ずいぶん前に書いた日記
その時に思い出す遠く過ぎ去った日々のこと
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午後の西陽と冬枯れの景色に父親が重なる
祐天寺に住んでた頃、二階の家とは別に一階の叔父の仕事場の一室に部屋を移して籠っていた父の部屋
薄暗い部屋、骨董と音楽、パイプの葉煙、僕はその空間が好きだった
大人の空間、というんだろうか
子供心に、その空間への憧れのような気持があった
冬枯れの景色、父の二度目の大きな躁状態の始まった頃の記憶
最後の躁が始まったときも冬枯れの景色だった
白い息の夜に玄関を出て、自分は父と揉み合いになり、そのまま父はエレベーターを下りてどこかに行ってしまった
冬枯れの景色の寒い中に、父は消えていった
躁が収まった翌年の冬に仕事に出掛けて行く父、学校帰りに家の近所ですれ違ったのも冬枯れの景色だった
小さくて髭を剃って髪を短くした姿にとても老け込んでしまったことが寂しく感じられた
あまり言葉を交わすこともなくなっていたけれど小さく感じた父の姿を振り返って見ていた
亡くなる半年前の冬
昨日、誰かが日記で同じように亡くなった父のことを書いていた
子供の頃のアルコール依存症とDVでいまもクリスマスから正月にかけて子供の頃のトラウマが蘇ると
そんなこともあって冬枯れの景色に父が映った
僕にはトラウマはない
自分で亡くなってしまったことも、父の意思だからと思う
父はやさしく穏やかででユーモアがある人だった、自分の中にある父の姿はいつまでも変わらない
パイプと音楽とお酒にく揺られた飴色の部屋から、父がぼんやりと浮かんでくる
パイプ