する飛行機の予定を確認して進むようにしました。

  

 慣れない旅でアクシデントを少しでも少なくするポイントは、大事な事、心配な事は必ずメモしていく事ですね。

 ANA(全日空)機のCA(客室乗務員)さんに義足の英語を調べてメモしてもらいカバンに入れて持ち歩きました。身体検査の時にそれを見せるとすぐ理解してくれました。

中部国際空港(セントレア)

ANA(全日空)機から見えた富士山

アムステルダム・スキポール空港

 

 とにかく何とか予定通りバルセロナに着きました。

 

 バルセロナ空港にはバルセロナでお願いしたガイドさんが迎えに来てくれてタクシーでホテルまで送ってもらい無事着きました。自宅からバルセロナのホテルまでの所要時間は約25時間。飛行機で一泊でした。

 

 バルセロナのホテルはサント アグスティ(SANT AGUISTI)。左足が大腿部より義足なので旅行会社さんにお願いしてバリアフリーでバスタブ付きのホテルをお願いしたらこのホテルを手配してくれました。日本の普通のビジネスホテルよりちょっと良い感じでした。

 

 ホテルにチェックインして部屋に荷物を置いて、ガイドさんとの打合せも兼ねホテル近くのちょっと豪華なレストランで夕食を取りました。ガイドさんにこれから数日間お願いする訳ですから少し奮発しました。

バルセロナのホテル、サント アグスティ(SANT AGUISTI)右手とその前の公園

ホテル室内

バルセロナ、1日目の夕食を食べたレストラン(Fonda España)

夕食、フルコースの一品

 

 そこでまたまたアクシデント。食事後の会計で持参のカードを使ったのですが「カードの暗証番号が違っていて使えません」とのこと。カードが使えなかったらこれからの旅行が計画通り出来なくなってしまいます。焦りましたね!ホテルに帰って日本のカード会社に電話していろいろ確認してもらい何とかカードが使えるようになりました。この時も本当に冷や汗をかきました。

 これは旅行会社の方にも言われた事ですが、カードは2種類程持参し別々に保管する事が大事なポイントですね。また何かあった時の為にカード会社との連絡方法は必ず記録していく事です。

 

 一安心したところでいよいよ2日目。私の大好きなガウディ建築群を時間がある限り見て回ることにしました。

 

 まずはサクラダ・ファミリア(Sagrada Família:1882年〜現在も建設中、2005年には建設途中ながら生誕のファサード「建築物の正面部分『デザイン』」がアントニオ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されました)

 ガイドさんがホテルからタクシーをお願いしてくれてサクラダファミリアに送ってもらいました。すごい数の観光客でした。メインの東側の生誕のファサードはさすが圧巻でした。ガウディが実際手がけた部分で、ガウディのスピリットを直接感じられる事が出来る唯一の場所です。

サクラダファミリア、東側生誕のファサード

 

 ガイドさんに予約をしてもらっていたので内部にはスムーズに入れました。ガウディの建造物に入るにはその多くは予約が必要です。予約をしないと長蛇の列に並び入場を何十分も待たなければなりません。

 ここでも厳重な手荷物検査と身体検査がありました。ヨーロッパでは最近テロがあり、主要な施設は手荷物検査と身体検査があります。

 

 聖堂内部は入れば誰もがそのスケールの大きさと荘厳さに驚嘆します。天に伸びるような高い天井が幻想的で幾何学的なデザインで覆われていて圧倒されます。

 ただ、ガウディは詳細な設計図を残しておらず、ガウディが手掛けた模型等の資料はスペイン内戦でその殆どは消失し残っていません。残された少ない資料から今の建築家が創造して建設を続けています。

 ガウディが実際手掛けた東側の生誕のファサードから感じるガウディのスピリットというか生の声はこの場所からは聞こえて来ませんでした。一見すごく壮大に見えますがガウディの精神性、造形性からするとちょっと違う感じがしました。もしガウディが生きていたらこのような建築を望んだかは疑問ですが、ヨーロッパのこの手の教会は何百年も掛け建設を進め、途中で設計者が何人も代わり完成時は初案とは違う形になることは良くあることです。今の時代背景からすればこれも有りなのかなと思って見ました。

 建物内の資料館に展示されていたガウディのディスマスクがとても生々しく印象的でした

聖堂の東側天井

聖堂の東側天井

聖堂の真上天井

聖堂のステンドグラス

資料館、サクラダファミリア模型の復元

資料館、ガウディが作業していた部屋の復元

資料館、ガウディのディスマスク

東側公園より外観

 

 次に行ったのはカサ・ミラ(Casa Milà:1906年〜1910年、1986年に世界遺産に登録されました)です。

 これは100%ガウディです。カサ・ミラはガウディの豊な感性が実生活の場に良く活かされた代表作だと思います。サクラダファミリアは崇高な世界を感じましたが、カサ・ミラはガウディの才能・感性の真骨頂ですね。

 屋根裏の資料館にはガウディが自然界から採取した動植物の標本が沢山展示されていました。ガウディのような天才でさえ自然界から学ぶ事が多かったようです。後日行くモンセラートの岩山も多大な影響を受けたようです。古今東西の天才達は宇宙や自然を偉大な師として多くを学んでいます。多分宇宙や自然を学べば学ぶほどその偉大さが分かるのだと思います。

カサ・ミラ外観

カサ・ミラ中庭から空を見上げて

カサ・ミラ中庭

オーナー、ミラ家専用の階段

屋上のオブジェ

屋根裏の資料館内部

資料館、展示品

資料館、展示品

カサ・ミラ住居部寝室

 

 次はグエル公園内にあるガウディ博物館 (Casa Museu Gaudi、1984年アントニオ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されました)に行きました。

 姪が亡くなるまで一緒に暮らしていた家が博物館として公開されています。ガウディが実際使っていた寝室や祈りの部屋、そしてガウディがデザインした家具等が見られて良かったです。

ガウディ博物館外観

ガウディ寝室

ガウディ礼拝室

 

 その後グエル公園(Parc Güell:1900年〜1914年、1984年アントニオ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されました)を歩いて回りました。

 公園全体がガウディの感性で造られていて、まるで童話のような世界でした。ガウディ建築群も建設されてから長い年月が経ち、あちこちで修復工事が行われていました。中央広場(ギリシャ広場)も半分修復工事が行われていて全部歩く事は出来ませんでした。

グエル公園正面

中央広場(ギリシャ広場)より

列柱ホール

列柱ホール円天井

列柱廊

列柱廊

中央広場(ギリシャ広場)

 

 次はバルセロナ郊外にあるコロニアル・グエル教会(Cripta de la Colònia Güell:1908年〜19016年建設中断、2005年にアントニオ・ガウディの作品群として世界遺産に登録されました)に行きました。

 これもガウディ100%建築の代表作です。小さな教会でしたが、ガウディの造形性、精神性が十分発揮された建物でした。屋上にも何かあるかと思い上がって見たのですが意外にも何も無くコンクリートの打ちっ放しで平らでした。これは教会建設途中にサクラダ・ファミリアに専念する為1916年に工事が中断された為で今だ未完成とのこと。

コロニアル・グエル教会外観

教会入口

教会内部

教会内部

教会側面の塔

教会屋上


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