近所に園芸店があります。
近くを通るたびに、
量販店よりも安い!」と書かれた手書きの看板が気になっていたお店です。
 
伊豆半島の主要道路、下田へ向かう日当たり良好の敷地。
年中観光客でにぎわう国道沿いです。
立派で派手な看板がまぶしい干物屋さんと、
これまたお教室も展開している大きな陶芸屋さんが目立ちます。
の間に挟まれて、「昔からやってる」と聞く小さな園芸店は、
いわゆるぱっとしないと言われるようなお店。
 
近づいてみると、手作り感満載。
上等な鉢植えがいろいろあります。
小さな植え替え用は、花の変わり目なのかこれから咲く花はないようです。
 
「いらっしゃい奥までどうぞ」。
花は好きだけど人間は苦手的な奥様が一瞬姿を現してくれます。
ブラブラ観察していると、
もう終わりに近いからか、わんさか咲いている芝桜が確かに安い。
いいね~。
春になると小さなマジェンタ色の芝桜は、目をひかせてくれる好きなお花。
家の前に咲いたらきれいだろうな~。
 
外の裏手でごそごそしていたご主人がタイミングよく現れ、
さらに安くしてくれると言います。
見れば、クッキーか何かの食べかすが口元についていて、
色あせたポロシャツに長靴、
70台くらいの、お花も人間も好きそうなご主人です。
 
「これもう終わりですか?でもエンドレスでしょう?」
「まだ咲くし来年咲きますよ。」
『ノープラン』なご主人の登場に、思わず何か話しかけたくなります。
 
私達夫婦はハートで生きている人を尊重をこめて『ノープラン』と呼んでいます。
世の中には、何でも計算されつくしたものが多くあるように思います。
私達現代人も無意識的に、
完璧な店構え、完璧な風貌、完璧にニーズに応えてくれるように、
そして、完璧な回答を求めています。
それ以外は相手にしない、お話にならない的な感覚です。
 
しかし私達夫婦にとっては、画一化された完璧な様相だけでは、
どうも気持ちが悪いと感じます。
ハートに響いてこないわけです。
当たり前のようですが、
綺麗に飾られている量販店はお金を出して商品を受け取って
「はい終わり」です。
ハートの交流なんて求めようがありません。
 
一方、マヤの田舎に行くと、
物々交換の時代まで一気に遡るような気配が充満しており圧倒されます。
お金を出して商品をもらって「はい終わり」という量販店的な買い物をすれば、
「あの人は具合が悪いのか?」などと気持ち悪がられ、心配されるわけです。笑
 
物々交換時は、お互いに欲しいものを交換するわけですから、
やり取りが欠かせないのです。
それがお金を支払うという現代の行為にもあたりまえに残されていますから、
「安くして」はもちろん、「素敵だね」、「美味しいね」、「どこから来たの」、
「マヤ語はどこで覚えたの」、と
いろいろなハートの交流になって、価格がどんどん安くなったりするわけです。
最後にはお互いのニーズの折り合いがついて大満足で一緒に記念撮影と言う感じ。
 
「お金を払っているんだ。お客だぞ」、なんてふんぞり返ると
ハートの交流は皆無なわけです。
人間はハートを動かさなくなると、動かせなくなると感じています。
日本の多くの場所や人に、その弊害があちこちで現れているように思います。
 
マヤでは店舗の前を行き来する街の人みなが知り合いですから、
店番をしているマダムは通る人、一人一人に声をかけるのです。
しかも、た~だ抑揚をつけ引き伸ばしながら名前を叫びニヤリとするだけ。
呼ばれた方もマダムの名を抑揚をつけて叫び返してきます。
それが毎日なされている交流ですから、禅的ともうしましょうか。
その瞬間瞬間を最大に楽しんでいるのです、40年間も!
見ていると気持ちがいいくらい愛情の交流がなされていることがわかります。
 
マヤの田舎には、『ノープラン』の方ばかりがワイワイいらっしゃいます。
ハートが生きているし、交流すればとても気持ちがよく、嬉しくなります。
 
日本にも、中にはご主人のように『ノープラン』の方がいらっしゃいます。
私もそこのところを最大に大切にしたいわけです。
「お客さんはどこの人?」
「すぐそこの・・」
「あぁ!また絶対に来てください」。
絶対なんて、聞いたことないフレーズ。
さすがハートの人だな~、心に響いて忘れられないわ。
 
さぁ今日も数少ない『ノープラン』の方との出会いを求めてみましょう!