県政をもっと身近に! あなたが主役!
永井まさとオフィシャルブログへようこそ!
【永井まさとの経歴】
横須賀市立鴨居小学校
横須賀市立鴨居中学校
神奈川県立横須賀高校(高48期)
東京工業大学工学部経営システム工学科卒業
2011年 横須賀市議会議員 初当選
2015年 横須賀市議会議員 2期目当選
2019年 横須賀市議会議員 3期目当選
2022年 横須賀市議会副議長に就任
2023年 神奈川県議会議員 初当選
(主な役職)
鴨居八幡神社禰宜
掃海母艦うらが後援会会長
鴨居学区体育振興会会長
横須賀バスケットボール協会参与
横須賀アマチュアボクシング協会顧問
神奈川自衛隊家族会三浦半島地区会相談役
三浦半島会津藩士顕彰会副会長
(政策)
横須賀を前に進めるための3ヶ条!
1) 働くことを軸とする安心社会の構築
2) 活気あふれるまちづくり
3) 安全・安心・快適なまちづくり
【1週間ダイジェスト】令和7年12月22日〜令和7年12月28日
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12月22日(月)
【爪やすりの45度】
先日、爪の整え方について教えてもらって、びっくりしたことがありました。 爪やすりは45度でかける、というのはいいのですが、私はずっと「逆の45度」で削っていたのです。 爪の表から裏へ押すようにやすりを当てると、爪の層はめくれ上がり、二枚爪や欠けやすさの原因になるそうです。正解は、爪の裏側から表に向かって、なでるように45度で整えること。向きの違いだけですが、爪の断面は驚くほど変わるといいます。 考えてみれば、これは爪に限った話ではありません。知識として「知っている」ことと、正しく「できている」ことは別物です。何気ない習慣ほど、確認せずに続けてしまうものなのかもしれません。 日常の中にある小さな思い込みを、一度立ち止まって見直す。爪やすりの45度は、そんなことを教えてくれました。
12月23日(火)
【横須賀が目指すべきまちづくり】
最近、ある案件で物件探しをしていて気づいたことがあります。 なぜ日本の住宅はこんなにミッチリ密集しているのか。 そして、そのような住宅事情の中、何が横須賀の価値であり、次世代の横須賀のためにどんな政策を打つべきなのかを改めて考えてみました。 その第1回をお読みください。
【ブログ】横須賀が目指すべきまちづくり 第1回「なぜ日本の家は「息苦しい」のか」
12月24日(水)
【横須賀が目指すべきまちづくり2】
第1回のブログを公開してから、「狭い土地は好みではなく、土地代が高すぎて買えないからだ」「戦後の人口増加や高度成長の結果ではないか」といった声をいただきました。 まさに、その通りだと思います。 日本の住宅がミチミチしているのは、誰かの価値観が間違っていたからではありません。土地価格、人口動態、そしてそれを前提に組み立てられてきた制度の中で、合理的な選択が積み重なった結果です。 では、その「制度」とは何だったのか。 なぜ庭は守られず、分割が当たり前になったのか。 第2回では、その構造を一つひとつひも解いてみたいと思います。 以下のブログをご覧ください。
【ブログ】横須賀が目指すべきまちづくり 第2回 庭が消えたのは、好みの問題ではなかった
12月25日(木)
【横須賀が目指すべきまちづくり3】
第2回では、日本の住宅がミチミチしていった背景に、土地価格や建築制度といった「仕組み」があったことを見てきました。 庭が消えたのは、誰かの好みや価値観の問題ではなく、当時としては合理的な選択の積み重ねだった、ということです。 では、その上で次に問うべきなのは、 「同じ選択を、これからも続ける必要があるのか」 という点ではないでしょうか。 人口減少や空き家の増加という新しい時代を迎えた今、 街は別の答えを選ぶこともできるはずです。 第3回では、横須賀という街が本来持っている強みをあらためて見つめ直し、 「都心と同じである必要はあるのか」という問いから、これからの住まいと街のあり方を考えてみたいと思います。 以下のブログをお読みください。
【ブログ】横須賀が目指すべきまちづくり 第3回 横須賀は本当は別の街になれたのではないか
12月26日(金)
【長引く咳】
最近、「風邪は治ったはずなのに、咳だけがなかなか止まらない」という話をよく耳にします。周囲を見渡しても、マスクを外せない理由が「咳が出るから」という方は少なくありません。 実は私自身、咳喘息の持病があり、毎日欠かさず薬を使っています。普段は落ち着いていても、季節の変わり目や寒暖差、空気の乾燥などが重なると、突然咳が出やすくなることがあります。熱もなく、体調は悪くない。それでも咳だけが続く――このもどかしさは、経験した人でなければ分かりにくいかもしれません。 咳は体を守るための反射ですが、続くと体力を奪い、夜眠れなかったり、仕事や会話に支障が出たりします。また、周囲の目を気にして外出を控えたり、無理に我慢してしまうことも少なくありません。 「そのうち治るだろう」と放置してしまいがちですが、咳は体からのサインでもあります。早めに受診し、自分の体の状態を知ること、そして無理をしないことが大切だと、日々実感しています。 咳をしている人を責めるのではなく、互いに少し想像力を持てる社会であってほしい。そんなことを、この時期あらためて感じています。
12月27日(土)
【県初の大規模移住イベント】
県では、移住促進に力を入れており、このたび、県として初めての大規模移住イベント「かながわ移住フェア2026」を令和8年1月31日(土)に東京都内で開催します。 また、それに先立ち、県が設置する2つのエリア(三浦半島、西湘足柄)の移住コンシェルジュのオンライン合同イベントを令和8年1月21日(水)に開催します。 リアルで直接市町村の職員に相談することもできるし、オンラインで話を聞くこともできます。神奈川を知ることができる絶好の機会となります。 詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/y2w/prs/r6878573.html
12月28日(日)
【スクランブル交差点】
世界中の観光客が写真を撮りにくる渋谷の交差点で知られる「スクランブル交差点」。 歩行者が全方向に同時に横断できるこの方式ですが、実は日本で最初に導入されたのは熊本市で、1960年代に熊本県警が歩行者の安全対策として取り入れたのが始まりです。 スクランブル交差点の大きな利点は、歩行者と車の動きを完全に分離できる点にあります。右左折車との接触リスクが減り、斜め横断も可能になるため、移動距離が短くなります。ルールも直感的で、高齢者や子ども、土地勘のない人にとって分かりやすい仕組みです。 一方で、歩行者専用の時間を設けることで信号待ちが長くなり、車の流れが滞る場合もあります。そのため、歩行者が少ない場所や車交通が中心の道路では、必ずしも適しているとは限りません。 スクランブル交差点は万能な解決策ではなく、「どこで、何を優先するか」によって評価が分かれる仕組みです。交差点一つにも、その街が人と車のどちらを重視するのかという考え方が表れているように思います。

【1週間ダイジェスト】令和7年12月15日〜令和7年12月21日
このブログの【1週間ダイジェスト】は、永井まさと【公式】LINEでお届けした活動内容・県政情報を一週間ごとにダイジェストでお届けするものです。永井まさと【公式】LINEにご登録いただくと、活動報告・県政情報にいち早く触れることができます。これを機にご登録ください。なお、【公式】LINE限定記事など、ダイジェストに反映されない記事もあります。
12月15日(月)
【常任委員会】
本日、神奈川県議会の全ての常任委員会が開会されます。 私は所属する建設・企業常任委員会に出席します。 今日の委員会を経て、18日の本会議に臨むことになります。 インターネット中継もあります。
https://kanagawa-pref.stream.jfit.co.jp/
12月16日(火)
【今年の漢字】
今年の漢字に「熊」が選ばれたというニュースに、思わずはっとさせられました。実際にクマと遭遇することは多くの地域ではまだ稀ですが、連日のように報じられる出没情報や被害の拡大を見るにつれ、私たちの暮らしが自然環境の変化と密接につながっていることを痛感します。山の実りが不足したこと、個体数が増えていること、里山管理の担い手が減っていること――どれが理由かと単純に言い切れないほど、複雑な要因が絡み合っています。 しかし、この「熊」という一文字には、人と野生動物の関係が揺らぎつつある今の日本社会の写し鏡が表れています。クマだけでなく、イノシシやサル、ハクビシンなど、都市近郊でも野生動物との距離が近づいている現実があります。神奈川県も例外ではなく、丹沢を中心に生息域を持つツキノワグマへの備えや、農作物被害への対策は、県として継続的に取り組むべき課題です。
今年の漢字は、単なる話題づくりの一文字ではなく、「自然との共生をどう再構築するか」という問いを突き付けています。人の安全を守りながら、野生動物との適切な距離を保つ仕組みをどうつくるか。被害対策だけでなく、生息環境の理解や地域協働の体制づくりなど、総合的な視点が求められています。「熊」を通して、私たちの暮らしの足元を静かに見直す一年だったのかもしれません。
12月17日(水)
【神奈川宇宙サミット受付開始】
令和8年2月5日に開催する「神奈川宇宙サミット」について、昨日から来場登録の受付が開始されました。 サミットでは、宇宙飛行士 野口聡一氏など、様々な方に御登壇いただき、宇宙ビジネスの可能性などを発信していきます。 詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0604/space-summit/
12月18日(木)
【第3回定例会最終日】
神奈川県議会第3回定例会の最終日で県庁に来ています。 昨日は調整日で夜11時まで会議が続き、職員の皆さんも遅くまで残って事務作業を行いました。 国の補正予算が決まり、県議会でも新たな補正予算審査が行われています。 現在進行中の委員会審査が終わると、2回目の本会議が開かれる予定です。
12月19日(金)
【「取り組み」とは、いったい何だろう】
行政の説明を聞いていると、よく出てくる言葉があります。 それが「取り組み」です。 「〇〇については、引き続き取り組んでまいります」 「課題解決に向けて、取り組みを進めています」 議会でも、記者会見でも、広報紙でも、実によく耳にします。 では、この「取り組み」とは、いったい何を指しているのでしょうか。 事業を実施したことなのか。 検討会を立ち上げたことなのか。 担当部署で話し合いを始めたことなのか。 あるいは、ただ“意識している”という意味なのか。 実は「取り組み」という言葉は、とても便利な言葉です。 何かをやっているようにも聞こえるし、まだ途中であることも表現できる。 一方で、「何を、いつまでに、どこまでやるのか」は、はっきりしないままでも成り立ってしまいます。 行政の仕事は、一朝一夕に結果が出るものばかりではありません。 関係者が多く、調整に時間がかかるのも事実です。 だからこそ、「今は途中段階である」という説明が必要な場面も多い。
ただ、住民の立場からするとどうでしょうか。 困っているのは“今”であり、 求めているのは“取り組んでいる姿勢”だけでなく、 「いつ、どう変わるのか」という見通しです。 本来、「取り組み」とは、 目標があり、工程があり、責任の所在があるもののはずです。 ・何を目的にしているのか ・誰が責任を持つのか ・いつまでに、何がどう変わるのか これが示されて初めて、「取り組んでいる」と胸を張って言えるのではないでしょうか。 言葉は、行政と住民をつなぐ大切な橋です。 便利な言葉ほど、丁寧に使わなければなりません。 「取り組みます」と言われたとき、 その中身を問い続けること。 それもまた、民主主義の大切な“取り組み”なのだと思います。
12月20日(土)
【支援がある社会から支援が届く社会へ】
行政の制度は、多くの場合「平均値」をもとに設計されています。 標準的な世帯構成や平均的な収入、一般的な働き方を想定しなければ、限られた財源の中で公平な制度をつくることが難しいからです。 しかし、私たちの実際の生活は平均ではありません。 単身高齢者、ひとり親世帯、非正規雇用で働く人、住み込みで働いている人、家族の介護を抱えながら仕事をしている人など、暮らしの形は実に多様です。そして、こうした「個別の事情」を抱える人ほど、制度の想定から外れやすいのが現実です。 その結果、現場では「制度はあるが使えない」「違反ではないが前例がない」「基準にわずかに届かない」といった言葉が繰り返し聞かれます。支援を必要としているにもかかわらず、制度の枠に当てはまらないという理由で支援につながらないケースも少なくありません。
これは、行政が冷たいからではありません。むしろ、全体の公平性を保とうとする中で、個別事情に十分対応しきれない構造が生まれていると言えます。 だからこそ重要なのは、制度が「あるかどうか」ではなく、「どのように運用されているか」という視点です。平均値を前提につくられた制度を、現場でどこまで柔軟に扱えるのか。数字や基準だけでは見えない事情に、どこまで目を向けられるのかが問われています。 行政が平均値で動く以上、現場には一人ひとりの状況を丁寧に見る力が欠かせません。その積み重ねこそが、「支援がある社会」から「支援が本当に届く社会」へと近づく道ではないでしょうか。
12月21日(日)
【文章力】
最近、「文章がうまい人が増えたな」と感じることはありませんか。 メールもレポートも、驚くほど整った文章が当たり前のように届くようになりました。その背景には、チャットGPTをはじめとする生成AIの存在があります。文章を書くこと自体は、もはや特別な技術ではなくなりました。 けれど、その一方で、読んだ瞬間に「これは生成AIだな」と分かってしまう文章に出会うこともあります。内容はきれいなのに、なぜか心に残らない。読み進めるほど、書き手の姿が見えてこない。そんな違和感です。 生成AIの時代になって、文章の価値は下がったのでしょうか。 私はむしろ逆で、書き手の思考や姿勢が、以前よりはっきり浮かび上がる時代になったと感じています。 以下のブログをお読みください。
横須賀が目指すべきまちづくり 第3回 横須賀は本当は別の街になれたのではないか
――「都心と違う価値」を取り戻すという選択
第1回では、日本の住宅がなぜ息苦しく感じられるのか、その違和感から考えました。
第2回では、庭が消え、家が密集していった背景に、土地価格や建築制度という「仕組み」があったことを見てきました。
では、その上で改めて問いたいと思います。
横須賀は、本当に都心と同じ住宅のつくり方でよかったのでしょうか。
横須賀が本来持っている強み
横須賀には、他の多くの都市にはない特徴があります。
-
海と緑に囲まれた自然環境
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丘陵地や谷戸がつくる、立体的な地形
-
都心から1時間圏内というアクセス性
これらは本来、「ゆったりとした暮らし」と非常に相性が良い条件です。
都心のような利便性をすべて備えていなくても、
自然と距離の近い生活を選べる街として、十分な価値を持っていたはずです。
それでも「都心と同じ住宅地」をつくってきた
ところが現実には、横須賀の多くの住宅地でも、
-
土地は細かく分割され
-
建物は敷地いっぱいに建ち
-
家と家の距離は縮まっていきました
結果として、
「都心ほど便利ではないが、都心と同じようにミチミチしている」
住宅地が少なくありません。
これは、誰かの判断ミスではなく、
第2回で見てきた通り、制度の中で合理的な選択を積み重ねた結果です。
ただ、その選択が
横須賀の強みを十分に活かしていたか
という点については、考え直す余地があるのではないでしょうか。
都市は「比較」で選ばれる
人は街を、単独で評価するわけではありません。
-
都心は便利だが、狭くて高い
-
郊外は不便だが、広くて緑がある
この対比の中で、「自分にはどちらが合うか」を選ぶのではないでしょうか。
もし横須賀が、
-
都心ほどの利便性はなく
-
それでいて暮らしの余白もない
としたら、
選ばれる理由が見えにくくなってしまうのではないでしょうか。
いまは「別の選択」ができる時代
しかし、状況は大きく変わりました。
-
人口は減少局面に入り
-
空き家や空き地は増え
-
これ以上、詰め込む必要はなくなっています
今求められているのは、
「どれだけ建てるか」ではなく、
「どんな暮らしを用意できるか」ではないでしょうか。
庭や緑、家と家の距離。
窓を気兼ねなく開けられる安心感。
人も、子どもも、ペットも、少し余裕を持って暮らせる環境。
これらは、横須賀がもともと得意としてきた分野です。
横須賀が示せる「もう一つの答え」
横須賀が目指せるのは、
東京の縮小版になることではありません。
東京にはできない暮らしを、
東京に近い場所で実現すること。
それは、
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低密度の住宅地
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緑と共にある日常
-
暮らしの質を大切にする価値観
を、街の選択として示すことです。
おわりに
日本の住宅が息苦しくなったのは、今まで見てきた通り、ルール上決められたことが一つ一つ重なって進められてきた必然的な結果でした。
だからこそ今、別の前提に立った「次の正解」を選ぶことができるのではないでしょうか。
横須賀が、その選択を確かに示す街になれるかどうかの道のりは、こうした事実に多くの関係者が注目し、議論をするその一歩から始まります。









