地元新聞紙上を賑わした富山高岡広域都市計画区域マスタープランの見直しについての騒動がようやく終息に向かうようですね。
昨年秋に突然沸き上がったこの騒動。富山市の主張には一部共感、一部戸惑いの複雑な思いで見てきましたが、しかし結果としてはこの騒動は良かったのかなと。
都市計画という言わば街づくりの設計図に対し初めて関心を持ったという方も少なくないと思います。
まずは復習ですが、富山高岡広域都市計画区域は、昭和45年に設定されてます。私の生まれる5年前、つまり約44年の月日が流れています。
区域は、旧富山市、旧婦中町、射水市、高岡市(旧福岡町除く)、計画当初は舟橋村も含みましたが、昭和63年離脱。
拠点都市の富山市、高岡市と富山新港やベッドタウン旧小杉町などを一つの都市に見立て、道路などのインフラ整備、また射水市で言えば太閤山ランドや県立大学など多くの県施設があるのもこうした計画と無関係ではありません。優先的にインフラ整備を受け、区域内は多くの恩恵を受けてきたのは紛れもない事実。
しかし一方で、この区域内は線引き制度というものが導入されています。線引き制度と聞いてピンと来ないと思いますが、計画区域内を市街化区域、市街化調整区域に分け、市街化区域は開発を進め、市街化調整区域では開発を著しく制限するという大変厳しい規制です。
市街化調整区域では、例外除き住宅1棟立ちません、許可なく企業立地や商業施設誘致もできません。
農地転用許可権限をもつ農水省の既得権と相まって富山県に限らず日本の土地利用はがんじがらめになっています。
そうした中での今回の騒動。発端は、射水市におけるコストコの誘致決定でした。
コンパクトシティを目指す富山市、に隣接する射水市に外資系大型倉庫型店舗コストコが来ることになった。富山市がせっかく中心市街地を中心としたコンパクトな街づくりを行うなか都市計画区域内の他市の郊外に大型商業施設ができようというのに権限をもつ県は何もしてくれないじゃないか。ということです。
街づくりの中心が市になってきている現状では、県も強引な口出しはできないのが実情でしょう。
射水市がせっかくコストコを、しかも塩漬け状態となっていた用地に誘致でき喜んでいるのに、県が開発認めないってなかなか言えませんよね。
そういう点では富山市の主張する広域都市計画区域から富山市が離脱(当然、射水市、高岡市もそれぞれ独自の都市計画)ということも真っ当な主張です。
ただ、本当に県の行う市町村を越える広域調整の仕組みが不要かと言えば必要な場面も想定できます。
時代は大きく変わっています。人口現象、地方分権が進むなかで、今後、都市計画について大きなきっかけができた。これはこれで富山県政史のなかで一つの事件かと思います。
皆さんも注目してて下さい。